シャノワールという猫

深夜の即興小説です。
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さささ @sasasa3397

友人の近頃飼い出した猫は、白の雑種の雌猫で、西洋の血が混じっているのか半端に毛が長く、いつもふさふさとしている。名をシャノワール。「ノワールと言ったら黒色だろう。白猫につけるには色が勝ち過ぎていないか」とそう言ったら、「何、こいつを拾った時のことだよ」と彼は話し出した。

2017-05-10 01:41:11
さささ @sasasa3397

彼は街角でショーウィンドウを覗いていたのだそうだ。店先の帽子がなかなかだ。さてはて、黒と灰と、どちらが良いだろうか? 彼が暫し考え込んでいたところ、足元から突然声がした。「のわある」見ると、薄汚れた白い猫がジッと青い目で彼を見上げている。「おかしかったね、あれは」

2017-05-10 01:45:16
さささ @sasasa3397

「白なのに黒と言うのも冗談の様だったし、人間の買い物に口を出すのも生意気で良かった。僕はそいつにしゃがみ込んで、お前家はどこかい、と尋ねたんだ」猫は答える。「のわあ」Nowhereとも聞こえるじゃないか、と彼はさらに愉快そうだった。日仏英三ヶ国語の御猫様だ、と。

2017-05-10 01:47:57
さささ @sasasa3397

僕はその手の洒落はピンと来なかったから、ただひとつ心配であったことを聞いた。「しかし猫なんぞ飼って、健康には平気なのかい」「ああ、医者も好きになさいと言ってくれたよ。家族も説得したら諦めたようだ」寝台に横になったままの友人は言う。彼は気管と肺を病んで、ここしばらくは寝たきりだ。

2017-05-10 01:50:41
さささ @sasasa3397

そう。シャノワールを拾って帰った日が、彼の最後の長い外出になった。医者と家族が猫を許したのは、もう手の施しようが無いからだ。最後の我儘、という事だったのだろう。彼もそれを知っていたはずだ。折角買った黒の帽子は、箱に入れられて部屋の隅。猫は病気の主人に構わず寝台の足で爪を研ぐ。

2017-05-10 01:53:13
さささ @sasasa3397

「こいつを見ていると、自分があちこちで暴れている様な気がするよ。とても痛快だ」破けたカーテンを見て彼は笑う。笑ってから咳をした。「なあ君。僕に何かあったらその時はシャノワールを頼むよ」僕は頷いた。頷かざるを得なかった。下手な励ましは出来ぬ程に彼の病状は悪いと聞いた。

2017-05-10 01:57:34
さささ @sasasa3397

その後程なくして、彼は息を引き取った。苦しげな最期だったと聞き及んでいる。僕は葬式に出、真新しい黒の帽子と籠入りの白い猫を彼の家族から受け取った。「のわある」成る程、黒と鳴くのは本当だった。僕は甘えた様に鳴く籠を下げ、家路を辿る。途中、ふと思い立って猫に声をかけた。

2017-05-10 02:01:26
さささ @sasasa3397

「シャノワール。奴は今どこに居ると思う?」「のわあ」Nowhere、の言葉遊びが、沁みるように思い出された。僕は笑いながら、無神論者であるらしい黒い白猫と帰宅した。

2017-05-10 02:04:27
さささ @sasasa3397

その後も猫は、僕の家で立派に太って元気で居る。家具を研ぎ散らかし、家族を時折閉口させているけれど。不思議なことに、服の色に迷っている時など、シャノワールはするりと現れていつもの様に「のわある」と一言だけ鳴く。僕はいつもその声に従い、黒を纏う。

2017-05-10 02:07:05
さささ @sasasa3397

それが、今はもうどこにも居ない友人を思い出すための、ひとつのよすがになる様な気がしているのだ。

2017-05-10 02:07:50