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「フェミニストがオタク狙ってくるのって、曲がりなりにも会話成り立つ相手が他に居ないから
増田って昔からフェミvsオタクみたいなエントリ好きだよね。書いている人は同じ人だったりするのだろうか、誰か考察頼む。これについては、リンク先にある「フェミニストがオタク狙ってくるのって、曲がりなりにも会話成り立つ相手が他に居ないからだと思う」に膝ポンして私の中では決了してしまったけど
フェミニストがオタク狙ってくるのって…曲がりなりにも会話成り立つ相手が他に居ないからだと思う。性格や知能や暇さを総合して、「フェミニストの話に付き合ってくれるタイプの男」がほぼイコールで「オタク気質のある男」となる。石原慎太郎みたいなタイプの男に何か言っても望むようなキャッチボール自体が成り立たない
先ほどのまとめで、ろくでなし子さんが、「フェミニストは怒りをむきだしにしすぎて怖がられるばかりで、目的から遠ざかっている」という話をされていましたが
もしかしてすでにオタク以外はフェミニスト相手にしてないのにオタクだけが反応してストロークを提供しているから行動分析学でいうところの「強化」(狂化?)してしまっている可能性があるのでは。
ネットで声がでかいフェミニズムの人たちはろくでなし子さんが言うように現実においては「避けられそうな」人たちばっかりですよね。そしてフェミニズムを批判しているオタク側も。お互いに身体が闘争を求めすぎじゃないでしょうか。
ちょっと何いってるのかよくわからないまとめなので一箇所だけ引用します。
<フェミニストの多くは、非モテがミソジニーを振りかざすから火の粉を振り払っていると認識しているようですが、それは正しくありません。実際は、フェミ的な社会制度を設計する上で、非モテ独身男性というのはあってはならない異物だから。非モテが生存の脅威がフェミなら、フェミの理想の障害が非モテ。別に異物とはおもっていない!フェミニズムは独身も許容する多様性を認める思想だという反論が予想されます。しかし、その許容というのは、「独身者にも育児世帯への支援を負担してもらうことに同意すれば」という但し書きがあります。これに納得できない非モテとフェミは水と油なのです。実は、ミソジニー論とか、あるいはフェミがもっている思想性が危険だと、そういう争いは枝葉の話です。根本的には、経済利権の争いです。だから、どれだけ話あっても無駄なのです。>
この記事は、上野千鶴子は実は表現規制に強く反対している人であるという重要な指摘がなされています。
上野千鶴子は「暴力的なポルノ」であっても法的に規制されるべきではないとしています。
上野千鶴子の主張を要約するなら、「個人的にオタクはキモいと思うが、それでも公的にはオタクの表現は守られるべきだ」なのです。 一人で二次元を楽しんでいるかぎりにおいて、オタクは女性に迷惑をかけてなどいない。元記事でも引用部分をよく読めば分かるように、このことを上野千鶴子はしっかりと認識している
「性欲と性行為と性関係とは、厳密に区別されなければならない」(p.75)。
「欲望そのものは個人内で完結しているから[……]その限りで、欲望は――想像力と同様に――自由である」(p.76)。
つまり、差別が効力を発揮するのは、他者が存在する「性関係」のみだということです。
想像力は取り締まれない――それが多数派のフェミニストが暴力的なポルノの法的な取り締まりを求めることに、わたしが同調できない理由である。(p.80)
わたし自身は、フェミニストのなかでも『表現の自由』を擁護する少数派に属する(p.80)
ヴァーチャルなシンボルで充足できる「二次元萌え」のオタクや、草食系男子のほうが、「やらせろ」と迫る野蛮な肉食系男子よりましだ。(p.86)
フェミニズムとのあるべき接し方
①共闘可能なフェミニスト(ろくでなし子さんなど)を見出し、応援したり支持することで
②ラディカルな上にオタクにだけ厳しいフェミニストの声を弱める
ではないでしょうか。
フェミニズムに賛否両論あるのは百も承知で、私自身も全面的にフェミニズムを支持するつもりはありません。ですが歴史的役割から見て明らかなように、フェミニズムには(部分的ではあるが)正当かつ重要な主張が含まれています。
なのでフェミニズム全体を完全に敵扱いすると、「フェミニズムの正当な部分にまで異議を唱えている」と世間から誤解され、さらに敵が増えることになりかねません。
重要なのは、敵味方を誤認しないバランス感覚と、味方に誤爆しない精密さです。規制派フェミへ抗議するのはもちろん大切ですが、擁護派フェミの存在も見落とさず、できるだけ敵を増やさない(かつ味方を増やす)主張を行うのが肝要だと思われます。