佐藤正美Tweet_20161101_15

0
佐藤正美 @satou_masami

「(ほんとうの文学は)この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪がひそんでいることを教えてくれるのである。そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである」(三島由紀夫)。

2016-11-15 19:31:41
佐藤正美 @satou_masami

「そして、もしその中に人生の目標を求めようとすれば、もう一つ先には宗教があるに違いないのに、その宗教の領域まで橋渡しをしてくれないで、一番おそろしい崖っぷちへ連れていってくれて、そこで置きざりにしてくれるのが『よい文学』である」(三島由紀夫)。

2016-11-15 19:34:42
佐藤正美 @satou_masami

「一流のおそろしい文学に触れて、そこで断崖絶壁へ連れてゆかれた人たちは、自分が同じような才能の力でそういう文学をつくれればまだしものこと、そんな力もなく努力もせずに、自分一人の力でその崖っぷちへ来たような錯覚に陥るのである」(三島由紀夫)。

2016-11-15 19:37:30
佐藤正美 @satou_masami

「その錯覚はさまざまなもが生れる。自分は無力で、文弱の徒で、何の力もなく、この人生を変えることもできず、変革することもできないけれども、自分の立っている位置はあらゆる人間を馬鹿にすることのできる位置である。あらゆる人間を笑うことのできる位置である」(三島由紀夫)と錯覚する。

2016-11-15 19:42:31
佐藤正美 @satou_masami

「自分は人間の世界に対して、ある『笑う権利』を持っているのだという不思議な自信のとりこになってしまう。そしてあらゆるものにシニカルな目を向け、あらゆる努力を笑い、何事か一所懸命になっている人間のこっけいな欠点をすぐ探し出し、真心や情熱を嘲笑し、(略)」(三島由紀夫)。

2016-11-15 19:47:39
佐藤正美 @satou_masami

文学に限らず、興味深いことに、哲学・数学の天才たちは、三島由紀夫氏のいう「崖っぷち」に私を連れていって置き去りにしてくれました、、、(たとえば、ウィトゲンシュタイン氏がそうです)。

2016-11-15 19:52:23
佐藤正美 @satou_masami

私のような凡人が、こういう「崖っぷち」に置き去りにされると、転落するのではないかという恐怖感に襲われて立っていることもできず、崖下に落ちないように身を縮めて、這いつくばってでも元の安全な場所にもどろうと懸命に後退りします。

2016-11-15 19:55:31
佐藤正美 @satou_masami

「不幸にも」私は凡人だったので、「崖っぷち」に立ち続けることはできなかったのですが、幸いにも「崖っぷち」を垣間見ることができました。「崖っぷち」に立ち続けることができないことで、私は一流でないことが明らかになったのですが、私は「装う」人たちを見分けるようになったと思います。

2016-11-15 19:58:59
佐藤正美 @satou_masami

私は、「文学愛好家」でしかないことがわかったので、ほかの仕事の道を歩んだのですが、困ったことに、文学から被った「毒」は その後遺症を後々までも残すようです。

2016-11-15 20:01:35
佐藤正美 @satou_masami

「人生というものは、死に身をすり寄せないと、そのほんとうの力も人間の生の粘り強さも、示すことができないという仕組みになっている。(略)死によって、たちまち傷ついて割れてしまうような生はただのガラスにすぎないのかもしれない」(三島由紀夫)。

2016-11-15 20:04:26
佐藤正美 @satou_masami

三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯所のバルコニーに立って演説している映像――「ひとが命をかけて語っているのだ、聞け」と隊員たちに向かって絶叫している三島氏を隊員たちは軽蔑した目で見てみた。私はその映像を観ていて「これが『実生活なのだ』」ということを否応なく はっきりと意識させられた。

2016-11-15 20:08:29
佐藤正美 @satou_masami

「ある大学教授の政治的方針。――共産党には絶対に入らないが、その党員と同じような口調でものを言い、ものを書く。共産党が失敗したときはさっそくそれを批評して、自分の自主性を誇示する。情勢がわるくなったら、書斎にとじこもり(略)沈黙を守ることで抵抗のポーズを示す」(亀井勝一郎)。

2016-11-15 20:13:28
佐藤正美 @satou_masami

芸術が責任をとることなど、毛頭ないでしょう――作品のなかで殺人を犯してもフィクションでしかないから。そのために、「芸術愛好家」として芸術に長いあいだ親しんでくると、ややもすれば、フィクションに浸りきってフニャフニャな性質になってしまう危うさがあるようです。

2016-11-15 20:18:02
佐藤正美 @satou_masami

「いまの日本では勇者が勇者であることを証明する方法もなければ、不勇者が不勇者であることを見破られる心配もない。最終的には、勇気は死か生かの決断においてきめられるのだが、われわれはそのような決断を、人には絶対に見せられないところで生きている」(三島由紀夫)。

2016-11-15 20:21:51
佐藤正美 @satou_masami

たとえ、危機を精神のなかに設定して生活を律するとしても、頭のなかで作った危機は、所詮、「観念」に過ぎず、生活のなかで持続することは難しいでしょうし、もし、持続できたとしても、そういう人物は、社会制度のなかで、「異物(危険分子)」としてみなされるでしょう。

2016-11-15 20:24:38
佐藤正美 @satou_masami

昔、NHKの大河ドラマ「義経」を観た時、弁慶 [ 役者は故・緒形拳さん ] が義経を守るために、義経と敵のあいだに仁王立ちになって、敵の弓矢を浴びて壮絶な死にかたをした場面がありました。それを観て私が感動したのは、大事な人を守るためには自分の死を厭わない勇気に共感したのでしょう。

2016-11-15 20:31:59
佐藤正美 @satou_masami

もし、私が弁慶の立場にいたら、私も同じことをするでしょう――ただし、私の場合には、「(信念に根ざした)勇気 [ あるいは、愛するひとに対する厚い情 ] から そうするのではなく、その場の いきおい で「逆上(のぼ)せた行為」でしかないのですが、、、。

2016-11-15 20:35:15
佐藤正美 @satou_masami

でも、結末だけを観れば、「勇気」だったのか「逆上(のぼ)せ」だったのかを見分けられないでしょうね。それを見分ける唯一の手立ては、そのひとの今に至るまでの振る舞いにあるでしょう。

2016-11-15 20:37:31