選ばれなかった人類最悪のマスターの未来捏造

壁打ち @y0m0ya

「だからいなくならないでね」 黒々と、瞳の奥で揺蕩うものを見た。ええ、と答える。幾ら嘘をついたところで、痛む心臓などない。偽りの世界で生きる彼女を、一体誰が非難できただろう。何もかもの負債を彼女ひとりに放り投げた人類全ての傲慢によって、彼女は今日も生き、笑っている。

壁打ち @y0m0ya

拘束された手をひらひらさせては、何も知らないかのように笑っている。曰く、突然、肌のあらゆる箇所を掻き毟る。あるいは、突然、爪を剥ぐ。それをなんの苦痛もなさそうにしてベッドを血塗れにするので、身体に負担のない最低限の拘束をして保護していると聞いた。

壁打ち @y0m0ya

「全部がなかった事になって、この世のどこにも残らないとしても、───そこに在ったものを、否定したくはないんだよ」 遠い日の藤丸立香の言葉を参照する。かつて、否定しない為に人類悪となった彼女がいたように、今ここには、否定しない為に白痴になった彼女がいる。

壁打ち @y0m0ya

否定しない為に、結局おまえはおまえを壊したのだ。壊し方が異なっただけ。こんなところでひっそりと、誰を傷付ける事もなく淡々と、おまえはおまえを殺してしまった。藤丸立香はここにもいない。ここにいるのは、残骸だ。残骸でも、充分。早く亡骸になれば良い。そうすれば自分が持ち帰ってやれる。

壁打ち @y0m0ya

今までの記録に則るならば、この残骸は病死する。なんの病で死ぬかは判らない。否、この程度の情報で、私の知ろうとした事を知れない道理はない。ただ、そもそも存在しない病を知る事はできない、というだけの話だ。存在しない病に殺される残骸。明らかに人為を企てられたその亡骸。

壁打ち @y0m0ya

親類で亡骸の引き取り手は現れず、代わりに違う団体がやって来る。やってくる団体はその世界によって異なる。末端の末端、下請けの下請けに過ぎないのだろう。そうしてばらばらにされてゆくのだ。悪意によって、1cm四方の皮膚さえ余さず切り分けられ、分配されていく。

壁打ち @y0m0ya

だから先に引き取らなければならない。そうすればまっさらな亡骸を得る事ができる。後は最低限の処理をして、聖杯を埋め込んで、それから。それから、など、ない。それまで、と表現するべきだろう。未来がないのだ、こんなものには。未来を救ったのに、未来を用意されなかった哀れな亡骸。

壁打ち @y0m0ya

空を見た。満月だ。地球から見た、月。風はない。月を見ていた。 「面会時間は過ぎてるよ」 明瞭な、声だった。

壁打ち @y0m0ya

窓の外を見たまま、こちらを向かないので、その表情は判らない。しかしはっきりと彼女はそう言った。それまでの間延びした声でもなく、かつてと同じような明朗さを以て、声は響いた。 「花束をありがとう。私には過ぎたものだった。美しいものだった。君もね」 「貴女の救った世界、綺麗でした」

壁打ち @y0m0ya

彼女はようやく、こちらを見る。笑っていた。いつもの空っぽな笑顔ではない。けれどかつての快活な笑顔でもない。下手くそ、と言おうとした。こんな時に上手に笑えないなら無理に笑わなければ良いのに。 「人間を、赦して欲しい」 そう言って、窓を開けて。飛び降りていくのを、眺めていた。

壁打ち @y0m0ya

鈍い音が響いた。少しばかりの風が吹いた。カーテンを揺らし、満月を隠す。この亡骸も使えない、と判断する。次の観測地を探した。 （恨み事でも、あるいは弱音でも吐くなら、これっきりにしたのに） やめ時を失ってしまったらしかった。自分はほとほと運がない。

壁打ち @y0m0ya

九十二度目の二〇一九年。私はそれを思い出す。 ベッドの傍には花瓶がある。ついこの間持ってきた花が飾られている。 花見はきっと、一生する事はないだろう。

過酸化＠次は9/22歌姫庭園 @h2o2_178

「選ばれなかった人類最悪のマスター、その後の悠々自適なセカンドライフ」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1256031