共に生きることと、自分と向き合うこと

自分自身の悩みを抱えながら、ボランティア活動に携わってきて、改めて人との関わり方を見直してみました。
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かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

何も悩みのない人なんて、きっといないんじゃないかと。背負うものの形や重さは、一人ひとり違うけれど。でも、だからこそ人は、誰かとつながることを求めずにはいられないのかな。

2016-11-27 05:49:29
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

悩みは人それぞれだから、他人の悩みを本当に、自分のことのように理解することは出来ないかもしれない。でも、ともに悩み、ときには、ともに喜ぶというように、分かち合うことは出来ます。

2016-11-27 05:58:15
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

他人の悩みを分かち合おうとするなら、自分自身の悩みにも、まっすぐに向き合うしかないのかな、と思います。他人が背負うものの形や重さは分からないけれど、自分自身の悩みと向き合うことで、背負うことのつらさ、苦しさを想像することは出来るのかな、と。

2016-11-27 12:05:16
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

話は少し飛躍しますが、障害のある方もまた、社会生活を送る上で、たくさんの困難を抱えています。もちろん、生まれつきであったり、病気のためであったりするので、その他の「悩みを抱えた人」と全く同じように論じるのは無理があります。

2017-01-27 20:48:07
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

いちばん大きな違いは、社会における少数派(マイノリティ)であることだと思います。少数派であるが故に、その悩みや苦しみを、大多数の人は知りません。そして、知らぬが故に、たとえ差別する意図がなくとも、適切な接し方ができない、また社会的インフラが整いにくいという問題が生じます。

2017-01-27 20:56:57
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

実際のところ、障害そのものによって生じる困難よりも、社会との関係の中で生じる困難のほうが、しばしば大きかったりします。そして、後者は周囲の適切な接し方であったり、社会的インフラの整備によって軽減することができます。

2017-01-27 21:26:30
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

ですが、それを全ての人に強制することは難しいでしょう。皆がそれぞれ悩みを抱えているとするならば、自分のことで精一杯で、他人に手を差し伸べる余裕がなくても、無理はありません。でも、もしできるならば、社会にはいろいろな困難を抱えた人がいることを、想像してほしいのです。

2017-01-27 22:05:27
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

ここで話が戻りますが、障害のある人もない人も、何らかの悩みを抱えながら生きているという点においては、同じだと思うのです。前述のような違いはあれども、同じ社会の一員です。適切な配慮は必要だけれども、決して「特別」な存在ではありません。

2017-01-27 22:19:11
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

障害のある方もまた、特別な扱いを望んでいるのではなく、ただ同じ社会の一員として受け入れられることを望んでいるのではないでしょうか。障害のある人もない人も、互いを思いやり、助け合う社会ができたら、どんなに素晴らしいでしょうか。

2017-01-27 22:24:29
かずひろ(little prayer) @kazuhiro57

そんな社会の実現を願いつつ、自分自身の悩みと向き合いながら、自分にできることを、できる範囲で、少しづつしていきたいと思います。(了)

2017-01-27 22:27:55