■社会に衝撃的な事件が起こるとその事件と(部分的にでも)類似する内容を持つ映画(『ヒアアフター』など)を上映中止にすることについての合理性はなにかを今一度考えようと思う。
2011-03-15 20:10:08■上映中止は配給か興行が自らの判断で自主的にやっていること。上映中止にすれば当然そこから得られる収入はない。わざわざ不利益な選択をする理由は何だろうか? これはこの業界に入った時から不思議であった。
2011-03-15 20:22:44■例えば『ヒアアフター』の上映中止(終了)に対する怒りも色々だ。『ヒアアフター』は津波の映画ではなく、津波というアクシデントによって死に限りなく近づいた人間が復活する話である。だから今回の津波と絡めるのはおかしい。また、そもそも映画と現実は別だから関係ないだろうというもの……。
2011-03-15 20:26:17■映画というのは基本的に観る/観ないの判断は観客に委ねられている。スウィッチを入れた途端に映像が飛び込んでくるテレビとは違う。
2011-03-15 20:29:21■『ヒアアフター』には冒頭に津波のシーンがあることは、これから映画を観る人間は予備知識として大抵知っている。心配ならば入り口にそう但し書きを入れればいい。一方、今、被災地の現状を知るためにテレビをつけた人が、津波に街が飲み込まれるショッキングな映像を回避するのは事実上不可能だ。
2011-03-15 20:30:57■これに対して中止を妥当だとする人の意見の代表は「当事者の気持ちを考えると上映できないだろう」というのが代表的だ。一言でいえば不謹慎ということになる。
2011-03-15 20:33:16■一見すると、上映しろ派は論理的、上映中止派は情緒的に見える。しかし、映画は自粛を強いられる方へと押し流されることが非常に多い。それはなぜだろう? まずテレビは報道=事実を伝えるという錦の御旗がある。一方、映画は基本的に「お楽しみ」だ。
2011-03-15 20:38:49■映画というのは基本的に、例えば恐竜に追いかけられ逃げ惑う人など、厄災を見て楽しむという側面があるのは否定できない。ハッピーエンドや勧善懲悪でバランスを取っているが、映画というのはもともと不謹慎といえば不謹慎なものなのではないか。
2011-03-15 20:41:04■しかし「不謹慎」を振り回して攻められると、映画というのは白旗を揚げて全面降伏せざるを得なくなる。言葉としてはっきり自覚しているかどうかはともかくとして、映画業界の人達は自分たちは不謹慎な商売をしているのだとどこかで思っているのだ。
2011-03-15 20:56:07■では、不謹慎な映画人が頼りにしているのは何か。それは「表現の自由」だろう。不謹慎が人間の奥底に潜んでいるものならばそれを表現する自由がなければ人間性を抑圧することにつながる、と僕らは信じているのである。
2011-03-15 20:58:16■この「不謹慎」と「表現の自由」がせめぎ合う時、映画業界は空気を読むのである。論理で反論しようとは思わない。大体、不謹慎だと抗議してくる人は大抵その映画を見ていないことが多いらしい。大事なのは空気だ。
2011-03-15 21:00:23■ただ、空気を読んで行動するということは、その行動に論理的な裏付けができないということでもある。当然「なぜ、中止なんだ?」という疑問が起こる。そしてその疑問に答えることはそもそも不可能なのだ。だって空気だもん。
2011-03-15 21:02:22■たとえば『唐山大地震』の上映が延期になった。中止ではなく延期というのが空気を読んでいる証拠だ。空気が変わるのを待つ作戦である。http://www.tozan-movie.jp/index.html
2011-03-15 21:05:29■では、この空気にあがらって論理を通す態度は不可能なのか。それは日本においては空気の支配力が非常に強く、プラマイゼロ以下の効用しかないと企業は判断せざるを得ないのだろう。空気にあがらうのは基本的には損だという空気があるのである。そして大抵、延期や中止した方が得だと判断する。
2011-03-15 21:08:28■『ヒアアフター』なんかは上映から数週間が経過している。上映直後なら迷っただろうが、ある程度興行数値も見えた収束した今は引っ込めた方が合理的だという判断なのだろう。
2011-03-15 21:10:00■では、僕はこの複雑な合理性が好きかというとあまり好きじゃない。不謹慎な方が好きです。この時期にこの連投tweetはまさに空気を読んでいない不謹慎な映画屋ものです。適当に空気は読みますが、基本的には不謹慎です。
2011-03-15 21:11:18