《東電原発事故 「生業訴訟」の第一審判決に書かれた「原状復帰は認めない」の意味を考える》

自己ツイートをまとめました。 「断腸の思い」というのは、こういう時にも使える言葉なのか、と思いました。昨夜から、リアルに腸が痛いのです。
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除本理史 @ma_yoke

国・東電に再び賠償命令=原状回復認めず-原発事故、3件目判決・福島地裁(時事)jiji.com/jc/article?g=e… pic.twitter.com/1LFugAIQdL

2017-10-11 07:09:55
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

昨日の「生業(なりわい)訴訟」の判決の意味をずっと考え続けている。 「日本政府と東京電力の責任を認めた」「福島県外の人々の被害を一部認めた」その他、画期的とも言える内容なのだが。 原告の多くの、最も重要な願いは「原状復帰」だったはず。 「できない」とは言わず「方法を示せ」の判決。

2017-10-11 09:23:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

裁判所は、行政や立法とは異なる、司法という、分立した三権の一つになる部門の一部である。裁判所もまた「国家の一部」なのだ。国策の一部として原発の建設、稼働を認めてきたのは、裁判所でもある。各種の訴訟で、司法は原発の推進力の一部だった。 裁判所が「原状復帰の方法は被害者が探せ」と言う

2017-10-11 09:29:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

裁判所が「原発事故から現状に復帰する方法は、被害者である住民、原告が探し、裁判に提示せよ」という時の、裁判所の原告に対する「暴力的」とも思える傲慢さ、冷血さ、責任回避。 「原状回復は無理だ」という話もせず、「原状回復は困難なので、賠償金を上積みせよ」とも言わない。

2017-10-11 09:34:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

裁判所を含む、この国の「司法」はこれまで、原発の建設や稼働を認め続けている。現在も。 昨日の判決は、その責任の重さを自覚しながら書かれたものだとは思えない。 確かに、裁判官は「独立した判断」をする原則がある。しかし、過去の判例が裁判当事者に及ぼした影響を無視しても良いのか?

2017-10-11 09:37:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

昨日の判決を見てからずっと、私は「原状復帰」を願う(私を含む)人たちの、 言語化する事さえ難しい狂おしいほどの願いを思い、 さらに、「原状復帰」を実現する事が現在の科学技術では不可能であることを思い出し、 「勝訴」の言葉の虚しさを感じている。 原発事故は、取り返しがつかない物だ。

2017-10-11 09:45:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

昨日、判決直後の原告や支援者の喜ぶ姿の動画や写真を繰り返し見た。見直した。 「原状復帰はできない」「どうしても原状復帰したければ、被害者が方法を探し、裁判に提案しろ」という内容の判決だったことを、どれだけの人が理解したのだろうか? 原告の支援者は、それを説明したのだろうか?

2017-10-11 10:19:11