- mino_ishioka
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何度でも言う。WW2当時の日本に独裁者はいない。 太平洋戦争は満州事変・日中戦争の延長で、 統帥権は内閣と独立していたため 陸軍大臣・総理大臣に止める権限は無い。 対米開戦時の総理が東条英機だっただけ。 twitter.com/leikitsu/statu…
2018-06-10 21:53:43そもそも、5・15事件後の斉藤~近衞内閣の殆どが 1年で退陣しているからね。 主犯扱いされることある石原莞爾も途中で予備役送り。 天皇は政治に口を出せない。 天皇は政治に口を出せない。
2018-06-10 22:09:221932/05~1941/10の9年5か月で10内閣。
平均1年以下。
当時の法律では、内閣に軍部の行動を止める権利がなかった。 陸軍大臣・海軍大臣は現役武官制で、 軍が人よこさないと組閣ができなかった。 総理大臣は他の大臣を罷免することができなかった。 総理大臣に責任を求めるのは無理がある。
2018-06-11 12:36:09東条は陸軍を抑えるために任された。 実際、就任直後は停戦向けて動いている。 しかし、「日清戦争前の領地に戻れ」というハルノートは 国是として受け入れるものでは無かった。 だから、政府は蘭英米開戦を決めた。 1941の状態では、誰が総理でもこの歴史は変わらない。 東条英機は独裁者じゃない
2018-06-11 15:07:32総理就任が1945/10/18
2ヶ月経たず開戦……
立憲君主制の大日本帝国において、 天皇は政治に容易に口を挟むことができなかった。 昭和天皇が政治的決定をしたのはは226事件と終戦のみ。 敗戦国として、すべての責任を負うと言ったのは天皇陛下。
2018-06-11 12:42:08いただいたコメント
@mino_ishioka たまたま当時の総理が 陸軍大臣だったにすぎなくて ヒトラーみたいな独裁政権だったわけじゃないと で 統帥権は独立していて 現代みたいに三権分立してお互い監視というか 行き過ぎを防ぐ仕組みがなかったから 軍部が暴走して 結果ああなったと (正しい?壁|ω・`)チラッ)
2018-06-10 21:58:58@nonchan1975 統帥権~はあってます。 前半は、 日本は連合軍との戦争は避けたかった。 交渉中に、総理大臣していた近衛文麿が退陣した。 次に指名されたのが陸軍大臣の東条英機(陸相兼任) 東条も避けるべく動いていたが ハルノートで譲歩できないところまで追い込まれ 開戦に至ったのです。
2018-06-11 11:25:48@mino_ishioka 米内総理を続けられなかったのは痛かった。 陛下もそうしたほうがいいと思っておられたようだが議会のことなので口出ししなかった。 陛下はそこで立憲民主主義のルールを曲げられる方ではなかった。
2018-06-10 22:06:07@ishiduka_mikoto 米内光政は優れた軍政家ですが、組閣は半年と短すぎて 総理としては不明としか言いよう無いです。 陛下は過去に、 田中義一(総理)を若気の至りで叱咤し、 ショック受けた田中が退陣した。 というのがあったため、余計口を出さなくなったんですね。
2018-06-10 22:24:54@mino_ishioka 226の件から陛下は意外にイケイケって思うかもしれないけど、ルールは絶対に破らなかったのが陛下。 大憲事項に統帥権があるので軍隊内のことは口出しOKだったから口出しただけなのです。 誰が悪いとかではなくてなんだかそうなるのがとってもクールジャパン。
2018-06-10 22:31:06@mino_ishioka あと、戦前の内閣の閣議は完全全会一致大原則なので一部のメンバーが暴れたら性時が止まるという弱点があ(ry ※そのくせ、首相とまったく別系統(統帥権)の軍部が内閣にあるって時点でそーとーあれだな;
2018-06-11 12:41:13@stackfield_jpn ですです。それで、松岡外相を罷免するために総辞職。 大命降下を受け外相以外再任したのが第三次近衛内閣。 米内内閣?の時に 小磯國昭(のち総理)に陸軍大臣お願いしたら、 「その時は予備役に回される」 と断られた話が残っています。
2018-06-11 12:49:26@mino_ishioka もっとひでぇのはこれやな。第2次若槻内閣ではとある大臣ひとりが居座ったままぬけて閣議開けねぇ、首相には罷免権はないので内閣総辞職というおち。一番なんじゃこりゃのれいだとおもう。
2018-06-11 12:51:32