SEALDsは在特会を何故超えたのか?
- naobotaka_magi
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2000年代の在特会と2010年代のSEALDsは実は繋がりが無いようである組織である。前者は右派という形でプロ市民運動を国民運動化させ、後者は学生運動のみならず日本の左派運動を復活させた。前者は碌に評価されていないが、後者は神格化されている。なぜだろうか?
2017-07-18 20:15:462000年代の在特会は右派団体であったが、この右派は歴史の古い右派ではなく、元々左翼として運動していた人が右翼に転向し、その跡継ぎが市民団体を形成していった。現代の所謂差別団体のデモのスタイルは左派運動から引き継がれている。掛け声や話法などで。
2017-07-18 20:19:391960年代の学生運動は左派でありながら、インテリ的な用語は運動時にはあまり使われていない。これは運動の人数を増やすための工夫ともいえる。左翼の知識量はネトウヨとは比べ物にならないほど膨大なので、語彙力が高すぎると運動の人員を動員できなくなるからだ。
2017-07-18 20:22:57対するSEALDsはどうか。SEALDsは左派でありながら、プロ市民らしいお堅い印象は見受けられない。市民団体の運動というよりかは、不良や不良かぶれのお祭りごっこにもみえる。市民団体らしからぬ参加者の服装は(失礼ながら?)まるで珍走や元不良をも連想してしまうくらいだ。
2017-07-18 20:30:33実際、私が在特会デモに関してインタビューをした際に驚いたことは、右派のデモにも関わらず、運動のスタイルや団体の風潮が左派団体とほぼ同じであること。万人に受け入れられやすいスタイルが、良くも悪くも在特会を成功させたのだろう。
2017-07-18 20:31:32SEALDsはSASPL時代を含めて結成からわずか1年でブレイクした。在特会がブレイクしたのが2年後にもかかわらずである。早い大ブレイクを実現させた秘訣はある種のルーズさというものがある。事実団体のルールはそこら中にある左翼よりかは緩い。もちろんあの臭いもあるが。
2017-07-18 20:34:17中高年の日本人にわかりやすくイメージしやすくすると、在特会を学生運動の生まれ変わりと喩えるならば、SEALDsは不良少年少女の生まれ変わりともいえる。義憤に駆られた系の運動を在特会とするならば、落ちこぼれが自然に集まったのがSELADsというようなものだ。
2017-07-18 20:38:03SEALDsのデモスタイルはやや異質だ。デモ隊の前方を(団体のリーダー格などが乗った)音響トラックが走り、その後続をデモ隊が続く形だ。音楽やノイズを敢えてデモのシンボルにするというのは、街宣ウヨクや珍走団からヒントを得たのかもしれない。
2017-07-18 20:40:50既成の政治団体でSEALDsほど若気の至りを感じさせられるものはないだろう。参加者の大半がやさぐれた若者が不良になり彼らの集まりに参加するような感覚だ。ある程度目的があって参加している在特会とは正反対だ。
2017-07-18 20:44:45さて、ここまで両者の特徴を書き連ねてきたが、なぜ在特会がぼろ糞な評価をされ、一方でSEALDsが神格化されたのかについて私の考えを述べていきたいと思う。
2017-07-18 20:47:09一般市民目線で、大衆目線で在特会は単なる社会運動のリバイバルに成功したというだけの評価しか得られていないが、SEALDsは社会運動のリバイバルに加えて文化的な価値をも生み出したと評価されているのではないか。SEALDsメンバーの中は実際にアーティストに転向した者もいる。
2017-07-18 20:49:482016年のロックフェスティバルにSEALDsが参加した際に、ネットでは政治活動家の芸能デビューということで様々な物議を醸されていた記憶があるが、これはSEALDsの運動時に使われていた音楽の芸術性の高さ、EDM文化としての作品の完成度を考えれば不思議なことではない。
2017-07-18 20:53:37恐らく、ロックフェスティバルへのSEALDsの参加を歓迎していた人達の殆どは、SEALDsの文化性に影響された人なのではないだろうか。 SEALDsは最早単なる政治ムーブメントではない。文化運動団体である。
2017-07-18 20:55:18