【ミリマスSS】桜守る者【桜守歌織】
秋風に吹かれ落ち葉が舞い、私は薄桃色のサンバイザーを押し上げました。「歌織ー! がんばれー!」友達の応援を背に受け、ドライバーを振り上げます。ポーコ・ア・ポーコ。少しずつ……落ち着いて。振り下ろし、球が飛び――「ナイスゥー!」いいところに落ちました。「よかった」 20
2017-07-17 17:20:05私は息を吐きます。塔京郊外の、高地のゴルフコース。快晴、風は南東に少し。街を見下ろすと、真っ白な765タワーが光って見えます。「よーし次は私の番だぞ~」友達がぶんぶんと腕を振り回しています。「ドライバーふっ飛ばさないようにね」「もちもち」プルルル。ポケットが震えました。 21
2017-07-17 17:29:23スマホを見ると、「非通知」の表示。「はい、もしもし」『ひっ、久しぶりです!』「その声、可奈ちゃん? 久しぶりですね」『せんせ、私っ!』電話口の向こうで、激しい息切れの音。可奈ちゃんは興奮しているようでした。『デビュー……します』「デビュー?」 22
2017-07-17 17:34:47『765プロライブ劇場《シアター》でっ、劇場星《シアターズ》デビューですっ!』思わずスマホを取り落としそうになります。「ほ、ほんと? よかった……夢が叶うのね」『はい!』可奈ちゃんの声は本当に嬉しそうで、安心します。音楽教室を卒業していった日から、何年この報を待ったことか。 23
2017-07-17 17:40:35『せんせのおかげです』可奈ちゃんが息を呑みます。『私、世界じゅうに歌を届けてみせます!』「うん、うん」可奈ちゃんがいる塔京の街を見つめます。街の中心部に立つ巨大木造塔、765タワーが、可奈ちゃんのデビューを祝福するように、その枝を伸ばしていました。 24
2017-07-17 17:57:45コツン。コツン。ピアノの鍵盤をたたくと、うつろな音が響きました。『じゃあね、せんせ』耳の奥に、子供たちの去り際の声が残っています。「……」弦のないピアノは、もう、何の旋律を奏でることもできません。部屋の隅のテレビからは、暗い……黒いニュースが流れ続けています。 25
2017-07-17 18:22:13『765タワー焼失事件について、犯人追及は困難を極め、また、一部には――』『長らく765プロを支え続けてきたシアター・オブ・バビロンが、推進力を失い日本海に沈み――』『新世代の、アイドル。――IとUが、交錯する。』どうやら世界は、すっかり変わってしまったようでした。 26
2017-07-17 18:26:22『765タワー跡地に建てられた謎の塔、『刻罪』。今、その塔のヴェールが剥がされようとしています』『人間アイドル排斥のための団体『黒い連合《ブラック・ユニオン》』の結成が昨日15:00ごろ発表されました。代表者である黒井氏は――』瞬く間に世界は黒く、黒く塗りつぶされていって。 27
2017-07-17 18:30:49私は惰性で、誰も来ない音楽教室に通い続けました。そんな私の心を揺らしたのは、ある一つの、小さなニュースでした。それは、私には、希望の光のように見えました。『――旧時代の人間アイドルが蜂起しました。主犯格は765プロダクションの元プロデューサーとみられ――』 29
2017-07-17 18:48:37もう一度、世界が動き出す。はたして私の読み通り、数カ月後、世界は変わり始めました。『――過去の人間アイドルたちが次々と出現し、自由と解放の歌を奏でています』『元アイドル日高舞、東豪寺麗華、玲音、JUPITER、サイネリアなどをはじめとした連合アイドルユニットが結成され――』 30
2017-07-17 19:03:14『黒い連合は彼らを指名手配し、その居場所を探っています。主犯である765プロダクション元プロデューサーの古井武次郎には莫大な懸賞金が――』体が知らず、震えていました。音楽はまた蘇る。その予感がありました。私を突き動かした最後のトリガーは、とある一冊の本でした。 31
2017-07-17 19:12:34『765プロにあったすべてのものが、今、目の前で焼却されています。これは黒の連合による報復行動であり――』くしゃくしゃの歌則教本。汗や涙がしみ込んでいる、その本が、液晶の向こう側でちりちりと折れ曲がり、鈍色が全体に波状に広がり、真っ黒な灰になって崩れ落ちます。 32
2017-07-17 19:20:52私の中で何かが燃え上がるのを感じました。それは感情の炎でした。脳裏に可奈ちゃんの顔が浮かびます。歌が上達せず、涙をこらえている顔。音楽のテストでいい点が取れたと言って走り寄って来たときの顔。テレビの向こう側で新曲を披露し、ミュージカルの宣伝をしていたときの楽しそうな顔。 33
2017-07-17 19:32:15私はスマホを取り出し、連絡を入れます。「お父さん。ウルフさんを呼んでください。――私を、古井武次郎さんのもとへ連れて行ってください」数分もせず、表で車が止まる音。ウルフさんはいつもの黒スーツ姿で、額の皺を寄せていました。「お乗りください」 34
2017-07-17 19:37:55「頼めますかウルフさん」革張りの後部座席に滑り込みました。ウルフさんは運転席で白手袋をはめ直す。「はい、歌織さま。ですが、危険です」「それでも、行かないと」灰になった本が、脳裏に焼き付いていました。「歌が燃えているんです」エンジンが唸り、車が走り出しました。 35
2017-07-17 19:39:45重い鉄製の扉を閉めると、外の吹雪の音は途絶えました。「座ってください」部屋の奥の木の椅子に腰かけていたひとが、私にそう促します。そのひとは、奇妙な動物の被り物をしていました。「桜守歌織さん、でしたっけ」「はい」頭上で電灯がチカチカと明滅しています。 36
2017-07-18 21:28:51「俺のことはブルフと呼んでください、コードネームみたいなもんです」「はい」「ウルフさんから話は聞きました。はっきり言って、あなたを連れていくことはできない」「どうしてですか」「足手まといだからです」ブルフさんはずばりと言い切りました。「あなたは何者でもない」 37
2017-07-18 21:33:42「でも、きっと、何かお力になれるはず」「犠牲者をひとり増やすだけだ」被り物の牙が、まるで本物のようにぎらりと光る。「あなたはどうやら、『黒』ではなさそうだから、信用しますが――前線には出せません」「でも」「すぐに捕まるのがオチだ。あなたには能力《タレント》もないでしょう」 38
2017-07-18 21:37:49私は何も言い返せなくなってしまいます。「今、人間アイドルたちが『アイドル・プリズン』に閉じ込められてるのはご存知でしょう。捕まる者が増えればそれだけ難度も上がる」「難度?」「脱獄計画ですよ」「脱獄……できるんですか?」「させます。脱獄させる……いや……」 39
2017-07-18 21:42:15ブルフさんは近くにあった机を叩きました。バキバキ、と苦もなく壊れ、木片が床に散らばります。「監獄だけじゃない。狂った世界ごとぶっ潰して、やり直しだ」ブルフさんはハッとしたように虚空を見つめ、頭部を掻きむしり立ち上がりました。「話はここまでです」「待ってください」 40
2017-07-18 21:48:15私は、扉を開けようとするブルフさんを必死に引き留めます。「お願いします。私も連れて行ってください」「……怪我しますよ。もしかすると殺されるかもしれない。それでもついてくるってんですか」「はい」私は力強く言い切りました。被り物の下の瞳が、少し動揺したようでした。 41
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