私の「法と科学」に関するメモ

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私のツイート

闇のapj @apj

@kamatatylaw この間、ニセ科学に関連して shiminshakai.net/wp-content/upl… を書いたのですけど、研究不正でも当てはまると思います。科学としては誰が何をどこまで示せばOKなのか、という基準を共有できないといろいろ困ったことになります。

2017-02-20 11:34:11
闇のapj @apj

@kamatatylaw ただ、常に、科学としては誰が何をどこまで(以下略)、という基準を常に裁判に持ち込むことにすると、相当因果関係をもってきて被害者救済、というテクニックに差し障る可能性もあり、どうやってうまいこと判断基準を入れるべきかというのはよく考えないといけない。

2017-02-20 11:35:55
闇のapj @apj

@kamatatylaw 科学の側からしても内容そのものに裁判所が踏み込んで来られると逆に困るわけで、条文がなければ慣習に因る、って具合に、科学での判定基準をソフトに入れられないかとは思うんですね。科学の方で大体、これはだめ、これは大丈夫、とわかっているものに限りますが。

2017-02-20 11:38:48
闇のapj @apj

@kamatatylaw 以前、「法と科学」という研究プロジェクトがありましたが、あれは、科学の側がまだ不確実(トランスサイエンス)かつ政策提言の意味合いが強い(争いになるなら行政訴訟)を主に想定しているように見えます。トランスサイエンスではない場合はまた別の考え方があるかと。

2017-02-20 11:40:39

小倉弁護士からのリプ

小倉秀夫 @Hideo_Ogura

カドミウムを人体の大量に投与するとどうなるか実験によって確かめられていない以上、カドミウム廃液とイタイイタイ病との間に因果関係を認めることは出来ないとして「被害者」からの請求を棄却するのが、科学の側からは理想的な裁判ですよね。RT @apj:

2017-02-20 12:14:27

結論

 片瀬さんについたのとそっくりなリプが来たと思っていいんだよねこれ。

 小倉弁護士、20年くらい前の「人工無脳」と化してませんか(うすうす気づいてたけど……)。これじゃあ建設的な議論は無理でしょう。

 以下私の現時点での問題意識というかメモ。

 裁判で科学を使う時に、全面的に科学の基準を採用しちゃったらまずいことくらいはとっくにわかってる。その上で科学の判断基準をすんなり受け入れてもらった方が良い場合にはそうしてもらい、かつ、これまでに確立した相当因果関係使っての救済とぶつからないようにするにはどうしたらいいか。ただしトランスサイエンスではないケースについて、ってのが、ずっと私が考えてること。

 今具体的に困ってるのは、
(1)根拠のない宣伝をして物を売る行為の差し止めや被害回復に使いたくても、景表法4条2項の運用指針がそのままでは使えない(行政が待ったをかけても良い時の基準になってるだけ)。
(2)ニセ科学や科学研究のねつ造に関連した巡る名誉毀損訴訟。
(3)ねつ造に関連し、解雇等の処分を受けた場合の、告発側と告発された側の、処分をめぐる争い。
(4)医療過誤

(1)は多分、返金解約に限って認めることにすれば大丈夫なのではないか。買った物による被害発生の場合は、消費者側が立証できなければ相当因果関係で処理する必要が生じるし、事業者側に安全を証明する責任を別途条文で負わせておく必要があったりするので、別の争いになる(単なる返金解約じゃ済まない事件になる)。

(2)は科学の基準でいってもかなり安全そう。ただし、次の(3)に絡んで名誉毀損事件が同時に走ると、矛盾する判断が出てくる可能性がある。

(3)は微妙。過去の公害事件などで「間違った」原因を主張した研究者もいた。次に類似のことが起きたとすると、「公害事件の調査にねつ造があった」という内容での研究者間の告発→懲戒処分をめぐる争いと、公害事件本体の被害者救済がねじれる可能性がある。でもって、この手の告発が政治闘争になることは容易に予想されるから、ついでに名誉毀損も追加で、となるのもお約束の展開かもしれない。ただ、間違った、原因が不十分な調査だということになると、それはトランスサイエンスのケースになるから、扱いも別になりそう。
 思い切って、名誉毀損の言論の内容を判断するについては科学の基準を採用するけどそれ以外の救済は相当因果関係有りでいく、言論の応酬はどこまでなら良いかということと現に生じている被害の救済は別の話だから別の基準を適用してもかまわない、と割り切ってしまうという解決策もありそう。

(4)誰が見てもわかるはっきりしたミスなら争いにはなっても判断基準があいまいにはならないだろうけど、必ずしも結果が保証はされないケースだと……どちらかというとトランスサイエンス扱いになるのか?

 とにかく、じっくり時間をかけてどういうことがあり得るか整理してみないとですね。

追記

※条文の番号打ち間違えていたので訂正(失礼)。あと、景表法だけ例にしたけど、特商法の6条の2も同じ内容で、運用指針もほぼ同じ。

裁判官に科学を教え込めという話は、私は最初からしていない。

そうではなくて、効果効能やら新規な自然現象を確認したという部分に限っては、科学の世界と同様に、それを主張する側に証明責任を負わせるということをやっていいかどうかという話。

 そうすると、事業者側が情報持ってて当然の、インチキ宣伝で健康食品売ってましたなんて場合については、事業者側に証明責任を課して、科学で成果と認められるものがあるかどうかを基準として判断し、出せなければ消費者の方を保護するのが良いと思うが、現状ではこの部分が不十分だと私は考えている。まず、消費者保護については、消費者本人が何とかしようと思った時に列挙された販売方法の場合だけしか使えない。もう一つは「消費者」の範囲の問題で、事業をしているけど当該商品については事業内容そのものとは関係せず判断においては素人と変わらないという場合に、消費者としては保護されなさそう(一気にハードルが上がるところ)。さらに、素人の寄せ集めの、たとえばマンション管理組合なんかが騙されると、現状では厳しいことになりそう。こういう理解をしているので、もうちょっとなんとかならないのかしら(つまり合理的根拠を提出する責任を常に売る側に課してはいけないのか)と考えている。

ところが、その一方で、公害問題等のように、事業者側が情報持ってて被害者が因果関係を証明するのが著しく困難な場合にまで同じ基準にすると、救済ができなくなってしまうので、相当因果関係でもって(科学としてのメカニズムの詳細は不問として)救済するという技術が既に確立している。これは崩すわけにはいかない。というかこれを崩すような形で科学の判断基準を入れてはいけない。

 じゃあ、科学に関連した論争をやっていてエスカレートして名誉毀損にまで至った場合はどうか。免責要件は、公共性、公益性、真実性あるいは真実相当性が必要になる。ことさらに相手を罵ったり侮辱したりしたので無い限り、公共性と公益性は大抵はOK。問題は真実性あるいは真実相当性。科学の場合は(分野にもよるけど)論文が出て別グループの追試があってまあそこそこ真実らしいということになる。人間のすることだからその時代のその技術で、って限界はあるけどそれは仕方がない。だから、科学の側の基準を満たしていない議論は科学として確定してないから広く一般人に知らせるとデタラメを振りまく結果になりかねない。それを批判したとして、批判した側に全面的に証明責任が課されたら、批判する側は実験してからでないと批判できないということになって不合理。それならば言論については「原告の科学の主張の内容が科学の手続きに沿ったものではない」ことを示せば、批判の内容の真実性あるいは真実相当性が認められるということをもう少しスタンダードなものにできないか、ということが私の問題意識なんです。
 こういう場合に裁判所が好みそうな判断の仕方は、まだ(科学として)論争がある(←論争があることそのものが認定事実)ので批判すること自体に根拠(真実性あるいは真実相当性)がある、という形になるんだろうけど、これだと、インチキ振りまいてる側が対等な論争をしている(∵裁判所で対等に扱われたから)という宣伝をやりかねない。あとほんのちょっとだけ科学の基準によってもらえれば、つまりまだ科学としての充分な証拠が出ているといえないから(運用指針の合理的な根拠に書かれたのと同じ基準で)、とやってもらえると助かるのになあ。

 今のところはこんなことをあれこれ考えている。基準変えた結果想定外の副作用が、というのもあり得るので、影響がどうなるかをいろいろ思案しているところ。