仙台で被災後、都内に戻った大学生による状況報告他

偉そうに色々と書いてしまいましたが正直僕もまだ混乱しているので、僕自身がこれを通して何を伝えたいのか分かっていません。 現地で実際に被災し、そして今は東京にいる人間として見てきたこと、考えたことを記しておくことは一種の義務なのではないかと考えこのような形を取らせて頂きました。 気に障る文言があった方に対しては謝罪致します。 続きを読む
149
原口 悠哉 @yuuya1986

海にほど近い宮城県塩釜市に3/9〜3/14まで滞在後、自動車で大宮まで送って頂き帰宅しました。何を伝えたいのか自分でもよく分からないのですが被災状況を記しておくことは一種の義務であるとも考え、長文となりますが現地での出来事を書いていきます。

2011-03-16 14:03:53
原口 悠哉 @yuuya1986

3/9の昼頃、自動車免許合宿に参加するため仙台駅に到着しました。その直後大きな揺れがあり、翌10日にも大きな地震が数回発生しましたが通常通り教習を行っており、また、地震が多い土地柄、宮城県民はしっかりと備えを行っている、ということも伺っていました。

2011-03-16 14:05:42
原口 悠哉 @yuuya1986

3/11、地震が発生し、塩釜市では震度6強を記録。教習所1Fの机の下に隠れていたのですが横滑りしてしまうほど強い揺れが数分続きました。ただ、この段階では実家が横浜であるため大きな地震を何度も経験していたせいか、それほど強い危機感を持ってはいませんでした。

2011-03-16 14:06:43
原口 悠哉 @yuuya1986

本震が落ち着いたあと、3Fに集まりました。通いで教習所にいる人達は実家の安否が確認できずとても不安そうでした。携帯の電波が地震後数時間は届いていたので、それを使ってTwitterでの情報確認、近しい人へ生存報告を行いました。

2011-03-16 14:07:02
原口 悠哉 @yuuya1986

大きな余震が続く中友人と共に周りへの声掛けを行いつつも、同じ日に合宿に来た2組が心配であったためホテルに一度帰ることにしました。しかし、階段を降りている最中に「津波が来ている」とのことで、また3Fに戻りました。

2011-03-16 14:07:23
原口 悠哉 @yuuya1986

その直後、津波があっという間に押し寄せてきました。水位はどんどん増し、目測ではありますが最終的には1.5m〜2m程度?までは水位が上がりました。もう少し教習所からの出発が早ければ死んでいたかとも思います。 http://bit.ly/gHBA9k

2011-03-16 14:09:49
原口 悠哉 @yuuya1986

22時頃、教習所からバスを出して頂き、ホテルに帰ってくることができました。多くの道が寸断され普段は5分程度でたどり着く道のりに20分程度?要しました。窓から見た道路は瓦礫に溢れていました。

2011-03-16 14:10:19
原口 悠哉 @yuuya1986

ちなみに僕達の滞在していたホテルは1階部分が多少冠水しただけだったのですが、合宿者用のもう1つのホテルはベッドの上の壁も崩れ、冠水のため危険区域にも指定され、しばらく戻ることは出来ませんでした。

2011-03-16 14:10:43
原口 悠哉 @yuuya1986

ホテルでは固定電話が使用可能であったため、改めて近しい人に電話を行いました。また、多くの人がひしめき合う中、前記した2組と合流し、ホテルの3階にてシーツにくるまり余震が続く中就寝しました。

2011-03-16 14:11:08
原口 悠哉 @yuuya1986

翌日、外は悲惨な状態となっていました、ガス・電気・水道は全て使えず、道路はヘドロに覆われ、昨日は使えた固定電話も夜には使えない状態です。車も電信柱に折り重なるような状態となっていました。 http://bit.ly/fg0e4v

2011-03-16 14:13:13
原口 悠哉 @yuuya1986

また、近所の店舗には略奪の跡があり、それを妨げるためのバリケードも設置されていました。近くに開店していたコンビニもあったそうですが、割れたお酒の匂いが充満する中大勢の人が並んでおり、買い物にはかなりの時間を要したようです。http://bit.ly/gDQbJ9

2011-03-16 14:15:04
原口 悠哉 @yuuya1986

塩釜中央自動車学校・グランドパレス塩釜の方から食料の提供を受けており、少なくとも1日1度はご飯を食べられていました。寝床が確保できていたこともあり、とても恵まれた環境でありました。近くの市役所で食料配給を受けるには長蛇の列に並ぶ必要がありました。

2011-03-16 14:15:31
原口 悠哉 @yuuya1986

電気が全く使えない状況なので夜は真っ暗かつとても寒く、寒さで目が覚めたことも何度もありました。当然信号も機能していないのですが、その状況にも関わらず皆が譲り合い、事故などが起こらなかったことに感動していました。

2011-03-16 14:16:26
原口 悠哉 @yuuya1986

水が使えないということで、トイレなどの衛生環境は日に日に悪化していきました。「トイレが汚いから行きたくない・食べないし飲まない」という方達も多かったです。

2011-03-16 14:16:47
原口 悠哉 @yuuya1986

また、12日の時点では携帯・PHS・固定電話・公衆電話も全て使えませんでした。唯一の情報源はラジオでしたが、死亡者数がどんどん増えていくさまをずっと聞かされていると気が滅入ってしまい、次第に聞かなくなってしまいました。

2011-03-16 14:17:03
原口 悠哉 @yuuya1986

13日の夕方、教習所の方が15名ほどの合宿参加者をバスで東京まで送ってくれる、ということをホテルの方から伝え聞きました。何も出来ず逃げ帰るだけの自分、僕達のことをとても気にかけてくださる現地の方への申し訳なさと感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。

2011-03-16 14:17:24
原口 悠哉 @yuuya1986

14日0時頃、バス2台・運転手4名の体制で東京に向け出発しました。避難先のほど近くには電気がすでに通っている地域もあったことに驚きました。死亡者の数を読み上げるだけでなく、そういった情報を提供してもらえればと感じました。

2011-03-16 14:17:45
原口 悠哉 @yuuya1986

14日12時頃、僕達を乗せたバスは大宮まで到着しそこで降ろして頂きました。帰れない可能性があるにも関わらず温かい雰囲気を作りつつ安全運転で送り届けて頂いた教習所のスタッフの方にも、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。

2011-03-16 14:18:20
原口 悠哉 @yuuya1986

その後、大宮から電車を乗り継ぎ帰宅することができました。その度に記録していたわけではないので多少の時系列の乱れもあるかもしれませんがご了承ください。ここまでは客観的事象についてでしたが、これ以降は感じたことや考えたことを書いていきます。

2011-03-16 14:18:40
原口 悠哉 @yuuya1986

まず現地で感じたのは自分が「よそ者」であることの申し訳なさでした。僕たちは被災しようとも、東京に帰ればある程度今まで通りの生活ができます。そのため例えば食料の提供を断ろうとはしたのですが、強く勧めて下さる方達に従い食事を取っていました。

2011-03-16 14:20:07
原口 悠哉 @yuuya1986

持っていた食料を提供しようとしても、「何かできることはないか」と申し出ても、何もさせてもらえませんでした。それは僕達が「客」であるとともに、そのような行為はかえって迷惑であっただろうからだと考えています。

2011-03-16 14:20:21
原口 悠哉 @yuuya1986

ただ食料を消費し、排泄し、寝る際には場所も取り、その他の資源も使用する。そういった「よそ者」であり無力である自分たちの存在自体が本当に申し訳なかったのですが、現地の方々は本当に優しく接してくださいました。

2011-03-16 14:20:37
原口 悠哉 @yuuya1986

ですので、逃げ帰るように帰ってきたことがとても申し訳なく、「無事に帰って来れてよかった」という友人達の言葉にも今は後ろめたさを感じてしまっています。ですが、皆の温かい言葉には本当に助けられています。ありがとうございます。

2011-03-16 14:20:56
原口 悠哉 @yuuya1986

家や、車や、職。そしてひょっとしたら周りの大切な人を失ったかも知れない方たちに対して「生きてて良かったですね」なんてことは口が裂けても言えませんでした。「生」が常に祝福であるとは必ずしも言えないと考えています。

2011-03-16 14:21:20
原口 悠哉 @yuuya1986

人間の素晴らしさも感じました。地震直後、街は悲惨な状況になっていましたが、僕らが滞在していた間だけでも、道路は確実に綺麗になっており、現地は着実に復興に向かっていました。また、皆が本当に助け合っています。

2011-03-16 14:26:11