「勉強しないと視野が狭くなる。勉強しないと僅かな知識だけでこの世を理解しようとするせいで、ありえない仕組みを仮定して「分からない」を埋め立て始める。分からない物の多さが分からないから何でも知ってる気分になってしまう」
昔校長が「勉強しないと視野が狭くなる。勉強しないと僅かな知識だけでこの世を理解しようとするせいで、ありえない仕組みを仮定して「分からない」を埋め立て始める。分からない物の多さが分からないから何でも知ってる気分になってしまう」と話してたの、大人になって凄く意味がわかる。
2017-09-01 12:01:22
@gutetifukeh 誰でも自分の知ってる範囲で判断を下すことしかできないよ。大事なのはその判断が筋道立ったものかと、新しい情報が入ったときに前の判断を正しい方向に修正できるかどうか。校長の言葉では「判断はいつまでも保留しろ」ってことになりかねない。すべてを知ることは無理だからね。
2017-09-02 10:58:50@gutetifukeh 勉強すればするほど、「わからない」が増えていき、断定可能なことは減っていく。だから、まともな理系の人々は客観的、現実的に可能性としては妥当とされることを信じるようになる。どのような要素であれ、完全などあり得ないという結論だけは確実だからだ。勉強すればするほど不明が増えるわけだから
2017-09-02 14:22:38@gutetifukeh @angel_p_57 言いたいことは大体わかる(気がする)が、「ありえない仕組みを仮定して〜」の部分がよくわからない。そのせいかそれが次の文とどう論理的に繋がってるのかよくわからない。たぶん勉強が足りないせいなので精進します。
2017-09-02 09:31:42@keepongroovin @gutetifukeh @angel_p_57 FF外から失礼します。 あり得ない仕組みを仮定して…というのを、道理に合わないことに気付かず見当違いの結論を結びつけている…という風に考えてみると分かりやすいかも。私の周りでも、自分勝手な解釈からとんでもない結論を導き出す輩がいましたので。余計分かり難くさせてしまったら御免なさい
2017-09-02 10:50:03@uoya_tennendo @gutetifukeh @angel_p_57 いえいえ、参考になります。ありがとうございます。道理そのものも勉強しないと身につかないですもんね。
2017-09-02 11:36:15@keepongroovin @gutetifukeh @angel_p_57 私は自分が得た教養や知識は道具の一つと考えてます。例えば木材を削るとき、カンナやノミを使いますが、自分が持っている道具がドライバーしかないと無理矢理ドライバーで削るしかない。カンナやノミを持っていたら楽だし綺麗に仕上がりますね。なので勉強は大事だと…勉強嫌いだった者の意見でした
2017-09-02 13:06:55@uoya_tennendo @gutetifukeh @angel_p_57 わ、わかりやすい…! むやみやたらに道具の数、つまり知識の量だけ増やしても役立てづらい、あるいはむしろ邪魔な道具のせいで選択ミスを起こしそう、というイメージも湧いてきました。
2017-09-02 19:46:57@keepongroovin @gutetifukeh @angel_p_57 理屈っぽいツイートをしてしまったと思っていたのですが、参考にしていただけて何よりです
2017-09-02 19:57:35@keepongroovin @gutetifukeh @angel_p_57 調子付いていることを承知で補足させていただくと、その道具を適切に引き出すスキルを智恵と言うのだと思います
2017-09-02 20:01:42
若い頃クソほど勉強したので「勉強すると、勉強する事で知識が広がって行くという妄想に取り付かれて視野が狭くなる。言語の欠陥によって文章化されない多くの事に気付くことができなくなり、現実や他人と正常なコミュニケートが困難になる」という事は理解できた
2017-09-03 12:02:06勉強する事で知識が広がると思っている内は勉強が足りんのだ。分からない事が沢山あると思っている内もまだ「分かる事ができる」と思いあがっていて勉強が足りん。 理解は行動の後に付いて来る不産物に過ぎず、ただ行動だけが人を成長させるんだ。学びは結果だ。手段でも目的でもない
2017-09-03 12:08:241000走ったら人間は疲労する。カロリーを消費し、呼吸は激しくなり、心臓は早くなる。この程度の知識を「学び」だと勘違いするから勉強は危険なのだ。 10歳の子供が初めて1000走り切った時、80の老人が再び1000m走れるようになった時、そこから学ぶ事は同じだろうか?
2017-09-03 12:14:325歳の子供と80歳の老人が同じ事に挑戦し、同じ結果を出したとしても、そこから違う事を学ぶだろう。子供は「自分が成長していく存在でありそれが喜びである」と学び老人は「科学的なトレーニングで老いを押し返せる」と学ぶかも知れない
2017-09-03 12:18:22子供と老人のそれぞれの体験はコミュニケーションによって交換され人類の集合知へと昇華されていく。体験する事、感じる事、そして感じたことを他人と共有すること、それが知と学びの基本である。
2017-09-03 12:25:46