佐藤正美Tweet_20181016_31

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佐藤正美 @satou_masami

「『春琴抄』という作品が現れる。取りまく批評は一見各人各説だが、何んの事はない、よく見れば、『古いけど面白い』派と『面白いけど古い』派に別れて、さっぱりしたものである。何がこうさっぱりとさせてくれるのか。『春琴抄』という作品そのものの力がだ」(小林秀雄、「文芸時評について」)。

2018-10-21 10:49:51
佐藤正美 @satou_masami

「つまりこういう作品は批評する際に、どういう立場からものを言おうとするにせよ、一応作者の方から人々を同じ土台の上に招集してくれるのである。何を言っても構わない、だが先ずこの美しさをとくと眺めてからものを言え、と」(小林秀雄、「文芸時評について」)。

2018-10-21 10:50:30
佐藤正美 @satou_masami

このことは、文学作品に限らず(私が仕事している)「情報科学」の領域で「古典」と称される論文にも見られる性質です。

2018-10-21 10:51:21
佐藤正美 @satou_masami

ゲーデル氏の論文 然り。ゲーデル氏の論文についての惚けた感想を聞いて──たとえば、「ああいう理論は、我々エンジニアには関係ない、ああいう理論を学ぶのは衒学趣味だね」などという感想を聞いて──私は苦笑せざるを得ない [ そういう感想しか言えぬ人の才識を疑うしかない ]。

2018-10-21 10:51:55
佐藤正美 @satou_masami

ゲーデル氏の論文(「不完全性定理」)を学ぶことを衒学趣味と云っているシステム・エンジニアさん、ゲーデル氏の論文は、あなたが今やっている仕事(職業)を作った元祖の論文ですよ。

2018-10-21 10:52:39
佐藤正美 @satou_masami

難しい理論がわかないなら、わからないでいいが、そうであれば黙っているのが「知性の節度」でしょう。天才が示した難しい理論に対して我々凡人がぶつかってゆけば、こっちが粉砕されるに決まっている。しかし、そういう戦いの中でしか批評はできない筈です。

2018-10-21 10:53:13
佐藤正美 @satou_masami

エンジニアと称するのであれば、エンジニアとしての「内奥にある指針」──職業上の「長い伝統によってはぐくまれた或る鋭敏な指針」──を持っていなければ嘘になるでしょう。

2018-10-21 10:53:54
佐藤正美 @satou_masami

様々な品質の作品に接する度胸を抱き続けて──佳作・駄作の宝石混淆な多量の作品群を相手にして──長年の仕事の中で審美眼(批評力)を養うしかないでしょうね。

2018-10-29 15:07:33
佐藤正美 @satou_masami

すぐれた作品を制作するための技術を一覧的に記述した表(リスト)を物指しとして一つ持っていれば作品を判断できるというような手続きは仕事じゃないし、そんな手続きを組む事もできないでしょう。だから、清濁併せ呑むのは当然じゃないかという度胸が出来る。

2018-10-29 15:08:16
佐藤正美 @satou_masami

そして、そういう濁流の中に潜り続けて真珠を探すのは疲れる。この疲労感は、本物のみが持つ魅力を明かすための対価なのでしょうね。そう言えば、「気の利いた」批評が虚弱に感じられるのは、ひょっとしたら、こういう度胸を体験して来なかったからかもしれない。

2018-10-29 15:08:53
佐藤正美 @satou_masami

普段の生活の中で、技術というのは実際に使ってみて覚えるしかない事や、くり返して使って慣れる事を我々は知っている。しかし、技術を使って愉しんでいるあいだは、趣味の域を出ないでしょうね。

2018-10-29 15:09:34
佐藤正美 @satou_masami

技術を極限の状態にまで究めるならば長年の研鑽を積んで、その研鑽の中で、苦しみや悦びや疲れや絶望を嫌というほど味わう筈でしょう。絶望感を味わった事のない匠(熟練)などは有り得ないのではないかしら。

2018-10-29 15:10:19