遅すぎた決意を固め、私は鏡に向かって笑った。 何、不安になることはないさ。私以外に誰かがいる様子はないのだし、問題なく帰れるだろう。 と、自分を鼓舞し、トイレから出た。 ──その時、左側から何かの足音が聞こえた。 「えっ」 思わず、そちらの方を見て、そして驚愕する。
2017-11-27 23:42:57一言でいえば、「異形」だった。 全身が真っ黒に染まるそれは、巨大な二足歩行のカマキリのような風貌であった。しかし、両手の鎌は鋭利な刃物のソレになってる。 顔面らしき場所は、白くなっており仮面のようであった。そこに目と口に見える弧が描かれてある。
2017-11-27 23:52:31「え…………」 それが何なのか。なぜこんなところにいるのか。 そんな疑問を頭に浮かべていると、異形のほうも私の方を見つけたようなそぶりを見せ。 ──仮面のような顔に浮かぶ落書きのような顔が、よりハッキリと笑みを浮かべた気がした。
2017-11-27 23:56:52「……………k…………s………n………?」 その怪物の声だろうか。聞き取れはしない、そもそも私に分かる言葉であるかは分からないが、少し悲痛にも聞こえた。 そして。 その怪物は、両手の刃物をぎらつかせた。 ……ヤバい。 そう思った瞬間には、私の身体は怪物とは反対側へと走り出していた。
2017-11-28 00:01:42ヤバい。ヤバい。ヤバい。 殺される。殺される。殺される! 逃げろ!逃げろ!逃げろ! 死にたくなければ、死ぬ気で逃げろ!!! 本能からわき出るその叫びに従い、私は走る!
2017-11-28 00:04:24どうして。 どうして、私がこんな目に遭わなければいけないのか。 そんな行き場のない怒りがこみ上げてくる。何が原因なのか、誰が悪いのかすら分からない。 分かるのは、薄暗い館に閉じ込められ気味の悪い怪物に追いかけられているという絶望的な現状だけだ。
2017-12-02 22:00:45全力で廊下を駆け抜ける。背後からはこちらに向かって迫る音が聞こえている。 振り向いて確認する余裕はないが、化け物が迫っているのだろう。カタカタと固い棒で床を突くようなその音は人間から発せられる足音などでないのだから。
2017-12-02 22:13:22黒カマキリの怪物との距離はだんだんと近づいてきているように感じていた。気のせいだとしても、私の体力がいつかは尽きるのだから追いつかれるのも時間の問題だ。 ──そうなってしまえば……。 最悪の結果が頭にちらつく。
2017-12-02 22:19:06ふと、鼻が錆びた鉄の臭いを感じた。 思い出す。ここはさっき見たグロテスクな死体が転がっていた場所だ。 私はそれを極力視界にいれないようにしながら、飛び越えた。 そのまま走りながら下へと降りる階段を探す。
2017-12-02 22:25:27できれば怪物が死体のほうに興味がそれてはくれないかと願ったが、無慈悲にも足音は聞こえ続ける。生者にしか興味はないのだろうか。 もしかすると、あの人は背後の追跡者に襲われたなれの果てなのか。 「……うっ」 フラッシュバックした光景と、湧き出しそうになる振り払う。
2017-12-02 22:31:19視界の右に階段が見えた。 (やった……) ようやく見え始めた希望。この家から出ればあの怪物の追跡が終わるとは限らないが、狭い廊下で逃げ回るよりかはマシだろう。 最初の部屋で窓から外を見ると家の周りには木々が生い茂っていたので隠れる場所も多そうだ。
2017-12-02 22:36:01階段の構造は折り返し階段。万が一足を滑らせたときのために内側にある手すりに右手を伸ばして、私は段飛ばしで駆け下りる。 踊り場まできてチラリと上の方をみると、怪物がまさに階段を降りようとしていた。 これで諦めてくれはしないようだ。だけど、私だって……。
2017-12-02 22:45:43一階まで駆け下りると、正面に大きな両開きの扉が見えた。周囲の構造もエントランスように見える。つまり、あの扉から外に出られそうだ。 私はその扉へに近づき、両手で取っ手を掴んで体重をかけるように押した。 ……扉は少しも動く気配はない。
2017-12-02 22:55:55試しに引いてみるが、そちらにも動かない。 「うそ……なんで!?」 スライド式のドアでもない。かといって鍵らしきものを探してもどこにも見当たらない。 ……まさか。 最初から、私はこの屋敷から逃げ出すことができなかったということか。
2017-12-02 22:59:50ギギギと、背後からすり切れるような音がする。恐る恐る振り返ると目前まで怪物が迫ってきていた。 「ひっ……!」 私は扉のほうへと後ずさりした。それを見て緑色の仮面のような顔に浮かぶ表情が嗜虐的な笑みを浮かべる。 「やめて……こないで……!」 そんな言葉は、怪物に通じるはずもない。
2017-12-02 23:03:05逃げ出さなければ死ぬ。だけど、身体が竦んで動いてくれない。いやだ、いやだ。死にたくない。死にたくない! だけど、私には迫る狂気に抗うことはできなくて。 「あ、ああっ……」 「……カ……」 怪物が、言葉を発する。
2017-12-02 23:07:48「オカアサン、オカエリ……」 明確に伝わる言葉だった。 お母さん、おかえり? 私に対して言ったのだろうか。だとしたら。 「……違う!私はあなたのお母さんじゃない!」 否定した。そう言えばもしかすると助かるかもきれないと。 だけど。 「オカアサン……!」
2017-12-02 23:10:36背中にあった扉が急に開いて、そこから伸びた手が私を掴んで外に引っ張り出した。 いきなりのことでバランスを崩しそうになった私を、その手の主は優しく抱きしめた。 ズドン、と背後から音が聞こえた。振り返ると、怪物の鎌が木製の扉に突き刺さっていた。 あれをまともに受けていれば……。
2017-12-02 23:18:59