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【文豪とアルケミスト】文豪ゆかりの地、横浜を訪ねる【文学散歩・舞台探訪】

2017年3月30日・31日、横浜市において、「文豪とアルケミスト」に登場する文豪ゆかりの場所を巡った時の写真です。 補足説明なしバージョン → https://twitter.com/i/moments/853257313850871809
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吉川英治「忘れ残りの記」『吉川英治全集(46)』講談社 1984年 65〜66, 104頁
cf. 横浜近代文学研究会(編)『吉川英治と明治の横浜』白楽 1989年 23〜26頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【ニューオデオンビル】 ここにはかつてオデヲン座という映画館がありました。1911年開業の洋画専門の老舗映画館で、1926年冬に芥川龍之介が、1937年には中島敦も何度か訪れたようです。何度かの改称・閉館を経て、今はドン・キホーテ伊勢佐木町店がテナント入りしています。 pic.twitter.com/7jpuRICgaI

2017-04-15 02:09:39
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 芥川龍之介は夫人の文、友人の小穴隆一とともに、イタリア人俳優ルドルフ・ヴァレンティノの遺作となった「熱砂の舞」という映画を観たようです。この時の芥川は「かうやつて死んだ者がまだ動いてゐるのをみてると妙な氣がするねえ」と感想を漏らしたそうです(小穴隆一「影照」『二つの繪』中央公論社 1956年 144〜155頁)。
 中島敦の手帳によると、中島は1937年には少なくとも3回、オデヲン座に足を運び、4月14日にジャック・フェデーの「女だけの都」を、11月24日にパール・バック原作の「大地」を観たらしいです。5月4日にもオデヲン座に行ったようですが、何を観たかは定かではありません(中島敦「手帳(昭和十二年)」『中島敦全集(3)』筑摩書房 2002年 402, 407頁)。それと、日時不詳ですが「会議は踊る」も妹・澄子と観に行ったと思われます(折原澄子「兄への便り」『中島敦全集 別巻』筑摩書房 2002年 215頁)。
 あとそれから、そもそもオデヲン座で観たかどうかもわかりませんが、堀辰雄は1938〜39年の冬、降り始めた雪を見に横浜まで散歩に出かけ、そのついでに"映画館"でジュリアン・ディヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の「望郷」を観たようです(堀多恵子『堀辰雄の周辺』角川書店 1996年 88頁)。

…と、いったところで、一日目は終了です。

二日目(2017年3月31日)

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【横浜YMCA】 1921年3月4日、「常盤町青年会館(たぶん、常盤町1丁目の横浜基督青年会館、現横浜YMCAのこと)」で、武者小路実篤が「新しき村」に関わる講演したようです。ちなみに、ここの近くには「神奈川県電気発祥の地」の碑やベイスターズ優勝記念のモニュメントがあります。 pic.twitter.com/JllguSessq

2017-04-15 22:42:20
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cf. 「年譜」『武者小路実篤全集(18)』小学館 1988年 520頁; 松信太助(編)『横浜近代史総合年表』有隣堂 1989年 411頁

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【蓬莱町1丁目】 この周辺は「大通り公園」として整備されていますが、かつては「吉田川」という川が流れていました。川岸の—道路を挟んで北側の—蓬莱町1丁目にはメソジスト教会がありまして、1921年10月26日、実篤はこちらの教会でも講演を行いました。 pic.twitter.com/j2J1gXMoQ8

2017-04-15 22:49:55
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cf. 「年譜」『武者小路実篤全集(18)』小学館 1988年 521頁; 松信太助(編)『横浜近代史総合年表』有隣堂 1989年 419頁

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【吉川英治が奉公した場所②】 神奈川県立歴史博物館近くの「石橋ビル」です(前の日に撮ればよかったのですが、すっかり忘れていました)。かつて少年時代の吉川英治が働いていた印刷所「南中舎」があった場所です。 pic.twitter.com/gp3DD2yxTk

2017-04-15 22:52:42
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吉川英治「忘れ残りの記」『吉川英治全集(46)』講談社 1984年 85〜94頁
cf. 「年譜」『吉川英治全集(46)』講談社 1984年 433頁; 尾崎秀樹『横浜の作家たち』有隣新書 1980年 172頁; 横浜近代文学研究会(編)『吉川英治と明治の横浜』白楽 1989年 27, 29〜30頁

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【吉田橋、通称「鉄の橋」跡(関内駅前)】 1869年に架けられた吉田橋は「鉄の橋」と呼ばれ、日本で2番目にできた鉄製の橋でした。この橋の近くに「関川歯科医院」という歯医者さんがあったらしく、当時17歳の吉川英治はそこの娘さんが「[竹久]夢二の少女みたい」に見えたとか。 pic.twitter.com/NrVwykyLGD

2017-04-15 22:58:52
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吉川英治「忘れ残りの記」『吉川英治全集(46)』講談社 1984年 118頁

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【伊勢佐木モール入口】 あと、明治学院を卒業した島崎藤村がしばらく手伝いで働いていた雑貨店「まからずや」があったのが、いまのブックオフプラス横浜伊勢佐木モール店でした。ブックオフを撮影するのをすっかり忘れていたので、とりあえず伊勢佐木モール入口の写真のみアップロードしておきます。 pic.twitter.com/t0ICp8v672

2017-04-15 23:00:13
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 藤村はここでの経験を踏まえ、短編小説「雑貨店」を書きました(島崎藤村「雑貨店」『藤村全集(3)』筑摩書房 1967年 363〜370頁)。cf. 「藤村年譜」『藤村全集(17)』筑摩書房 1968年 560, 577頁; 下山嬢子『島崎藤村』勉誠出版 2004年 24頁

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【田山花袋と横浜】 さて、実は今回撮影した横浜の観光スポットをほぼ全て歩きつくし、旅行記のなかに書きとどめた文豪がいます。田山花袋です。『旅』や『日本一周』といった彼の旅行記の中では、海沿いのホテル、中華街、山手の洋館などなどが紹介されています。

2017-04-15 23:04:37
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【桜木町駅】 続いて関内駅から横浜駅へ。谷崎潤一郎も利用し、尾崎紅葉の『金色夜叉』にちょっとだけ出てくる桜木町駅(初代横浜駅)も撮影しておくべきだったかもしれませんが、今回はパスしました。以前桜木町に立ち寄った際に撮影した写真と、ウィキメディアの画像を一緒に載せておきます。 pic.twitter.com/nvKknxm6Ki

2017-04-15 23:09:23
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図版出典: Wikimedia Commons「Yokohama Station 1800s」
尾崎紅葉「金色夜叉」『紅葉全集(7)』岩波書店 1993年 84頁
谷崎潤一郎「映畫雑感」『谷崎潤一郎全集(22)』中央公論社 1983年 101頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【神奈川公園】 横浜駅から徒歩約10分、国道15号線沿いに「神奈川公園」があります。『横浜近代史総合年表』によると、1932年3月2日、小林多喜二は公園内にあった「神奈川会館」で文学講演をしたようです。 pic.twitter.com/acInb4C9sm

2017-04-15 23:12:09
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cf. 松信太助(編)『横浜近代史総合年表』有隣堂 1989年 499頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

と、いったところで、一日半かけてあちこち回りました横浜文学散歩は以上です。このほか泉鏡花の「継三味線」、徳田秋声の「あらくれ」、太宰治の「トカトントン」といった文学作品の中にも(具体的にこのお店・この場所というものではありませんが…)「横浜」という地名を見つけることができます。

2017-04-15 23:16:16
アザラシ提督 @yskmas_k_66

以下、今回の参考文献の紹介を。

2017-04-15 23:18:29
アザラシ提督 @yskmas_k_66

【参考文献①】 ・笠原實『横浜の文士たち』公孫樹舎 2008年 ・樫原辰郎『『痴人の愛』を歩く』白水社 2016年 ・神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会(編)『神奈川県の歴史散歩(上) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社 2005年

2017-04-15 23:18:59
アザラシ提督 @yskmas_k_66

【参考文献②】 ・金子幸代『鷗外と神奈川』神奈川新聞社 2003年 ・鈴木俊裕『改稿 横浜文学散歩』門土社総合出版 1993年 ・田村明『都市ヨコハマ物語』時事通信社 1989年 ・原島広至『ワイド版 横浜今昔散歩』KADOKAWA 2014年

2017-04-15 23:20:19
アザラシ提督 @yskmas_k_66

実際の町歩きの際に重宝したのは『神奈川県の歴史散歩(上)』と『ワイド版 横浜今昔散歩』。前者は横浜の歴史的な建物や碑を探すのに、後者は昔の彩色絵葉書が撮影された場所は果たしてどこなのかを割り出したり、現在はどうなっているのかを比べる際に便利でした。

2017-04-15 23:21:15
アザラシ提督 @yskmas_k_66

神奈川公園を撮影した後は横浜駅に戻り、東海道線の下り電車に乗りまして、大磯と茅ヶ崎へ。こちらでは島崎藤村国木田独歩の終焉の地を訪ね歩きました。

2017-04-15 23:22:36
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