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@askai33 健常者ほど身体の自由が効かないから困っているからこそ、「障害者が自身の身体に合わせた合理的配慮を要求する」わけで、障害者は自身の身体に否定的価値判断を下していますよね?
2018-08-29 00:27:16@uncorrelated 先ほども言ったように合理的配慮は障害特性に合わせた設計がなされていないことを否定的に捉えた言葉で、否定的なのは障害特性そのものではなく、障害特性と設計との関係にあります。
2018-08-29 00:28:31@askai33 「障害特性に合わせた設計」をすべき理由は、障害者が健常者ほど身体の自由が効かないという事実に基づいているわけですから、身体の自由が効かないことにに否定的価値判断を下していないと配慮できませんよね?
2018-08-29 00:31:26@uncorrelated 「障害特性に合わせた設計になっていない」というだけで要求する理由になります。障害特性を否定的に捉える必要はありません。
2018-08-29 00:33:45@askai33 障害特性にあわせた設計にすべき理由が、「障害特性に合わせた設計になっていない」と言うのは、循環論法になっていますよ。詭弁です。まぁ、身体の自由が利かないというのは、身体能力に劣るという否定的な評価が無ければ、健常者が利用しない設備を用意する意義も認識できないと思います。
2018-08-29 00:44:22@uncorrelated 失礼。「すべき」というところを説明していませんでした。単に万人に配慮されるべき事柄がある特性の人間については配慮されていないということで「障害特性に合わせた設計になっていない」と要求されるということです。
2018-08-29 00:46:26@askai33 「万人に配慮されるべき事柄」か否かは、どのような倫理を持つかによって変わりますし、功利主義者であれば費用対効果が問題になります。
2018-08-29 00:47:42@uncorrelated そうでしょうが、合理的配慮の理念になっている障害者権利条約や障害者基本法、障害者差別解消法では否定的価値判断になっていないのはご理解頂けると思います。
2018-08-29 00:51:29@askai33 条約や法律の文言は必ずしも統一した倫理を表すものでは無いですし、実際問題、脚が不自由な人でも車椅子なしで動けるように道路を改造しろなんて話は出てきませんよね?
2018-08-29 00:54:56@uncorrelated ボタンの位置が2.5mの高さにあって自分の身長では届かないと設計に文句を言う時、自分の身長が2m未満であるについて否定的な価値判断を下していますか?
2018-08-29 00:41:56@askai33 ボタンの位置が2.5mの高さにある巨人の国に生活していれば、自分の身長に否定的な評価を下すでしょう。なお、実際のエレベーターは二箇所、ボタンが用意されていますよね。
2018-08-29 00:46:23@uncorrelated その否定的な価値判断は2.5mの高さにある巨人を考えて比較する必要がありますが、そのように考える必要はないですよね? 障害者が合理的配慮を要求するときも同じです
2018-08-29 00:48:57@askai33 巨人の国にいることを考えないと、2.5mの高さにある事に合理性がないですから。大多数の利用者、つまり健常者の利便性に配慮する経済的合理性もなく2.5mにボタンがあったら、ボタンの方がおかしいわけです。障害者が合理的配慮を要求するときは、健常者の利益にならない事を要求しているので違います。
2018-08-29 00:53:00@askai33 障害者の利益になる一方、健常者の不利益にはなるので、合理性があるかは自明ではないですね。それはさておき、障害者の利益になる理由を説明するには、健常者よりも障害者は身体の自由が利かないと言う事実を認めないといけません。自由は利くほうが良いのだから、これは障害特性の否定的評価です。
2018-08-29 01:00:52@uncorrelated 自分(あるいは集団)の身体の特徴を説明すればいいだけで、健常者を持ち出す必要はないでしょう。持ち出さない場合には否定的価値判断にはなりません。
2018-08-29 01:03:45@askai33 健常者を持ちださざるをえないでしょう。障害者に特別の配慮をしなければ、健常者は健常者にとって十分間に合うように建物を作るわけです。実際、健常者を車椅子に乗せて、障害者がいかに身体の自由が利かないかを体感してもらう運動がされていますよね?
2018-08-29 01:06:48@Fukuso_Sutaro ルッキズムがさらに強化され云々と言うのは、すべりやすい坂論法(Slippery Slope)と言う詭弁です。美醜については障害特性とは見なされていませんし、外見による差別が近年強化されていると言う根拠もありません。また、容姿は候補者の序列の問題なので、社会的な不利益も自明では無いです。
2018-08-30 07:40:02振り返って思ったのだが、近視が非常に多いのにも関わらず、この社会は近視に大して配慮せずに電光掲示板などを多用し、個々が近視を矯正する方法を取っている。そして近視という障害特性が無ければと思う人々が大半だし、近視と言う障害に対して治療主義が横行しているわけだが、何の問題も無いよね。
2018-08-29 02:15:01