徳美 天下人の城 刀剣を中心とした紹介記事まとめ
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お城こちらは、とある応援団与力によるまとめです。
私的まとめだということで、応援団ブログだったら遠慮するような情報も載せています。(不適切な情報ではないはず)
ここでは一部だけを選んで紹介していますので、すべて見たい方は展示解説一覧をご覧ください。
登場するお城ごとのまとめには、地図上に城の一言説明がついた図もあって見やすいです。
展示予定品
津田遠江長光(~8/6)、義元(宗三)左文字(8/16~9/10)、茶塗漆打刀拵付属の刀(7/15~8/15)以外の刀は通期予定です。
全体に、書状や絵などの痛みやすいものが主に展示替えの対象になっているようです。
全展示品のリストは徳川美術館のHPからPDFで見ることができます。
また、あまり見やすい状態ではないですが、目録の写真をこのまとめラストに載せています。
義元(宗三)左文字(8/16~9/10)
今川義元
桶狭間の戦いくらいしか知らないよという方少なくないんじゃないかな、などと思っております。
(かくいう私もその一人。歴史沼を探り始めて浅いので知識が偏っております…。)
今回、今川義元に関連する歴史解説のある記事として、春日井郡上品野山城絵図、小豆坂合戦ノ図があります。
あと、リアル合戦も遠戦大事(むしろ切りあうより石や矢による負傷のほうが多い状態)です。
そんな中でチャンバラやって門を破った部下を義元がほめた感状があります。
しかも同じ方宛に、やっぱり武勇をほめる同じ年に書かれた感状と、やっぱり武勇をほめる二年前に書かれたものもあります。
どんな恐ろしい部下がいらっしゃるのですか…
鯰尾藤四郎
織田信雄(のぶかつ)
信長の子です。音で聞くと信長弟の信勝と紛らわしいので注意。
旧来の評価は「ダメ息子」ですが、近年それを覆す研究成果がでています。
関連記事は長久手合戦図屏風、金箔瓦など。
大坂城(豊臣秀頼)
他が人物名なのにここだけ城の名前ですが、秀頼公に直接関連するものがないから仕方ない。もともと城がテーマですし。
復元天守の姿あたりは皆さま気になるところじゃないでしょうか。
今回のテーマ「城」なので多数の展示品ありますが、このまとめ対象者におもしろがってもらえそうなお話の載っているのが選べないのでこのへんで。
徳川家康&徳川義直
家康公がらみのまじめなお話はきっと探しやすいと思うので今回のちょっとかわりだね。
黒本尊縁起絵巻という、大坂夏の陣で家康公がピンチに陥ったときに黒本尊という神様が助けてくれた!というお話の絵巻なのだとか。
あと、徳美ではめったに展示されない珍品、辰砂。鯰尾と同じように遺産分けで尾張に相続された品です。
ほかにもなんでそんなもの残した(笑)という品はいくつかありまして…富山のほうにはたいまつがいっているみたいですね。(使い古した足袋や、未使用ふんどしなども遺産の品のうちで残っているのだとか…)
徳川慶勝
所持者のリストにときどき入ってくる方。
(今回展示はありませんが、拵の所持者としては図録に載っています)
尾張の中での位置づけはだいぶ前に出た武将ジャパンの記事を、人物の概要は古写真の記事を、
詳しく調べてみたい方向けの参考資料案内は金鯱部材で作った品々の記事をどうぞ。
慶勝公の後の茂徳公も鯰尾の拵の所持者として時々名前がかかれますが、この方が文久三年に一期一振を皇室に献上したのだとか。(『図説 刀剣名物帳』(辻本直男補注)より)
本作長義・・・(以下58字略)
関連しそうなものがないので、代わりに歴史関連の参考資料を。
上記の記事の歴史パートは簗瀬大輔氏の講演を基にしているので調べたい方に参照していただけません。
が、その講演資料の元となったのは、館林市史通史編1『館林原始古代・中世とのことです。
もっと入手が簡単なものだと、戦国王7/25号(第57号)が、足利長尾氏と長尾当長、長尾顕長、足利学校についてそれぞれ2ページずつの記事を掲載しています。
(しかも他のページはその周辺の方々についての記事…!)
津田遠江長光(~8/6)
脇指 銘 吉光 亀王丸 号 蜘蛛切丸
信長関連は、登場時期も考えると関連づけしての紹介がしづらいです。
この刀が信長の手元にあった時期までの他の展示品ってどれだろう…?という…
あざ丸
今回肌のきらっきらするような感じまでは裸眼では見づらいですが、それでも単眼鏡があれば比較的なんのことかわかりやすいほうじゃないかなと。
飾られているのは蓬左なので、何か超常的な騒ぎがあっても呼び出されるのは学芸員の原さんではなく蓬左の人…(笑)
茶漆塗打刀拵 / 太刀 銘 正次(~8/15)
刀剣の展示予定といいつつ、掲載をすっかり忘れていた代物(ごめんなさい)
永禄5年、松平元康(後の家康)と信長が同盟を結んだ(ミュ見てた方は、二回目の風車直後のナレで言ってたあれ)年、信長が陣中で職人さんに下賜した刀だそうです。
これが展示されている場所が後期に義元左文字が展示される場所になります。