「愛のあるやっつけ仕事」としての発話に励みましょう・・・茂木健一郎さんの連続ツイート
- toshihiro36
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発話(1)教える、ということは、自分の中にある情報が、生徒に伝わるだけだと思いがちである。しかし、そうではない。「発話」は、自分の知識や経験に拘束された創発のプロセスであり、自分自身にとっても多くのサプライズを含んでいる。
2011-04-29 06:56:35発話(2)教師が前に立ち、生徒たちに話す。その際、事前の知識や経験がなければもちろん何も伝えられない。しかし、最良の場合には、質問に触発されて、思わぬ視点が自らの中に立ち上がる。教師自身にとっても、発見がある。
2011-04-29 06:57:25発話(3)だから、何かを人に伝えたり、説明する行為は、自らを削るのではない。むしろ自分自身の内面もそれによって豊かになる。他者という誘導因子に触発されて、自分の内側に「泉」が生まれるのだ。
2011-04-29 06:58:34発話(4)連続ツイートの際や、エッセイを書く際、あるいは講演の時に、だいたいのことだけイメージして、あとはその場で創発するものに任せる。多くの場合、自分にとっても新しいことが出てくる。書いたり話したりしながら、「これはいい話/重要なポイントだ、覚えておこう」と感じる。
2011-04-29 07:00:19発話(5)もっとも、即興に任せるといっても、それだけ多くのことを勉強し、インプットしなければ精度と飛躍の包絡線が深化しない。多くの曲を知っているピアニストがうまい即興演奏をするように、たくさんの事柄が、自分の中に蓄積していなければならない。
2011-04-29 07:01:33発話(6)生命の本質は「今、ここ」の即興にある。「生命の躍動」(エラン・ヴィタル)を充実させるためにも、そのためにこそ勉強がある。勉強は、試験で良い点数をとるためにあるのではない。自分の次の即興をよりよいものにするための、土への滋養の提供なのだ。
2011-04-29 07:02:54発話(7)話者が、どの程度良質の即興で発話しているかどうかは、必ず受け手に伝わる。そこで感染しているものは、情報としての内容ではなく、「生きる」ということの喜びと、鮮烈なる驚きなのだ。
2011-04-29 07:04:19発話(8)英語習得の究極の目的も、つまりは、英語での発話に基準が置かれなければならない。いかに、英語で喋り、書くという即興を流麗なものにできるか。ネイティヴであることの喜びは、愛のあるやっつけ仕事の中にある。
2011-04-29 07:05:28発話(9)発話は、自分の考えをまとめるのにも役立つ。他者に対してアイデアを一通り話すこと(talk through)によって、自分がそもそも何を考えていたのか、無意識の薄暮の中から浮かび上がってくる。発話が、自分を映す鏡となるのだ。
2011-04-29 07:06:40だから、今日も一日、他者に向って、「愛のあるやっつけ仕事」としての発話に励みましょう。以上、「発話」についての連続ツイートでした。
2011-04-29 07:07:16