町田リス園でかわいいリスたちと戯れるも…けっきょくはおもしろいお墓に辿り着いてしまう…。

里山桜、枝垂れ桜、新緑、町田里山たんのうしました。可愛いリスから足尾鉱毒事件までまさかの急展開。
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加藤郁美 @katoikumi

お薬師さまと自分の目を合わせ、治ることを祈願する「向かい目の絵馬」、だそうです。めめ。 ift.tt/2pRuRTh pic.twitter.com/TyvJ1EMbc3

2018-04-01 20:08:37
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加藤郁美 @katoikumi

きのう見られなかった満開の桜を見ることができてうれしい。 ift.tt/2IgUCTJ pic.twitter.com/HNPINMo28l

2018-04-01 20:11:11
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加藤郁美 @katoikumi

菊桃、という樹でした。可憐にしてゴージャス。 ift.tt/2GKgGsJ pic.twitter.com/SFiW7L9plv

2018-04-01 20:15:43
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加藤郁美 @katoikumi

わ、またお墓きちゃった。町田、三多摩の自由民権運動を率いた石阪昌孝のお墓だそうです。 ift.tt/2J9zShZ pic.twitter.com/qVo3qfIC89

2018-04-01 20:20:42
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加藤郁美 @katoikumi

石阪昌孝の墓碑に「正五位」とあったのが気になったので検索したところ、幕末は土方歳三・近藤勇と連動、明治になっては地域のリーダー、県議会が開設されると初代県会議長になった由。その後、辞任して自由民権運動を率いることになったそうです。www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/touko…

2018-04-01 21:26:10
加藤郁美 @katoikumi

石阪昌孝は三多摩出身の政治家としては初の県知事(群馬)に就任。今で言うなら革新派知事、のようなもの?「知事といえば、江戸時代の大名、という感覚の時代だったのだから、石阪の群馬県知事就任は立身出世物語の完結にふさわしい」www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/touko… りことで、それ故の正五位なんですね。

2018-04-01 21:29:01
加藤郁美 @katoikumi

ちなみに石阪昌孝の娘ミナはクリスチャンで、昌孝の反対をおしきって北村透谷と結婚。自由民権運動が困民党事件など闘争的になっていくことに違和感をもった透谷はミナの影響で洗礼を受け、日本初の平和運動に転化。ふたりは一女をもうけるも、透谷は24歳の若さで自死。ミナはその後アメリカに渡った由

2018-04-01 21:44:08
加藤郁美 @katoikumi

この型取りコンクリの祠、どこかでも見たなあ。量産されてたのかしら。 instagram.com/p/BhBqgiPFnzZ/ pic.twitter.com/2UBJUx9n6f

2018-04-01 20:23:15
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加藤郁美 @katoikumi

あー、面白かった!おすすめのコースです。 ift.tt/2JaYNlt pic.twitter.com/Ckn94Q3EID

2018-04-01 20:27:17
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加藤郁美 @katoikumi

んんん?足尾鉱毒事件?!😆えー?とんでもないところに繋がっちゃった。

2018-04-01 23:15:26
加藤郁美 @katoikumi

町田の自由民権運動のリーダー石阪昌孝は、1882年に板垣退助の自由党に入党、1890年第1回衆議院議員総選挙に出馬し当選、以後4回の当選。1896年8月群馬県知事に就任(当時の県知事は内務省が任命)。が、1897年4月、たった8ヶ月で辞任している。

2018-04-01 23:22:23
加藤郁美 @katoikumi

実は石阪が群馬県知事となったころ既に問題化していた足尾銅山公害問題が、就任の翌月の1896年9月に発生した渡良瀬川の大洪水で、鉱毒被害が江戸川・利根川流域に拡散。田中正造らが帝国議会に訴え出る。

2018-04-01 23:58:44
加藤郁美 @katoikumi

明治政府の大物政治家の視察もふえるが解決の見通しはしめされず、1897年3月になるとは足尾の村々の住民が警官の制止をかいくぐって上京し、足尾銅山廃止誓願の「押し出し」(デモ?!)を繰り返す。かくも騒然としたなかで、4月、石阪知事は田中正造の質問書に回答することもなく辞任。

2018-04-02 00:02:29
加藤郁美 @katoikumi

内務省の行った、石阪昌孝の群馬県知事大抜擢は、彼が民権運動のリーダーという経験を生かして田中正造と交渉することを期待したのだろうか?? 石阪がすぐに辞任した真意はなんだったろうか?

2018-04-02 00:04:05
加藤郁美 @katoikumi

石阪昌孝と田中正造は同い年で天保12年(1841)の生まれ。石阪の辞任は、鉱山廃止のために田中正造と連携することも出来ないが、知事として鉱山廃止運動を弾圧することもできず…つまりは元自由民権運動のリーダーだったゆえの早期辞任だったのではないかと、思ったりもしたのでした。好意的すぎ?

2018-04-02 00:09:17
加藤郁美 @katoikumi

すごい年表ありました。 足尾鉱毒事件略年表 f-makuramoto.com/43-syakaika/as…

2018-04-02 00:10:48