備忘録/私的まとめ。終戦時の公文書の廃棄

公文書の保管には外交的にも重要な意味があるのですね。
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リンク 日本経済新聞 電子版 昭和20年(1945年)8月。終戦を前にした霞が関の官庁街で、建物の庭先から煙が上がった。資料や文書を焼却せよとの指示が 昭和20年(1945年)8月。終戦を前にした霞が関の官庁街で、建物の庭先から煙が上がった。資料や文書を焼却せよとの指示が政府から出たためだ。作業は何日も続き、あの戦争の中で誰がどんな指示を出し、物事 12
FFR31 @FFR31

2018/3/16 日本経済新聞 朝刊 ▼昭和20年(1945年)8月。終戦を前にした霞が関の官庁街で、建物の庭先から煙が上がった。資料や文書を焼却せよとの指示が政府から出たためだ。 nikkei.com/article/DGKKZO…

2018-03-17 08:08:31
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作業は何日も続き、あの戦争の中で誰がどんな指示を出し、物事がどう決まったのか、相当の事実が闇へと消えた。 ▼これは日本にとって重大な失敗だったと、作家の保阪正康さんは共著書「戦争と天災のあいだ」などで指摘する。 twitter.com/FFR31/status/9…

2018-03-17 08:12:01
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ほかの国から戦争中の行いを非難されたとき、「そんな記録はない」と反論しても「焼き捨てたんだろう」と言われてしまう。政治・軍事の当事者たちには歴史に対する責任感が欠けていたと保阪さんは語る。 twitter.com/FFR31/status/9…

2018-03-17 08:12:02