熊野街道をゆく~奥熊野紀行~

ふと思いついて、天気の悪い熊野市を日帰りでぶらぶら歩いてきた記録を、歴史や思い出話をまじえてまとめました。
3
前へ 1 2 ・・ 10 次へ
Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:26 紀北町/江の浦 一瞬ですが「凪のあすから」の聖地です。 pic.twitter.com/XpiH9PBN18

2016-10-14 23:03:29
Ruby & Emmeline @ruby_emy

これは暁鐘成の巡礼ガイドブック「西國三十三名所圖會」(嘉永6/1853)の荷坂峠から見た風景画ですが、手前から長島湾、三浦湾、島勝半島、そして一番向こうに尾鷲の八鬼山があるといったところでしょうか。 pic.twitter.com/wAI59PtR7N

2016-10-15 20:02:57
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:28 紀北町/古里 ワイドビュー南紀1号から、古里海水浴場があります。 pic.twitter.com/xuA9Ed6Ob7

2016-10-15 20:08:48
Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:29 紀北町/道瀬 ワイドビュー南紀1号から、天気がいいと島嶼群が綺麗なのですが。 pic.twitter.com/MN0UmJf2rc

2016-10-15 20:31:06
Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:30 紀北町/三浦 三野瀬駅を通過、ワイドビュー南紀1号は紀北町の旧海山町エリアに入ります。 pic.twitter.com/6NfRGHWPuU

2016-10-15 20:37:04

相賀

Ruby & Emmeline @ruby_emy

旧海山町は、江戸時代の奥熊野相賀組のエリアで、幕末の宿場ガイドマップ「浪華 友鳴松旭圖」には「うませ(馬瀬)」「この本(粉本/古ノ本)」という2つの宿場が載っています。馬瀬は相賀川(船津川)、粉本は便ノ山川(銚子川)の横にあり、船を利用したり、大水のときに逗留したりします。 pic.twitter.com/bcvDMQM3A9

2016-10-15 21:13:13
拡大
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

巡礼ガイドの「西國三十三名所圖會」だと、宿場は「古ノ本」と「便ノ山」です。古ノ本から船で尾鷲まで行けますが、マゴセ峠(馬越峠)を歩いていく場合は、便ノ山の川渡しを利用します。この「古ノ本」と「便ノ山」について旅行記に書いているのが、「東海道中膝栗毛」の作者 十返舎一九です。 pic.twitter.com/FK989Qj4Pg

2016-10-15 21:24:02
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

十返舎一九「方言修行 金草鞋」(1813~1834)より 「香の本(粉本/古ノ本)よき町なり、出口に川あり、大水の時はこの三カ所にて渡る。川上のびんの村(便ノ村)といふ処に舟渡しあり、(中略) びんの渡しにて、 厚びんの 渡しなれとて 天窓(あたま)から 銭をおしがるつらの川舟 pic.twitter.com/f37rLoLDqz

2016-10-15 21:41:16
拡大
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

伊能図では「粉本」となっている。最初は志摩国の伊勢神宮領「木本(このもと)御厨」だったのだが、紀州藩の奥熊野相賀(おうが)組になったとき、「木本」(きのもと/今の熊野市)と紛らわしいので「粉本」とした。1758年、大火事で全村焼失する。その後、火の粉の粉を嫌って「古ノ本」とした。 pic.twitter.com/ScQoJIEfrR

2016-10-15 22:01:44
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

ちなみに相賀(おうが)が「あいが」になったのは、1934年(昭和9)に紀勢本線の駅が「あいが」になったのに合わせたから。国鉄は同じ紀勢線の相可(おうか)と紛らわしいから変えたのだろう(調べてないので根拠なし)。ワイドビュー南紀1号は、相賀駅を通過した後すぐに清流銚子川を渡ります。 pic.twitter.com/a28ELMTbin

2016-10-15 22:11:27
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:40 紀北町/銚子川 ワイドビュー南紀1号が銚子川を渡りました。中学の時、クラスでこの川の河原で2回キャンプをしました。1回目は魚飛渓の手前ぐらいで、2回目は便ノ山あたり。キャンプ場とかはありませんでしたけど。 pic.twitter.com/74qrtD5gCQ

2016-10-16 22:34:18
Ruby & Emmeline @ruby_emy

写真は相賀橋。「魚飛渓」は野地義智の北牟婁郡地誌(1889)によれば「古来名タタル勝地ナリ、川中巨石所々に出没シテ水流滝の如く瀉下(しゃか)ス。常二魚昇ルヲ得ス。歳々春雨潤水漲リ魚波頭二跳テ渓流に溯リ、以テ魚飛ト号ス。」とある。いよいよ巨石がごろごろしだして熊野っぽくなってきた。 pic.twitter.com/IeB7lLKkGB

2016-10-16 22:57:08
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

この銚子川あたりから南にある巨石群は、1400万年前に紀伊半島にあった巨大火山(熊野カルデラ)から噴出してできた溶岩湖が固まってできた熊野酸性岩(花崗斑岩、尾鷲みかげ)が、堆積層をから突き出しているやつだそうだ。なるほど岩だらけなわけだ。これから行く花窟神社も鬼ヶ城もそれらしい。 pic.twitter.com/edWXSAEFn5

2016-10-16 23:10:54
拡大
拡大
拡大

尾鷲市

尾鷲

Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:46 尾鷲駅 ワイドビュー南紀1号は尾鷲駅に到着しました。これから先に行くのは35年ぶりぐらいでしょうか?たぶん九鬼中に軟式テニスの試合に行って以来です。 pic.twitter.com/NKkqPJtv9N

2016-10-16 23:17:55
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

「尾鷲」の語源は不明である。紀伊続風土記には「大輪内(おおわうち/=尾鷲湾)のつまりたるなるへし」と「水地浦は尾鷲の本村なりと里伝にいへれは、山の尾端(おはし)にあるより称したる村名なり」と二説ある。伊能図を見ると水地浦は天満浦の横にあるが、尾鷲発祥の地とはなんだが信じ難いな。 pic.twitter.com/hwVf82Rabe

2016-10-19 21:54:36
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

尾鷲の北側にあるのが天狗倉山。山頂の巨石「天狗岩」は市外からもよく見える。高さ522 mで割と楽に登れて見晴らしがよい。4回ほど登ったが、最後に登った25年ほど前は、「天狗岩」のあたりは荒れ放題で、岩の上には上がれず、せっかくの観光資源が台無しだった。 pic.twitter.com/aRmwDqZX5M

2016-10-19 22:12:14
拡大

訂正:×市外 〇市街

Ruby & Emmeline @ruby_emy

天狗倉山の西側を通るのが世界遺産熊野古道「馬越(まごせ)峠」。西国三十三所名所図会の絵では間越峠となっている。天狗倉山と便石山の間を越えるという意味か?絵には茶屋と岩船地蔵堂があるが、地蔵堂は、現在、老人ホームの横にある。熊野古道ルートからはだいぶ離れているが、移動したのか? pic.twitter.com/Uwq7RucgHs

2016-10-19 22:40:23
拡大
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

9/24 10:47 尾鷲三田火力発電所 尾鷲駅を発車したワイドビュー南紀1号の次の停車駅は熊野市駅。列車は中電の尾鷲三田火力の横を通る。三田火力の「三田」って何だろうなあと思いつつも、調べもせずにいたが、今回、調べてみて驚いた。人の名前だった。元中電副社長の三田民雄の三田。 pic.twitter.com/yeQieadYiX

2016-10-19 22:59:51
Ruby & Emmeline @ruby_emy

台風中継でおなじみ三田火力の大煙突の高さは230m。東電鹿島火力の 231mに抜かれる前は日本一だった。中電の三田民雄氏は、火力発電で夜停止して翌朝起動するDSS(日間起動停止)という技術を開発した中心人物で、その功績から発電所に名前が付いた。ほかにそんな例は知らない。 pic.twitter.com/eUWc675G8V

2016-10-19 23:12:52
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

西国三十三所名所図会の八鬼山の絵だが、分析すると、中央の2つの川に挟まれているところが矢浜(八ノ濱)で街道が通り、畑はあるが人家が無い。手前の川は中川で橋が架かっているが奥の矢ノ川(やのこ)は渡しになっていて、その向こうの向井浦には人家がある。そして左下の山が今は無き瀬木山かな。 pic.twitter.com/SQIdcwhyIP

2016-10-20 21:26:27
拡大
拡大
Ruby & Emmeline @ruby_emy

市政になった頃の尾鷲市の地図によると瀬木山の標高は59.3m。1582年(天正10)、中村山城主仲新八郎は、堀内氏善の熊野水軍から尾鷲を守るため、この山に関山砦を作る。しかし激しい戦いの末、落城、中村山砦も落とされた結果、尾鷲から紀伊長島までが志摩国から紀伊国に変ることになった。 pic.twitter.com/HU5fJgcZoT

2016-10-20 21:52:21
拡大
拡大
拡大
拡大
前へ 1 2 ・・ 10 次へ