@syestx リアルのほうですだよ、うちの好きな中央アジアの民族衣装のチェルケスカって服。コサックの着てるアレですw
2011-04-14 20:35:05@syestx ふふ、そう来ると思って今写真用意しました、中央アジアでも乙嫁語りとかに出てくる服はたまに見かけるんだけどこっちは余り見かけないからちょっと貴重かも。いいデザインだと思うんだけどなぁ…http://tcherkes http://twitpic.com/4kp7dj
2011-04-14 20:42:58@syestx いやそこまでしなくても大丈夫だよ一応ルートは押さえてあるwねへさんが頭の引き出しのコレクションに入れてくれるだけでも俺は満足なんだぜ
2011-04-14 20:45:24@kushanano これ箱製図だああねえ もともとの完全なオリジナルの型紙じゃないな 西洋のかなり現代の様式入ってる
2011-04-14 20:46:09@syestx なんていえばいいんだろ、今のセンスでみると婦人服に近い裁断かもしれない。上半身ブロックが3枚って構造は最初見たときびっくりしたw
2011-04-14 20:47:08@syestx 帝政ロシアの頃に一旦型紙として纏めなおされたものだと思うよ。中央アジアのチャパンに毛が生えた程度のものってのもあるしね。ほかにもいくつかパターンあったけどどこにしまったかな…
2011-04-14 20:52:54@kushanano ロシア語でかかれてるしロシアで作られたものかなとかおもったけど。ふぬなかなか振る意いぉ
2011-04-14 21:00:35@syestx 元々はグルジアとかチェチェンあたりの山岳地帯の少数民族の服だったんだけどロシアに征服されてからコサックの騎兵服として広まった経緯があるのですわ。現代ものの量産品だと衣装セットで4,5万くらいだけど古いのは相場が天井知らずになって悶絶w
2011-04-14 21:04:24@syestx ねへさんの見立ては本当参考になるなぁ、色々教えてくれて本当ありがとう。モンゴルのもあるけど欲しければまわすよー
2011-04-14 21:18:00@kushanano モンゴルもあるのか。 服は19世紀フランス基礎的な型がつくられアメリカで完成した。現代のふくは全てそれが元になってる。 ロシア帝政時代のものならアメリア方面とは分かれて伝わったもので作られてるか。本当に服の基礎のものが使われてるかもしれないね。
2011-04-14 21:22:47@kushanano フランスの最高級のオートクチュールも世界大戦によってすべて根絶して、 後にアメリカで完成されたものがフランスに持ち込まれて今の状態になった。そう意味でも 古いものってのは貴重なのね。
2011-04-14 21:25:28@syestx モンゴルのはパターンブックと言うよりはどう作るかの目安みたいなものだけどね。ここのPDFに色々目を通してみるといいかも、清朝のも少し載ってたと思う…http://www.thescorre.org/literature/Mongol_Garb.htm
2011-04-14 21:29:54@syestx 職人さんが消滅と言うことは一次戦のときに職人さんが動員されて消えちゃったのかしら。服の型の完成にはミシンの普及もだいぶ関わっていそうな気がします。ナポレオン時代の将官服でさえ今復元すると50万~のコースになる時点でどれだけの世界だったかなかなか想像を絶しますわ
2011-04-14 21:33:02@kushanano これは パタンナーがちゃんと見たやつじゃないねえ。歴史的資料としてパタン見たことあるひとが形とっただけかな。
2011-04-14 21:33:16@kushanano いろいろ理由あって、王室が衰退して高級な服がつくられなくなったこと。戦争で贅沢できなくて、着る物にまで手を出さなくなったことと アメリカ製の量産品に押されたこと、服の研究なんてされなくなった。アメリカの富裕層しかふくなんてものは贅沢しなくなった。
2011-04-14 21:39:47@kushanano いまのフランスのファッションの国なんてのは50年の歴史しかない。それまではアメリカ。あるいみ2次大戦からいっきに追い上げたのは評価できる部分だけど。
2011-04-14 21:42:53@syestx なるほど市場原理による衰退だったのか。うちの会社のボスなんかも南北戦争期のバッスルドレスが一番ふつくしいとたびたび言ってる理由がなんとなく氷解したように思う。家はあくまでも民族衣装と軍服の獣道なジャンルの人だからそういうとこは色々勉強になりますわ
2011-04-14 22:07:40