「世界のサカモト」になれなかったあるポップミュージシャンの道のり

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uroak_miku @Uroak_Miku

かつて活字メディアは買って読むものだった。20年前を思い出せるひとは思い出してほしい。私たちは紙を買っていました。今は違う。質にこだわらなければネットでいくらでも読めてしまう。何かが主従逆転した。

2016-11-10 20:28:28
uroak_miku @Uroak_Miku

1999年に『スター・ウォーズ エピソード1』が公開されるとき、ネットに予告編が出るというので皆が必死に見ようとした。当時は時間当たりの通信量がとても低くてまともに見られなかった(と聞いています)。 YouTubeの登場はその6年も後でした。

2016-11-10 20:33:30
マスヤマコム(桝山寛) @MASU_YAMA

こんなページまだあるんだw。QT @eto: まず訂正ですが、日本初のインターネットライブは、1995年11月30日「三菱電機スーパーセレクション坂本龍一Tour'95“D&L”with Daizaburo Harada」です→ http://bit.ly/enJfru

2010-12-24 22:31:01
uroak_miku @Uroak_Miku

マルチメディアまるちめでぃあと皆がしきりに語っていた時代ですね。当時はまだ最先端テクノロジー男のイメージが強かった坂本を担ぎ出してマルチメディアのイメージを何とか打ち立てようとしていた、ように見えます。@MASU_YAMA @eto

2016-11-10 20:41:53
uroak_miku @Uroak_Miku

売れるのをはっきり狙って作ったアルバム『スイートリベンジ』がどの国でもさっぱり売れず、日本に戻ってきても小室哲哉がもう牙城を築き上げていてとても割り込めず焦っていた頃の坂本が、テクノロジーの旗手として別の路線を模索した。twitter.com/KaoruKumi/stat…

2016-11-10 20:44:31
uroak_miku @Uroak_Miku

翌1996年、もうポップな売れ線狙いは捨ててベストアルバム的な生楽器演奏もの『1996』を発売。これはそこそこ売れた。ロングセラー。その後の「癒しの坂本」の始まりとなった。@KaoruKumi

2016-11-10 20:48:29
uroak_miku @Uroak_Miku

あ、前年に『スムーチー』を出していますね。じっと聴くのが苦痛でした。器楽曲的なつくりのところに無理にリズムをのっけているのがありありとわかって痛ましかった。@KaoruKumi

2016-11-10 20:50:40
uroak_miku @Uroak_Miku

ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82… >1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。@KaoruKumi

2016-11-10 20:53:04
uroak_miku @Uroak_Miku

ポップ・ミュージックのほうでは結局「世界のサカモト」になれなかったのです。@KaoruKumi

2016-11-10 20:53:56
uroak_miku @Uroak_Miku

>1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約 1927年発足の老舗ですね。グレン・グールドとかバーンスタインがここから出していました。このとき坂本はもう完全にポップの売れ線狙いを放棄したのです、きっと。 @KaoruKumi

2016-11-10 20:58:05