#西郷どん 感想+補足まとめ 第三十三回「糸の誓い」龍馬どんの安定したSNS炎上職人評価とノーモアナマコと鈴木亮平のセクシー西郷!

寺田屋事件、第二次長州征伐からの廃幕の企て。
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町田 明広 @machi82175302

この間の薩摩藩におけるトピックとしては、本日描かれた薩英親善の推進があった。薩摩藩にとって、「小松・木戸覚書」の成立による薩長融和が国内的な同盟関係と規定すると、薩英融和は対外的な同盟関係と位置付けられる。#西郷どん

2018-09-02 20:57:23
町田 明広 @machi82175302

薩摩藩は、長州藩とイギリスとの友好関係を基軸にして、廃幕運動を展開することになるが、イギリスとの友好関係の構築は、文久3年(1863)10月に横浜で行われた薩英戦争の講和談判を起点とする。#西郷どん

2018-09-02 20:57:41
町田 明広 @machi82175302

この席上で、膠着した交渉の打開を図った起死回生の一策として、薩摩藩は戦艦や武器の調達を依頼し、また留学生の派遣を打診している。そのあまりに現実的で柔軟な発想の転換には驚くばかりであるが、それらはいずれも実現し、薩英間は急速に接近した。#西郷どん

2018-09-02 20:57:55
町田 明広 @machi82175302

留学生15名(薩摩スチューデント)については、慶応元年(1865)5月、使節4名とともにロンドンに到着した。使節には寺島宗則と五代友厚がおり、その使命には薩摩藩を始めとする大名領の港を外国に開き、そこで自由に交易できるようにイギリス政府に協力を求めることも含まれた。#西郷どん

2018-09-02 20:58:14
町田 明広 @machi82175302

こうした中で、友好関係に水を差すような事案が発生した。慶応元年(1865)9月、パークスら英仏蘭米の代表は大坂・兵庫の早期開市・開港、通商条約の勅許を要求するため、兵庫沖に艦隊を率いて来航した。将軍家茂も大坂に滞在しており、この機会を捉えたのだ。#西郷どん

2018-09-02 20:58:39
町田 明広 @machi82175302

これを受け、薩摩藩の京都留守居・内田政風が朝廷に対し、兵庫開港の不可を述べ、諸侯を召集してその開否を衆議で決定すべきであり、もし外国艦隊が不法な行為に出た場合は、率先して在京藩兵が撃攘すると朝廷に申し出た。#西郷どん

2018-09-02 20:58:56
町田 明広 @machi82175302

こうした薩摩藩の過激な言動は、朝廷や幕府の嫌疑はもちろんのこと、その思惑を遥かに超えて、イギリスなどの外国勢力にも疑惑の目を向けられることになり、これ以降の大きな難問に発展した。#西郷どん

2018-09-02 20:59:13
町田 明広 @machi82175302

つまり、パークスからも嫌疑をかけられたため、薩摩藩としては大至急、その誤解を解いて薩英関係の修復を図らざるを得なくなった。その切り札として、パークスの鹿児島への招待が計画された。パークスから望んだとする説もあるが、薩摩藩としては自らが望んだという立場は憚られた。#西郷どん

2018-09-02 21:01:08
町田 明広 @machi82175302

慶応2年(1866)6月16日、パークスは鹿児島に入港し、21日に離れるまでの間、藩主忠義が旗艦にパークスを訪ねたり、久光・忠義父子がパークスらを磯邸で饗応したり、双方の軍事演習を見学するなどの友好的な儀礼を尽した。猛烈なご馳走攻めだったが、今日はナマコに終始した感じ💦 #西郷どん

2018-09-02 21:03:40
町田 明広 @machi82175302

西郷がパークスと会談したことは極めて意義深いものであった。西郷はイギリスの嫌疑について、藩士を勅使の伴として乗り込ませ回答期限の引き延ばしを図り、その間に諸侯を上京させて会議を開くことで、外交権を幕府から朝廷に移管させる目論見であったと説明し、パークスの理解を得た。#西郷どん

2018-09-02 21:04:11
町田 明広 @machi82175302

さらに、西郷はパークスに対し、朝廷から指名された5ないし6藩の諸侯が外交を掌り、兵庫開港後の関税は朝廷に納め、西洋諸国と普遍的な条約を結べば、その時初めて信義で結ばれた関係を構築できるとつけ加えた。#西郷どん

2018-09-02 21:04:23
町田 明広 @machi82175302

一方、パークスは将軍が大君と称することへ疑義を唱え、日本においては天皇と将軍が並び立っているが、外国では決してあり得ないことである。いずれ、国王はどちらかに定め、唯一の存在にしなければならないと主張した。#西郷どん

2018-09-02 21:04:37
町田 明広 @machi82175302

この会談を通じて、西郷は条約勅許時の嫌疑を晴らしたばかりでなく、十分に薩摩藩の抗幕政略をパークスに理解させ、賛同させることに成功した。しかも、パークスが幕府から朝廷への外交権の移管に賛意を持っていることを確認でき、上首尾な会談となった。#西郷どん

2018-09-02 21:04:53
町田 明広 @machi82175302

西郷・パークス会談によって、薩摩藩が今後の周旋活動への安堵感と自信を得たことは極めて重要であった。個人的に興奮したのは、薩摩スチューデントの一員でロンドンから帰国したばかりの寺島宗則が登場したこと。明治初期の外務卿です(^^) #西郷どん

2018-09-02 21:05:20
町田 明広 @machi82175302

さて、この間の政治状況についても、触れておこう。薩摩藩は長州再征に出兵しない方針をとうに決めていたが、征討に踏み込まざるを得なくなった幕府は、再三にわたって、薩摩藩に対して出兵を要請した。#西郷どん

2018-09-02 21:07:29
町田 明広 @machi82175302

慶応2年(1866)4月、大久保利通は老中板倉勝静に対し、内乱に発展するとして征長の非を論じて、あくまでも出兵拒否を押し通した。こうした中で、6月7日、幕府艦隊による周防大島への砲撃が始まり、ここに第二次長州征伐(幕長戦争)が開戦となった。ドラマの展開通り。#西郷どん

2018-09-02 21:07:47
町田 明広 @machi82175302

幕府は、大村益次郎による軍政改革が浸透し、その一環の散兵戦術に長け、薩摩藩の名義借りで購入した近代兵器を使いこなした長州軍に大敗を喫した。そもそも、幕府軍の主力は1年以上に及ぶ大坂滞陣に倦んでおり、しかも、病気も蔓延して一向に士気は上がらなかった。#西郷どん

2018-09-02 21:09:13
町田 明広 @machi82175302

さらに、薩摩藩を始めとする諸藩の出兵拒否にあうなど、負の連鎖を止めることはできず、戦う前から苦戦は必至だった。追い打ちをかけるように、7月20日に将軍家茂が大坂城で急逝してしまった。#西郷どん

2018-09-02 21:09:28
町田 明広 @machi82175302

家茂が急逝した同日、久光・忠義父子は征長反対の建白書を提出し、寛大の詔を下して征長の兵を解き、その後に天下の公議を尽くして大いに政体を更新し、中興の功業を遂げるための政治変革を求めた。#西郷どん

2018-09-02 21:10:19
町田 明広 @machi82175302

久光・忠義父子からの建議は、徳川宗家を継承した一橋慶喜の尽力によって朝議では退けられ、孝明天皇によって戦争の継続が沙汰された。慶喜は勝てると踏んだのか、自ら出陣を請い、やる気満々であった。#西郷どん

2018-09-02 21:10:39
町田 明広 @machi82175302

しかし、長州再征の継続に意欲を見せていた慶喜であったが、九州方面での敗報が届くと手の平を反し、8月20日に長州征討の止戦の勅命を得て、同時に諸大名を召集し天下公論で国事を決める姿勢を示した。このあたりから、会津藩は慶喜の妥協的政策を了解せず、一会桑勢力の足並みが乱れ始める。#西郷どん

2018-09-02 21:11:10
町田 明広 @machi82175302

慶喜は徳川宗家の家督を相続したものの、実は手に入れたい将軍職は固持した。慶喜は文久3年以降、江戸に居らずに在京し続けており、常に江戸幕閣から嫌疑をかけられていたため、諸侯に推される形で将軍に就任しようとタイミングを計っていたのだ。#西郷どん

2018-09-02 21:11:29
町田 明広 @machi82175302

一方、大久保を中心とする在京要路は諸侯上洛の朝命を利用して、この将軍空位期に将軍職を廃止し、諸侯会議を実現する好機ととらえた。しかし、久光に上洛を要請したものの、時期尚早として見送られてしまった。#西郷どん

2018-09-02 21:11:42
町田 明広 @machi82175302

その代わりに、藩政改革にあたっていた小松・西郷が10月25日に上京した。この間、孝明天皇から厚い信頼を得ていた慶喜は、着々と準備を進め、12月5日、在京諸侯の推戴を得たとして将軍に就任した。ここでも、薩摩藩は慶喜に敗れたのだ。#西郷どん

2018-09-02 21:11:54
町田 明広 @machi82175302

しかし、政局運営を安定させたい慶喜は、方針転換を図り、有力諸侯との連携を模索し始めた。よって、小松・西郷らは方針を変えて、当面は朝廷工作を控えて直接幕府と交渉することを決めた。#西郷どん

2018-09-02 21:12:30
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