行為の認知・解釈フレームと、差別の〈「被害妄想」〉

関東リトルシニア始球式での事件から
2
前へ 1 ・・ 4 5
烏蛇 @crowserpent

今回の事案から離れて差別論一般の話として言うと、私の立場では「受け手の『差別を受けた(かもしれない)』という感覚は『被害妄想』かもしれないし、自分が分からないだけで差別として意図的に行われたのかもしれない」 という二者択一は差別を考える上であまり適切なフレーム設定でないと考える。

2018-03-15 22:17:59
烏蛇 @crowserpent

というのは、「差別とかどうか」は「意図的に行われたかどうか」とは原則として無関係だと考えているから。つまり、特に何の「差別的意図」もなくても、ある特定の社会的立場の人たちに不利益をもたらす社会構造やそれを背景とする個人の行為は「差別」と見做して然るべき、ってことね。

2018-03-15 22:18:35
烏蛇 @crowserpent

おっと、タイプミスがあったので訂正します。 ×「差別とかどうか」 ○「差別かどうか」

2018-03-15 22:25:05
烏蛇 @crowserpent

「被害妄想」の背景に「非対称」的な社会構造・制度が関係しうる、という問題提起には概ね同意するのですが、それ以前に「意図的な行為でなかった」から「差別は存在せず被害妄想であった」と断ずるとしたらそれはちょっとマズいよね、みたいな話です。

2018-03-15 22:19:19

*烏蛇氏のコメントに対する返答

コメント有難う御座います。

 差別の要件に「行為者の意図」を入れることの弊害は差別論においては基礎であり、当然私も存じています。美人への振る舞いを例示したのは、美人に無意識に好意的に振る舞うことさえも差別である(しかし、行為理由が「美人であるから」かどうかは判定困難)という示唆のためでしたが、失敗していますかね。

 「受け手の『差別を受けた(かもしれない)』という感覚は『被害妄想』かもしれないし、自分が分からないだけで差別として意図的に行われたのかもしれない」 という部分は、私の筆運びが軽率だったかもしれませんが、そこは「二者択一」のつもりで書いていません。むしろ、その二つは同一の事象の異なる主観(解釈)なのです。
 〈「被害妄想」〉問題のミソは、(意図的・非意図的を問わず)差別行為そのものであったとしても、行為の受け手にとっては(確定が困難であるがゆえに)「被害妄想」の範囲に入ってしまうということです。私が「被害妄想」という問題経験に鉤括弧を付けているのはそのためです。それは妄想ではなく被害である可能性が十分にあるのです。しかし、(行為者や「神」視点から見れば)実際に行われた差別さえも、行為の受け手にとっては被害「妄想」かもしれないという疑念を払えない場合がある。ここに核心があるのです。
 「意図的な行為でなかった」から「差別は存在せず被害妄想であった」と断じているわけではない、という話でした。

ねこ @hyougen0

私がtogetter.com/li/1207912で書いたことと似た問題意識をミモザ氏@mimosaseedsという方が書いていた。 → 差別か被害妄想か - MY MINORITY myminority.hatenablog.com/entry/2017/12/…

2018-03-18 11:34:01
ねこ @hyougen0

差別の〈「被害妄想」〉が個人的な病理(「神経質・過敏」)や性格(「ネガティブ」)に還元されることは誤っているし、「その個人がポジティブになれば解決」というアドバイスの的外れさ・無意味さ・有害性についてもまたどこかで書きたい。

2018-03-18 11:40:07
前へ 1 ・・ 4 5