戦国合戦ゲームの話。らしく描くという話。

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長田寺@たゆまぬ黒い砂漠PC @Chodenji_BDO

@siva_yuri 質問です。ボードゲームで戦国時代の合戦を表現する際、ユニットの戦力算出計算はどの様なものになるでしょうか? やはり難しいのでしょうか?

2011-02-25 00:36:45
芝村裕吏 @siva_yuri

質問です。ボードゲームで戦国時代の合戦を表現する際、ユニットの戦力算出計算はどの様なものになるでしょうか? やはり難しいのでしょうか? ですか。

2011-02-25 00:37:27
芝村裕吏 @siva_yuri

まあ、戦争というのは昔にいくほど、数で勝敗が決まるとは限りません。 戦史をひもとくと3割超で兵力数が低いほうが勝ってますね。 まあ、戦いにならないほどの差があれば別なんでしょうけど、一端戦争を始めたら、どう転ぶかは、わからんというわけです。

2011-02-25 00:41:59
芝村裕吏 @siva_yuri

これをゲーム的に表現すると、ランダム要素が高い戦闘になります。 コンピューターゲームなら、リセットおしまくりゲームですし、ウォーゲームでなら、せっかく戦力あつめたのに、1が出て悲しい事になるゲームになります。いわゆる、ドラゴンパス展開です。

2011-02-25 00:44:28
芝村裕吏 @siva_yuri

これは戦国時代の合戦でも言えまして、普通にやると、瞬間のダイス目で作戦を大きく立て直すタイプの展開になります。 そういうのをいやがると、すなわち、基本作戦案が優れていて勝つ、みたいなゲームをつくろうというと、確かに難しくなりますね。

2011-02-25 00:48:13
芝村裕吏 @siva_yuri

作るのはいいですが、らしくない展開になります。 なんでまあ、ここが腕の見せ所ですね。 古典的なCRTはやめて、デザインしたほうがいっそらしいと思います。 今度発売されるやつも確率計算やりなおしました。

2011-02-25 00:50:15
芝村裕吏 @siva_yuri

ちなみに古典的CRTで解決する方法としては日本ではなく、海外ではナポレオンなゲームとかで色々試行錯誤されてまして、指揮官ユニットが一個師団相当の戦力もってたりするルールもあります。(スタックしないと戦力加算できませんが)

2011-02-25 00:52:53
芝村裕吏 @siva_yuri

ミュラー一人は一個師団に相当するとか、ゲーム会話的には楽しいですね。

2011-02-25 00:52:58
芝村裕吏 @siva_yuri

あとは、指揮ユニットがいると地形効果を尋常でなく強く見るルールもありますね。こうすると、平地の戦いでは数の勝負になりやすいが、山や城にこもると・・・さすがは本多忠勝よ。500の兵で一万の兵とはりあいよるわ。 わははは。 とか、 表現することが可能です。

2011-02-25 00:59:27
芝村裕吏 @siva_yuri

大切なのは、少数が多数に勝っちゃう理由や条件をどこにもってくるか、なんですね。 先ほど説明したのはその一例なわけです。それをゲーム的にもりこむと、作戦性と再現性、両方を両立させうると思います。まあ、プレイアブルな範囲で(簡単に)再現したらたのしいですね。以上説明終わり

2011-02-25 01:04:40
優羽カヲリ @kawori_yuha

@siva_yuri 何かを描く時に、「らしく描く」ということと、「描きたいように描く」ということを、芝村さんはどちらをどの位の割合で優先させて描いているのでしょうか。

2011-02-25 00:58:03
芝村裕吏 @siva_yuri

次。 何かを描く時に、「らしく描く」ということと、「描きたいように描く」ということを、芝村さんはどちらをどの位の割合で優先させて描いているのでしょうか。

2011-02-25 01:08:39
芝村裕吏 @siva_yuri

私の話に限れば、らしく描くことと、描きたいように描くのは矛盾していません。 カヲリさんをらしく描けば、かわいいとみんな言うだろうし、私もそうそう、このへんがかわいいよなあ、と、やってます。 主義主張はさておき、慣れがあればセンスにそう差は生まれないというのが、私の持論です。

2011-02-25 01:13:29
芝村裕吏 @siva_yuri

人間には色々な人もいます。 素朴な物が好きな人もいますが、複雑な物、ひかるもの、愛憎劇・・・言葉だけでも無数に表現されうる好きがあります。 私はそれが、どれかは間違いで、どれかが正解などとは、思いません。 全部正解なのだろうと思います。

2011-02-25 01:16:27
芝村裕吏 @siva_yuri

実存するファンがいるのだから、多寡はさておきいろんな好きがあるのは、確かです。 では、どうしてたくさんの種類の好きがあるか。 それは自己の成立のためと、争わないため、あと、慣れです。

2011-02-25 01:17:50
芝村裕吏 @siva_yuri

人間は多様性を保持しようとします。私にあこがれても私の模倣をしても、私自身になろうとするわけではない。 あこがれと自己保存は違いますよね。趣味もそう。 自己というものを成立させる一環に、趣味がある場合、それは変わったものになるでしょう。

2011-02-25 01:19:58
芝村裕吏 @siva_yuri

ファンとしてXXが好きというとき、同じ物ばかりに人気が集中すると、 それだけで、反対にこれが好きというものも出るものです。 本来的には競争がないほうが一番になれる。まあ、鶏口となるも牛後となるなかれですね。 悪口が先に出ればただの喧嘩ですが、本来は争わずに勝利する手法なのです。

2011-02-25 01:22:21
芝村裕吏 @siva_yuri

自己の成立、保存と競争をさける意識が生まれたとき、 そこには多様性が生まれます。皆がそうした結果が、色々な種類の好きができます。これらは商業的に大きな群れを狙うという商業上の動きはあるにせよ、本来はどれが偉いとかではない話です。

2011-02-25 01:24:35
芝村裕吏 @siva_yuri

その上で、言いましょう。 我々は我々が嫌悪しているようなものでも、興味ない物でも、理解できますし、一歩間違えれば好きになりえます。 その差を生むのは慣れです。 その物事に偶然であれ親しくしていれば、分かってしまうのです。 理解者になりえます。

2011-02-25 01:27:02
芝村裕吏 @siva_yuri

思考停止や拒絶というメカニズムを使わない限り、人間はうっかり女性でもヌード雑誌を読むのが趣味にもなりえますし、女装する男の考えに共感してしまったりする可能性があります。 慣れさえあれば、もう全然、自分が思ってる以上に理解したり好きになりえたりするものなのです。

2011-02-25 01:29:23
芝村裕吏 @siva_yuri

その上で、理解がある主題を描く限りにおいては、らしく描くことと、共感を持つが故にそれを表現する、すなわち描きたいように描くのは、矛盾しません。 描きたい物と、モチーフが重なってる限り、それに対する理解や知識がある限りは、矛盾なく描けると思います。

2011-02-25 01:32:20
芝村裕吏 @siva_yuri

なんで芝村は猫を描くにおいて、目を細めて前脚をぺろぺろしてる猫を見てたら、目があって、次の瞬間には逃げられた。なんてことを らしく、そして気持ちよく、かけます。 理解あるものについては、だれでもそうだと思います。

2011-02-25 01:35:16
芝村裕吏 @siva_yuri

やりたい事と、やらなければならない事が一致した事を幸せというのなら、猫を描く事と、猫をらしく描く事と、それを面白く、本人も楽しく描くことは、幸せだと言えるかもしれません。 ま。俺は幸せな表現者が地上であとどれだけ増えてもいいんじゃねえのと、思っております。

2011-02-25 01:37:23
芝村裕吏 @siva_yuri

私はそれの理解者です。 うっかりそういうのに、慣れすぎました。 以上、説明終わり。寝ます。おやすみー

2011-02-25 01:37:57