クリミア問題の二つの前提「ソ連の国家格付け」と「チェチェン・コソヴォの論理矛盾」

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往古来今(元融点0) @youten0

twitter.com/Conflictwatche… 1)クリミアをロシアがウクライナに返す可能性は、北方領土が日本に返って来る可能性より低い位に有り得ない。クリミアは元々ソ連時代初期にはクリミア自治ソビエト社会主義共和国。ウクライナとは別枠だった。ウクライナ枠になったのは1954年。

2017-02-16 17:43:00
往古来今(元融点0) @youten0

2)ソ連崩壊の時に問題になったこととして絶対に外せない所。↓ 【「共和国」の格を持つ国家は自動的に独立し、そうではない「自治共和国」といった格を持つ国家は独立出来なかった。】 この「格付けの違い」が、チェチェン、ナゴルノ・カラバフ、オセチア、アブハジアの問題の淵源になっている。続

2017-02-16 17:47:24
往古来今(元融点0) @youten0

3)クリミアの場合はどうだったか。クリミアはソ連崩壊時は「州」だった。しかし過去、クリミア自治ソビエト社会主義共和国が設けられていた事から、ソ連崩壊後、彼らはロシアへの帰属を求め、これはまず自治共和国の設立に帰結する。1998年に自治共和国憲法が制定された。続

2017-02-16 17:51:06
往古来今(元融点0) @youten0

4)ただ、「共和国、の格付けが無かったために、国家が設立出来なかった、あるいは帰属先を自分達で決める事が出来なかった。」のは、クリミアに限らず、ナゴルノ・カラバフ、南オセチア、アブハジア、アジャリアなどがある。そして当然チェチェンもそうだ。これはロシアのアキレス腱になっている。続

2017-02-16 17:53:31
往古来今(元融点0) @youten0

5)ロシア連邦政府は、クリミアでは「共和国の格付けが無かったために国家が設立出来なかった地域の住民の意思を尊重する」という理屈を使うが、チェチェンでは「共和国の格付けが無かったために国家が設立出来なかった地域の住民の意思を尊重【しない】」としている訳で、これは確かに矛盾であるが続

2017-02-16 17:55:08
往古来今(元融点0) @youten0

6)では西側諸国がなぜこの理屈の矛盾を攻める事があまり出来ないのかと言えば…セルビア・コソヴォの問題。西側諸国は、コソヴォでは「住民の意思を尊重し、これまでの主権国家の枠組み(セルビアの枠組み)を変更する。」事をやった(2008年~)。これでは「クリミアと何が違うのか」となる。続

2017-02-16 17:59:39
往古来今(元融点0) @youten0

7)バルト三国が「ウクライナの次はウチがやられる、なぜならロシア人が沢山居るから」と言っていたり、外からもそう論評されたりしているが、私は「それは無い」と思っている。バルト三国にはコーカサスやウクライナにおけるような、「共和国の格付け問題」が国内に存在しない。それに続

2017-02-16 18:02:37
往古来今(元融点0) @youten0

8)それなりにロシア人が多数住んでいる中央アジア諸国では、全くロシア軍が侵攻する気配すら無い。…「ウクライナをロシア軍が侵略している!」と見る向きもあり、実際親露派に武力支援しているのは明白であるが、クリミア以上の領土獲得をロシアは望まないだろう。望んでいたらもうとっくに獲得済続

2017-02-16 18:04:24
往古来今(元融点0) @youten0

9)ウクライナには、将来親露派に転じる可能性がまだ十分残されている。あの国は「親露」「反露」の振り子で政治が決められて来た。それ以外の政治的枠組みを獲得し得なかったのがウクライナの不幸でもある。EUが大混乱に陥っている今、ウクライナ政府が親欧姿勢を維持出来るかは不透明だ。続

2017-02-16 18:07:49
往古来今(元融点0) @youten0

10)コーカサスで8月戦争が起きた2008年。コソヴォが独立宣言をした2008年、すなわち2008年というのは、「国家の独立承認」について、かなり重要な年だったと言える。2008年を境に、ロシアも西欧も、「国家の承認」について、大変な論理矛盾を抱えてしまった。続

2017-02-16 18:10:54
往古来今(元融点0) @youten0

11まとめ)クリミア問題を理解するにあたっての2点の前提 ◇ソ連崩壊時、「共和国」の格を持つ国家は自動的に独立し、そうではない「自治共和国」「州」といった格を持つ「国家」「地域」は独立出来なかった。 ◇ロシアはチェチェン、西欧はコソヴォという、論理矛盾を双方抱えている。

2017-02-16 18:16:17