生と死は絶対的な状態差なのか?
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うーん、個体の機能停止は必ずしも死ではない、脳(個体)以外にも意識の乗り物がある、という考えの方が一般的にはオカルトとみなされる考え方のような……? 少なくとも自分にはそう思えるけど
2017-01-23 23:19:12阿蘇さんが「そういう意味で生物的に死んだ後もある程度は「生きている」と言えると思う」と言っているのに対して植村さんが「「彼は我々の心の中で生きている」としても」と応答して、さらにそれに「単に「我々の心の中で」ではなく、もっとリアルな意味でそうだと」返してるあたりが分岐点か
2017-01-23 23:23:17つまり、「ある程度生きている」というのが、「我々の心の中で生きている」というようなある種の比喩的な意味であれば首肯できるが、それ以上のリアルな意味でそうだと言われると、その感覚が共有できない
2017-01-23 23:25:36「直観に反する」ことは認めますが、自然に関する私たちの直観が正しかったことは果たしてあるでしょうか?あらゆる自然物の中で脳だけがなぜか特別で、意識を生み出す機能が備わっていると考える方が、遥かに不可解で非科学的な想定だと思います。twitter.com/sakstyle/statu…
2017-01-23 23:36:55唯名論と実念論の違いですね。私は実念論者ですが、そうじゃない人を説得する難しさを痛感します。twitter.com/sakstyle/statu…
2017-01-23 23:45:06@sakstyle 珍妙な考えであることは自覚していますし、戸惑われるのも慣れています。笑 ツイートだけで考えを整理するのは流石に難しいですね。いつかエッセイか本の形でまとめておきたいなと思っています。
2017-01-24 00:05:16@asonosakan @charis1756 思考というのはそこに個人の因果関係があると私は思っています。そのため相手に伝わるのは思考の中の理論的解釈の部分のみと思っています。 理論的解釈の外側思考から理論を引いて残るものに意識や意志も含まれると。
2017-01-24 00:58:06@ryo_phyro_dai @charis1756 個人間で伝達可能な「理論的解釈」の部分が存在すると認めるのであれば、私たちの間で実は対立点はないのではないでしょうか。その「理論的解釈」の部分こそが、私が「思考」と呼んでいるものだからです。
2017-01-24 11:55:56@charis1756 そうですね、少なくとも魂の知性的部分は不死だと思っています。自分の考えがアヴェロエスの知性単一論に近いことに、さきほど気付きました。
2017-01-24 12:07:48@asonosakan @charis1756 では、思考に意志がないのであれば思考が新しい乗り物を探すことがあるでしょうか? 我々が思考したことが過去の人たちと類似した思考になることはあり得ますが、過去の人たちの思考は残ってもその意識がなければ我々が思考を生きている。
2017-01-24 12:45:46@ryo_phyro_dai @charis1756 思考が新しい乗り物を見つけ出すと言ったとき、私の念頭にあったのは生命の自己増殖のようなもので、思考にそれを生み出した当人の意志が備わっているとは思っていません。
2017-01-24 14:03:39@ryo_phyro_dai @charis1756 そして私の論旨が成立するために、どうしてそのような「意志」が必要なのか、よく分かりません。
2017-01-24 14:05:05@asonosakan もちろん、生の定義にもよりますがそこにはやはり意志が必要なのでは?生を受けるのは個人であり他人ではないです。思考というのはその人が生み出したものの産物であってその人自身の生の一部では無いのでは?そこに意志が含まれるなら私は生だと思います。
2017-01-24 14:14:16思考は伝達可能なくだりを読み返していたときに、それはつまり子どもということなのでは、と思ったらドンピシャだったっぽい。 twitter.com/asonosakan/sta…
2017-01-24 15:32:43遺伝子は、子どもという別の乗り物に伝達されていくわけで、そしてその遺伝子とは紛れもなく親個体の一部を成していた要素であり、親個体が活動停止した後も同一のものが子どもの中で活動し続ける。
2017-01-24 15:36:41@ryo_phyro_dai そもそも私は個人間の境界ってそんなにはっきりしていないと思うのです。例えば以前も触れましたが、思考が本当に個人だけのものなら、どうして個人間で共有可能な「理論」のようなものがありうるのでしょうか?
2017-01-24 15:38:09@ryo_phyro_dai 「我々の思考したことが過去の人たちと類似した思考になることはあり得る」とのことですが、どうして「類似している」という判断ができるのでしょう?もし思考が本当に個人だけのものであるなら、私以外の人間に思考なるものが存在するかどうかすら怪しくないですか?
2017-01-24 15:40:01しかし、一般には、それをもって親であった者がまだ生きているとは言わない(これは昨夜述べた「直観に反している」と同じレベルの議論なので決定的な反論ではないですが)。ある個体の一部分が、元いた場所から離れつつも活動を続ける際に、それは元の個体が連続していると考えるのか、
2017-01-24 15:40:09