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ビブリオバトルで原稿読んでもいいんだってばさ、発表の仕方は自由なんだってばよ、と思った日記。

私のビブリオバトルの解釈については、ビブリオバトルオブザイヤーにノミネートされ間違ったビブリオバトルをネットで糾弾している山本弘様より「デマである」「こいつはビブリオバトルなんかやったこともない」と指摘されているもですので、決して信じないで下さい。     山本弘様の発言が正しいビブリオバトルの解釈なので、私のデマを信じてしまった方に真実を伝えるために、何度でもこうして謝罪していきたいと思っています。 尚、ツイートの中にはどっかからの引用も含まれている、というかビブリオバトルは私が考え出した競技ではないので、すべからくどっかに書かれているものに決まってます。これに関してオリジナルを主張することはありません。
成田康子 峰森ひろかず 山本弘 ビブリオバトル 谷口忠大 小中学校読書活動研究会 森川成美 木下通子
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読書のちょめちょめ @dokutyome
超負けた❗ しかし、ルール上ビブリオバトルの発表は本のみで行い、レジュメやパネルの持ち込みは厳禁、付箋は認めるとなっているけど、その本にまつわるペーパークラフトを紙袋から出して発表した人がいて、これは失格だろうと思ってボクはその人に投票したんだけど、結局その人が勝った。いいの!?
読書のちょめちょめ @dokutyome
@pieceofi 出場者としては、自分には投票できないルールになっていて、だからといって本当に良い発表に投票すると、自分が勝ち上がるために不利になる可能性があるので、失格だと思うその人に投票したんです。納得できないなあ!早めにラジオ配信します!
転生したらODGだった件 @odg1967
「読みたいと思った本」で投票すると結局こういう報告が優勝してしまうので、難しい本を一生懸命読んでオリジナルの報告をした学生に「審査員特別賞」みたいなのを出して、どこがよかったかを説明することにしています。
転生したらODGだった件 @odg1967
ゼミでのビブリオバトル、この辺りでどうよというブックリストを配ったら、毎年必ずいた『こころ』とか自己啓発本で発表する学生がいなくなった。この辺りを読んで欲しい(というかこういう本での報告は困る)という教員の希望を伝えることも重要だなと。
読書系イベントサークル☆ビブリ場 @bibli_place
こんだけ広まったら、ビブリオバトルが「競技ビブリオ」になってしまうのも仕方ないのか…
Tadahiro Taniguchi @tanichu
facebook上のビブリオバトル普及委員の迅速な議論で,少し論点が見えてきた.原稿を作ること自体は自由だが,「原稿作りを強要すること」には難があるし「それを提出させて優劣を評価する」というのは問題外だということか.
三浦一郎 @ichiromiu
@tanichu 「なぜ中高の教育関係者の少なくない人がビブリオバトルで安易に「原稿書け」と言うのか」 という問いは研究テーマになりそうなぐらい面白いですね。学校教育の様々な囚われが露わになりそうです。ビブリオバトルの使い方は露骨にその人の教育観を炙り出すような気がします。
元野 明(腰痛) @daymoons
ビブリオバトルの原稿やスライドを作っているという方は、ルールをよく知らない開催者によって読書感想文朗読合戦や愛読書プレゼン審査会などの謎の大会に参加させられている可能性があります。公式ルールを見せてあげましょう。bibliobattle.jp/koushiki-ruru
小野永貴 (ONO Haruki) @milkya
ちなみにビブリオバトルとプレゼンを結び付けすぎると、一部の方々には嫌がられるらしいですが、それはルールの趣旨を考えれば至極当然。ビブリオバトルは良いプレゼンを目指すものではなく、素敵な本の伝達と発見が目的であり、あくまで結果的に基礎的プレゼン技術の向上に繋がると推測するだけです。
いちのせやよい @iciinoseyayoi
ビブリオバトルの公式ルールには原稿を書いてはいけないなどというルールは存在しないという話を前にしたのだが togetter.com/li/1270951
いちのせやよい @iciinoseyayoi
個々人が好きなように本を紹介することが守られるべきで、発表の仕方は自由だから原稿書いてもいいんだよ。原稿書いて来いと強要してはいけないというルールなんだよ。書くなというのもまた強要になって嫌われちゃうよということ。
いちのせやよい @iciinoseyayoi
だってビブリオバトルを普及している人なら当然しゃべれない人に出会ってるよね。原稿だろうがスライドだろうが好きに自由に発表させることが重要だって気がついてるよ。
いちのせやよい @iciinoseyayoi
その自由さが本質であって、問題なのはビブリオバトルに存在しないはずの権威によって自由が縛られることだよ。
いちのせやよい @iciinoseyayoi
学校の読書感想文の評価というのは、99人が面白いと言っても1人の教員が面白くないと言ってしまえば評価されないわけ。つまり学校の読書感想文は1人の権威者に評価されるように書かなければいけないわけ。
いちのせやよい @iciinoseyayoi
それに対してビブリオバトルというのは、話を聞いてくれた人全員が平等に一票を持っているわけだから、発表者達は誰か特定の権威者に向けて発表するわけではない。全員に向けた発表など不可能だが、個々人が自分の好きな本をどの方向に向かって紹介するかは自由であり、その自由こそが多様性を生む。

不便益 手間をかけるシステムのデザイン 川上浩司
谷口忠大
発表参加者は勝つためには多くの票数を集めなければならない.そのために求められるのは多くの人に「その本が一番読みたくなった」と言ってもらい票数を得ることである.これを実現するために発表参加者が,まずやるべきことは
(1)みんなが一番読みたいと思ってくれる本を探して持ってくる,
(2)その本をみんなが読みたいと思ってくれるようにちゃんと紹介する,
という2点である.

ここで重要なのは「みんなが一番読みたくなるであろう本」は必ずしも「世の中の平均的な視点から見て良い本」「よく売れている本」「偉い先生の推薦する名著」ではないということだ.
そういう意味で実は(1)は意外と難しい.なぜならば,「みんながどんな本を好きかがわからない」からだ.前節で述べた願望に関する知識が完全ではないのだ.となると,発表参加者はそれを想像しないといけない.
発表参加者は本を選ぶプロセスの中で自らの書籍に関する知識(事象に関する知識)を活用するのみならず,他の参加者の好きな本や勉強したいこと,興味に関する知識(願望に関する知識)を推測する必要がある.逆に言えば,このビブリオバトルというメカニズムは個々人の願望に関する知識を表出させる機能もある.この願望に関する情報は最後の投票のタイミングでもより明らかになる.

いちのせやよい @iciinoseyayoi
もちろん、個々人が色々な方向に向けて発表する自由には特定の権威者に向けて発表する自由も含まれる。しかし、ビブリオバトル参加者の平等性を崩し、教員や主催者・司会進行などに参加者という役割以上の権力を持たせると、簡単にビブリオバトルというシステムは崩れてしまう。

不便益 手間をかけるシステムのデザイン 川上浩司
谷口忠大
ビブリオバトルでは司会者に特段のスキルは求められず、学校で開催される場合には、クラスの図書委員会や学級委員が司会をするということがよく見られる。これが、ビブリオバトルの普及におけるスケーラビリティを提供してきたことはファシリテータ非依存性の好例であり、非常に重要である。

いちのせやよい @iciinoseyayoi
ビブリオバトルというシステムはその開催から選書、発表、その全てに至るまでが自由でなければならない。従って、ビブリオバトルを学校で導入するのであれば、教員から見て一言いいたい選書や発表や投票であってもそれには介入しないことが求められるのである。
いちのせやよい @iciinoseyayoi
ビブリオバトルを導入したからといって、来週の発表で生徒が原稿なしに全国大会のようなプレゼンが出来るわけでもないし、いきなりこれまで読んだ事もないような本を喜んで読むわけではない。ビブリオバトルを導入して生徒をそういう風に改造しようとしてるから嫌がるのである。

読みたい心に火をつけろ! 木下通子 
P90
ところで今、学校で盛んに言われているのが「思考力の向上」や「言語力の向上」です。ビブリオバトルを体験すれば本を好きになるとか、プレゼンテーション能力が上がると思っている大人も多いようですが、漢字書き取りを何回しても覚えない子がいるように、自分が好きで取り組まなくては、「○○向上」につながるわけではないのです。だから、学校でビブリオバトルをやるときには、無理せず楽しくが基本です。
「この本はだめ」など、ビブリオバトルの本選びを限定したり、発表の原稿を大人が添削したりするのはビブリオバトルの趣旨にあいません。何か成果を求めるためにビブリオバトルを行なうのではなく、ビブリオバトルを楽しくやっていたら、自然に人前で話せるようになったとか、文章をまとめるのがうまくなったとか、本が大好きになったとか、一人一人がそれぞれに手ごたえを感じられるのがいいのです。みなさんも、ビブリオバトルを怖いなんて思わずに、ぜひ、楽しんでください。

マンガでわかるビブリオバトルに挑戦!
インターネットで出回っている動画は、イベント型のビブリオバトルで予選会を勝ち抜いていった人のものが多いようです。ワークショップ型やコミュニティ型ですすめる学校での開催にはあまり参考にはならないでしょう。むしろ、生徒たちのハードルを高めてしまう可能性もあります。

むやみなワークシートの作成課題は避けましょう。

少なくとも、チャンプ本に選ばれた生徒の評価を上げるということはしないで下さいね。

ビブリオバトルは魔法でもなんでもありません。ただ一度だけビブリオバトルを開催すればすべてが解決するなどというのは、妄想でしかありません。日々のコツコツとした学びを何よりも大切にすべきですし、教育の場においてはもちろん、そのような安易な考えは避けられるべきものです。継続は力なり。ビブリオバトルのよさもくり返し楽しむことでこそ見えてくることがたくさんあります。ぜひ、ビブリオバトルを「一回だけやる」のではなく、「継続して行なう」ことができるように工夫していただければと思います。
学校実践を始める際にこれまでしばしば起きてきた不幸な事象は、先生が自分自身はビブリオバトルをせず、その体感も持たぬまま、ビブリオバトルの大会を開催することを大切と考えてしまう誤解によって生じてきました。「うちの学校でもビブリオバトルを実践します。今年は秋に全校で一回やる予定です」というような話をよく耳にしました。もちろん、ゼロ回と一回の間には大きな差がありますが。
しかし生徒一人の視点にたてば、一回きりのビブリオバトルでは、何の試行錯誤による探索のチャンスもありません。「今度はああいう本を紹介してみよう」、「こういう風に発表してみよう」、「次こそはチャンプ本を……」、そういう思いが湧き上り、また次に挑戦することで、一人ひとりの物語が動き出す。そういう場をつくれていることこそ、学校・図書館でのビブリオバトル活用実践の本当の成功事例なのだと思います。
放課後の学校でサッカーに興じる子どもたちは楽しそうです。サッカーボールを蹴る子どもたちは決してうまいわけではありません。でも、ゲームの中で試行錯誤をくり返し、自分なりの発見を重ねていく姿が私は好きです。そういう場があることはすばらしいと思います。ビブリオバトルも同じです。大きな大会が年に一回あることよりも、一人ひとりの生徒が自ら本を探し、読み、体を動かして、話し合い、楽しみながら、くり返しプレイし、自らの中で、また友だちとの間で、何かを育むことのできる環境をつくっていくことこそ本質でしょう。
授業という時間の中の実践ということになると、ついつい「発表」にばかり目が行き、「うまい発表」をさせることが目的に思えてしまうことがあるかもしれません。そのために原稿執筆の指導をし、生徒の表現内容に直接指導を入れることに重きをおいてしまう先生がいることも確かです。上手な発表をデザインすることよりも、生徒たちが下手でもいいから、能動的に創造的に取り組むという環境をデザインするということこそ、先生の役割です。生徒たちが「失敗する自由」、「チャレンジが許される安全」をしっかり確保するようつとめましょう。

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