いや、こう言いかえよう。どれだけの速度で言葉を記せば、あなたに追いつくことができるのか。—2011年3月25日
日本をファックするために、日本語を口説く、この売女が、と書こうとして、馬・板、と変換されることに気がつき、やや愉快な気持ちになって、そのまま売る女とタイプし、「る」を削除する。
2011-03-25 14:52:27この日本語によって構築される空間には、タイプする速度を何よりも重視する通俗的な考え方があり、それはスピードと利便性だけを重んじる新世界発のプラグマティズムに基づいている。
2011-03-25 14:52:38たとえば、考えるより速くタイプする、という言葉の貧しさはどこにあるか。それは思考が言葉に先行するという致命的な錯誤にあり、そもそも、指を動かすこと、あるいは音声を発することによってしか、私たちは自分が考えていることを知るすべはない。
2011-03-25 14:52:48考えてから書くのではない。書いてはじめて考えられるのだ。私たちの目と耳は、ほんとうのことを見聞きするようにはできていない。認識は常に毒薬であり、痛みを伴わざるを得ない。
2011-03-25 14:53:02売る、女、と書いたとき、私が思い出したのは石川啄木だった。妻と家族に仕送りすべき金を使い込み、売春婦との性交にあてた啄木は、女との様子を克明に日記に記した。
2011-03-25 14:53:27才能がない友人たちの悪口を書き連ね、安下宿で一人人生について自問するみじめな生活は、当時ほとんどの人が使っていなかったローマ字によって記述されていた。
2011-03-25 14:53:37啄木はそれがいつの日にか公開されることを想定していたはずだし、実際に友人である金田一京助の手によって後に「ローマ字日記」として出版されるが、
2011-03-25 14:54:12重要なことはそれが公的でありながら私的なものであるという矛盾を意識的に内包させた作品であるということであり、それはどこかツイートの両義性を思わせた。
2011-03-25 14:54:16速度とは、おそらく矛盾の別名なのだ。倫理を語る右手が、左手では女を買ってしまっている。母をいつくしむ心が、同時に妻と子を裏切り、蔑ろにしてしまっている。
2011-03-25 14:54:29いま、私たちを取り囲む厳しい状況は、そうしたことを否応無しに考えさせる。人は人の不幸を楽しむことができる、などという一見もっともらしい浅薄な言い回しに惑わされてはならない。
2011-03-25 14:54:55いくら読み返してみても、少しも楽しいとは思えない買春を繰り返す彼の姿は、まるで自分を切りつけ、その血で言葉を書いているかのようである。
2011-03-25 14:55:34なぜこのようなものが書かれなければならなかったのか、という問いは、そのまま私たちの生活にかえってくる。なぜ私たちは、それが無意味であることを知りつつ、それでも言葉を記すのか。
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