ヨグヤカルタ・ナイトレイド #4
信号停止中のリムジンのドアガラスを叩くのは七色の飾りをつけたサングラスをかけたプッシャーだ。「キク。スゴイ」歯を見せて、後部座席に座るロングゲイトに笑いかける。運転手は手ぶりで去るように伝える。「写真撮るよ!」「ネオサイタマからようこそ!」さらにストリートチルドレンが囲む。 1
2016-11-15 22:07:01「蹴散らしますか」運転ヤクザが振り返った。ロングゲイトは微笑した。「いや、会合場所はここからそう遠くあるまい。このまま現地へ入れ」「ロングゲイト=サンは?」「気分転換でもするさ」いきなり彼はリアドアを開いて車外に降りた。たちまち子供達が縋り付き、装束を掴み、笑顔で見上げた。 2
2016-11-15 22:10:08「お気をつけて」運転手は苦々しげに言い、信号が変わるとともに車両を発進させた。窓のない黒塗りのバンが三台、それに続く。冗談めかしてそれらに手を振ると、ロングゲイトは子供たちを引き連れてストリートに入る。プッシャーは脈なしと諦め、次のカモを探した。 3
2016-11-15 22:15:07「お恵みよ!」「すごい車に乗ってたね!」子供達に邪険にせず、かといって財布を掏られるウカツもせず、小銭を恵んでやりもせず、ロングゲイトは果物屋台に向かった。氷の中に、適切にカットされ串に刺された見慣れぬ果実が埋まっている。きらきらと美しく、この街の夜景のようでもある。 4
2016-11-15 22:18:21「お前達にカネをやったとしても……」ロングゲイトは子供達を見渡した。「大人のお小遣いになってしまうだろう?違うかね」子供達は互いに顔を見合わせた。苦笑いしている子供もいる。「だから、お前達が楽しいものをやる。おやじ。人数分の氷菓を」「テリマカシ!」屋台の主人は満面の笑顔になる。5
2016-11-15 22:21:39支払いを終え、子供達を見る。子供達は息を呑み、ロングゲイトと屋台の主人を交互に見ている。ロングゲイトは笑った。「どうした。ほら。受け取りなさい。一人一個。喧嘩するなよ」ワッと歓声をあげ、子供達は屋台に群がった。彼は子供の頭を撫でてやり、自ら作り出した騒ぎから離れて路地を進む。6
2016-11-15 22:25:25配管パイプの陰、力失せた浮浪者が見上げた。ロングゲイトは親指で銀貨を弾き、くれてやった。ロングゲイトは上機嫌だった。ステッキを持っていれば口笛でも吹きながらクルクルと振り回したかもしれない。そのさまを自ら想像し、軽く失笑した。やがて路地は開け、狭い石段に繋がる。 7
2016-11-15 22:29:10これはこれで旅の醍醐味ではある。この手の接触をどっぷり楽しむ事などないが、ある種の啓示といえよう。彼は石段を登り、金箔の塗られた重ねトリイをくぐって、庭園に入った。噴水や蔓草の棚が秩序ある無秩序によって配置され、かぐわしい香りが漂う。庭の奥の坂の上に目指す建物がある。8
2016-11-15 22:36:36あれが、会合の場所として設定された最高級料亭「ペラサーン・スカ・シータ」だ。ボロブドゥールの役人にも、ロングゲイトにもメンツがある。贅を尽くした料理ともてなし、美しい女たち。坂を上ってゆくと、車両用通路から敷地に入ったリムジンと黒いバンが並んでいた。ロングゲイトは満足げに頷く。9
2016-11-15 22:39:07ここは街の中でも高台だ。崖の手摺越しに、ランタンの映る水路や美しくライトアップされた建物群、石の塔、屋台のテント、広場を歩くWi-Fi象などを眺め渡す事ができた。料亭の門の脇にはカロウシタイが三名、銃剣を構えて並んでいる。濁った目をロングゲイトに向け、あいまいにオジギをする。10
2016-11-15 22:42:13「ドーモ。ロングゲイトです」コウ・タイ・シュメイ社のIDをかざすと、カロウシタイは無言で脇にのいた。ロングゲイトは微笑して頷き、宮殿めかした石造りの建物に足を踏み入れた。美しく着飾った男女が出迎え、ホールを経由して二階の個室へ案内した。縦長の窓には飾りガラス。卓には金の燭台。11
2016-11-15 22:48:50「ドーモ。コウ・タイ・シュメイのロングゲイト=サン」呼び声に振り返る。現れたのは裾の長い僧服めいた風変わりな衣装に身を包んだ男だった。顔を覆う薄緑のヴェールに刺繍されているのは、ロウ・ワンの印と呼ばれる魔術的意匠である。「遠路はるばるようこそ。私はグレイウィルムです」12
2016-11-15 22:53:05「ありがたいです」ロングゲイトは二度オジギし、なめらかな手つきで名刺を取り出した。透かしの入ったオフホワイトの名刺だ。匠のワザである。グレイウィルムは「うん」と呟き、受け取ると、しげしげと眺め、いきなりそれをツルリと飲み込んだ。ロングゲイトは微笑した。気圧されるべからず。 13
2016-11-15 22:58:12「始めましょうな」グレイウィルムは目を三日月状に細めて笑うと、椅子にかけた。ロングゲイトも向かいに座った。給仕は二者の間を邪魔する事少しもなく、見事な奥ゆかしさで食器を並べ、サケを白磁の盃に注いだ。「カンパイ」「カンパイ」 14
2016-11-15 23:01:14まずは他愛もない会話が交わされた。グレイウィルムはボロブドゥールの高官であり、シャン・ロアとも直接の目通りが許されている男だ。そして当然ながらニンジャである。ロングゲイトは極めて慎重に接した。グレイウィルム即ちシャン・ロアというほどの気構えで、注意深く臨んだのだ。 15
2016-11-15 23:02:45灰色のソースを垂らした鶏、ゼリー状のなにかに寄せられた果実、揚げた魚。そしてスシ。どれも美味だ。ロングゲイトは当然、得体のしれぬ毒や自我を希薄化させ交渉能力を低減させる物質などに耐性を備え、また、極めて敏感にそれらを嗅ぎ分ける。これらの料理は全きもてなしだ。素晴らしい。 16
2016-11-15 23:07:33「さて……」食器が下げられると、グレイウィルムは視線を窓にさまよわせ、微かに姿勢を直した。それが合図だった。まずロングゲイトは、用意した細長い飾り箱をうやうやしく取り出した。「キョートのヨーカンです。グレイウィルム=サンはお好きでしょうか」「うん」高官は微笑み、受け取った。 17
2016-11-15 23:09:39当然それはただのヨーカンではない。箱の底にはコーベイン(小判)が敷き詰められている。グレイウィルムは重さでそれを知っただろう。「で、何だったかね?今日のこの面談というのは……」「然り」ロングゲイトは奥ゆかしく頷いた。「近海における、弊社の船の安全を保障して頂きたく」「ふむ?」18
2016-11-15 23:11:29「このところ、海賊やシー・モンスターの類の活動が活発という観測がありまして……弊社の船も被害にあっております」「それは大変な事だ」「ハイ。大変です」「王は憂慮されるだろう。ええと……」「コウ・タイ・シュメイです」「うん、ええと……コウ……出てこない」「供物を用意しております」19
2016-11-15 23:16:22「供物」グレイウィルムの目がギラリと光った。「それは何かな」「ガイオンの生娘、50匹」ロングゲイトは身を乗り出し、力強く言った。更に懐からマキモノを取り出し、卓上に広げて見せた。それは目録であった。「当然ながら、血統のわからぬ胡乱な種ではありませぬ。集めるのに骨が折れました」20
2016-11-15 23:19:18「ほほお!」グレイウィルムは喜色をあらわにした。「なんとな!ガイオン?当然、地表産よな?」「然り」ロングゲイトは好機の紐を掴み、引き寄せる。「一定以上の社会的地位を持つ個体ばかり。やはりその身に高潔と屈辱が染みておらねば、王も悦ばれぬであろうかと」「まことに!」21
2016-11-15 23:25:28ロングゲイトは高揚した。彼の仕込んだマジックが花開く瞬間だ。この時の為に生きている。交渉材料の企画・手配は彼に一任されている。コウ・タイ・シュメイは彼に逆らえない。彼の酷薄なる手管に逆らえない。彼のカラテに逆らえない。異国の邪悪なニンジャであろうと、欲の力には逆らえない。 22
2016-11-15 23:30:40