青葉の田浦戦争遺跡ツアー3参加レポ

2018年3月24日に行われた田浦戦争遺跡ツアー3(海軍航空発祥の地・浦郷編)の模様をツイートしたまとめ
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旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

ナタギリヤマ地下壕の入り口のひとつ pic.twitter.com/RLnctSvqVT

2018-03-24 15:24:55
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旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

総延長13キロの地下施設は、松代の大本営よりも長いそうです。

2018-03-24 15:31:43
旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

深浦隧道 追浜駅から航空技術廠への通勤路 ナタギリヤマ地下壕が貫通していた。 現在は改修済で、その跡はない pic.twitter.com/D8Yy9R5Xdy

2018-03-24 15:38:58
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旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

浦郷小学校 戦前に海軍大臣より天神号という艦上戦闘機をもらい、飛行機のある小学校と呼ばれていたそうです。 pic.twitter.com/8HqKSGNE30

2018-03-24 15:46:36
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旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

平六トンネル 浦郷小は谷戸のどん詰まりであったため、有事の際に逃げられるようにと作られた。 なお、戦時中は倉庫として使われ、逃げられなかった模様(゜д゜) 現在は付近のマンション住民の重要な通行路。 pic.twitter.com/MQCr9hggp1

2018-03-24 15:50:03
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旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

田浦戦争遺跡ツアー3 追浜駅近くで解散。 知っているところも多かったですが、なかなか良かった(*´ω`*)

2018-03-24 15:58:51
旅の青葉🔱くれびと @tabiAoba

以上、今回の旅垢は終了です。

2018-03-24 15:59:31

案内人、東京湾要塞研究家デビット佐藤氏のサイト

リンク www.geocities.jp 東京湾要塞 三浦半島は、東京湾要塞地帯であるとともに横須賀鎮守府がおかれ、明治維新以来陸海軍の様々な施設が設置され、太平洋戦争末期には 各所に本土決戦陣地が設けられた日本の最重要な軍事拠点でした。これらの戦争遺跡を後世に残すために、くまなく調査し、その歴史と現状を紹介します。三浦半島の総合的な軍事サイトを目指します。 1 user 1

座学メモ

メモなので雑多なのはご勘弁を

浦郷地域の戦争遺跡を巡る
海軍航空の発祥からメッカへ

・浦郷地域の変遷
明治から大分埋め立て
浦郷村➡田浦町➡横須賀市
田浦の北側、浦郷地域
南側は田浦地域

・戦争遺跡
陸軍
夏島砲台
笹山砲台
箱崎高砲台
箱崎低砲台
第三海堡遺構
官修墓地

海軍
横須賀航空隊
航空技術廠
工廠造兵部
工廠光学電池航海実験部
防備隊
軍需部
横須賀軍港防波堤
航空技術廠支廠(現在の横浜市大の場所に)
共済病院(現在の南共済病院)

・海軍航空発祥
明治42年
臨時気球研究会設置
明治45年
海軍航空術研究委員会設置
追浜に海軍飛行場を設ける
河野大尉、アメリカに留学➡カーチス
金子大尉、フランスに留学➡モーリスファルマン
河野大尉が初飛行。続いて金子大尉が飛行

理由
横須賀鎮守府にちかい
波が穏やか

事務所は田浦にあった

日本初は代々木練兵場にて徳川大尉( 陸軍 )が飛行

大正3年
第一次大戦により欧州では飛行機が発達
日本は戦場から遠かったため立ち遅れた

大正5年
横須賀海軍航空隊開設
研究と要員の養成がメイン
戦技研究

大正10年
英国より センピル教育団 来日
(陸軍は大正7年にフランス教育団を招聘して学んだ)

昭和2年
航空本部設立
当初士官を搭乗員に当てていたが
不足のため下士官へと広げる方針に。

昭和5年
予科練制度創立

昭和7年
海軍航空廠設置
それまでは海軍工廠などで修理していたのを一元化
東京にちかい
横須賀航空隊がある(パイロットの調達が容易

昭和15年
零戦を兵器に制定

昭和16年
大東亞戦争勃発

昭和19年
特攻戦法採用
特攻兵器開発「桜花」(航空廠で開発)

昭和20年
敗戦

開設から閉鎖まで35年だった。

掩体壕
追浜にもあった

埋め立てに関する遺構
烏帽子巌之跡
馬渕組による建立

馬渕組
横須賀鎮守府庁舎などを建設

海軍航空発祥之碑
昭和12年横須賀海軍航空隊によって建立
戦後壊されるが、復元。

予科練誕生之地碑(乙種)
甲種飛行予科練習生鎮魂の碑
➡基礎教育のできた人間を飛行生に

貝山地下壕
➡現在見せてない

野島掩体壕
銀河などの爆撃機も格納可能
野島まで埋め立て、地続きに

士官宿舎
日産自動車の研究棟
その他、倉庫が残っている。

戦後
軍転法
民間の繊維工場が多かった

富士自動車
米軍の自動車などを修理
朝鮮戦争時にも活用
東洋のデトロイドと呼ばれた

昭和36年
日産自動車進出

住友重機械工業

ジャムステック

・海軍航空技術廠
平成16年に庁舎取り壊し

昭和7年 海軍航空廠
昭和14年 海軍航空技術廠に改名
昭和16年 釜利谷に支廠開設

本廠
職員工員二万人
支廠を会わせると三万人にもなった。
周囲には関連施設多数

航空技術廠開発
彗星
銀河
橘花
 凝ってしまうので搭乗員には不評
秋水(陸軍と共同)
噴龍 誘導ミサイル
潜水艦探知機KMX
桜花(人間爆弾)
昭和19年航空技術廠で設計開始
1ヶ月で第一号機完成
神雷部隊で出撃
鎌倉建長寺に慰霊碑

風洞施設が残る。
東邦化学の敷地内に残る

水槽
発動機部など

行幸記念碑
暴支膺懲
昭和13年海軍航空技術廠長によって建立

海軍航空技術廠地下壕13キロ
昭和7年に40年に調査
埋め立てに二十億かかるため
戦後マッシュルーム栽培に使われた
松代10キロのため、日本最大級

見習工員宿舎➡希望が丘高校➡関東学院
共済病院➡南共済病院

・日本航空技術の復活
昭和32年 YS11
本田ジェット
MRJ
世界水準に近づきつつある。

官修墓地
西南戦争の傷病者がコレラで死亡
その中でも無縁仏をまつる

第三海堡
起工29年
実働2年

探照灯
観測所
弾薬庫
兵舎(うみかぜ公園にある)

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