1910年頃まであった?福州の琉球館

まとめました。
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黒色中国 @bci_

【中国・福州市、那覇市長に「栄誉市民」の称号】『琉球館など訪問』城間市長は「那覇と福州は琉球王国時代から深いつながりがある。さらなる友好交流発展への思いを強く感じている」などとあいさつした okinawatimes.co.jp/articles/-/799…

2017-01-17 11:30:00
T.Suga @chatabi2010

福州と琉球の交流はあまり知られていないが、極めて重要。なぜ今沖縄ではさんぴん茶が飲まれているのか、この交流が物語っている。 twitter.com/bci_/status/82…

2017-01-17 11:44:10
平良竜次「沖縄まぼろし映画館」発売中 @nextdragon1974

@chatabi2010 @bci_ さんぴん茶の語源は閩南語だと聞いた事があります。

2017-01-17 20:52:02
T.Suga @chatabi2010

@nextdragon1974 @bci_ 私が聞いている限りでは、福州語または福清語が近いという話です。お茶の観点で言えば、さんぴんは香片であり、低級ジャスミン茶を意味します。そしてジャスミン茶が作られていた場所は福州でした。1910年頃には福州の琉球館で、

2017-01-17 22:16:53
T.Suga @chatabi2010

@nextdragon1974 @bci_ 琉球の人によりさんぴん茶が作られていたとの記録もあると聞きました。

2017-01-17 22:17:28
murata koji @murataquang

@chatabi2010 失礼します。興味深いお話をありがとうございます。一点だけよくわからないのですが、琉球館が活用されたのは琉球処分の頃まで、と聞いているのですが、1910年頃にも使われていたのでしょうか。@nextdragon1974 @bci_

2017-01-17 22:38:36
T.Suga @chatabi2010

@murataquang @nextdragon1974 @bci_ 私も人から聞いたので、しかとは分りませんが、琉球館は琉球処分後も細々と残っていたようです。

2017-01-17 22:48:15
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 mag.fznews.com.cn/shtml/fzrb/201… こちらを読むと19世紀末に福州へ武術留学した二人の琉球人を紹介してますが、上地完文は琉球処分後に福州へ渡り1910年に日本へ戻ったとあります。

2017-01-17 22:54:05
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 武術留学と琉球館や茶の栽培は無関係ですが、琉球処分後にも琉球・福州間で人の往来があったのは確かで、琉球館が本来の機能を失っても、琉球人の利用する施設として存続していた可能性はあるように思いました

2017-01-17 22:57:51
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 なぜ1910年なんだろうか…と思ったのですが、たぶん辛亥革命の関係で居づらくなったとか、中華民国に移行する過程で外国人の居留や、在外公館の在り方が見直されて、琉球館も完全消滅となったのじゃないかと

2017-01-17 23:02:39
T.Suga @chatabi2010

@bci_ @murataquang @nextdragon1974 ある方のブログにこんな記述がありました。『古波蔵保好氏の『料理沖縄物語』(朝日文庫)に中国茶のことが載っている。「遠い時代から中国との縁が深かった沖縄の人たちは、好んで中国系の茶を飲んでいた。福建省の福州には、

2017-01-17 23:13:11
T.Suga @chatabi2010

@bci_ @murataquang @nextdragon1974 (続き)琉球王府から赴く使節たちのために琉球館が設けられていたそうで、のちに沖縄の茶商が館を借りて茶をつくるようになり、つくられた茶はもっぱら沖縄で売られる仕組みになっていた、とわたしは覚えている」と。

2017-01-17 23:13:40
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 ありました baike.baidu.com/link?url=NQA52… 「柔远驿」(柔遠驛)は琉球館の正式名称で、琉球処分後に日本政府が清国に接収を求めるも拒否され、日中戦争勃発まで琉球人が継続使用していた

2017-01-17 23:27:54
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 中国側からすると、日本の琉球併合は認められないし、琉球に与えていた琉球館の諸権利を日本に移譲するのも認められないので、琉球王国亡き後も、正式な所有者が未定のまま、琉球人が使用していたようですね。

2017-01-17 23:30:54
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 先程の百度百科の「作用与影响」に「1879年日本が琉球を併呑した後、琉球館にいた琉球人の一部は国へ戻り琉球の救亡運動に参加し、一部の琉球人は福州に戻り琉球館で救国活動を継続した」とありました。

2017-01-17 23:53:16
黒色中国 @bci_

@chatabi2010 @murataquang @nextdragon1974 そのあたりのエピソードは amazon.co.jp/%E3%81%95%E3%8… 大城立裕さんが小説にしているようです。興味が出てきましたので、読んでみようと思います(^^)

2017-01-17 23:54:12
平良竜次「沖縄まぼろし映画館」発売中 @nextdragon1974

@bci_ @chatabi2010 @murataquang 琉球人が救国活動で使っていたことは知っていましたが、まさか日中戦争勃発直前までいただなんて! 俄然興味が湧いてきました。もっと知りたいです。

2017-01-17 23:56:48
黒色中国 @bci_

@nextdragon1974 @chatabi2010 @murataquang 日中戦争勃発…って琉球処分後から58年ですからね。『さらば福州琉球館』によれば、残留した琉球人は王国の官費で生活していたとか…つまりこれって「琉球王国亡命政府」が半世紀以上、福州で継続したのでは…

2017-01-18 00:02:44
黒色中国 @bci_

たまたま何かの勘違いだろうと思いながらも、琉球王国の在外公館が、琉球処分後にどんな経緯を辿ったのか知りたくて調べていたら、思いがけず「秘史」を引っ張り出してしまった。たぶん、琉球処分後~日中戦争勃発までの間に、「琉球館」に住んでいた琉球人の記録って、探せば出てくるに違いない。

2017-01-17 23:34:30