芝村裕吏さんによる解説「隋(国家)の寿命はなぜ縮んだ」

2011/04/29
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芝村裕吏 @siva_yuri

ココで言う外国は、すなわち異民族ですね。特に北方の狩猟民族をいいます。 かれらの戦闘力は強く、あえなく群雄割拠になっちゃうわけです。 が。その後彼らは通婚を通じて中国化していきます。 で、中国化した人々の末裔が、隋や唐を建国します。

2011-04-30 01:48:38
芝村裕吏 @siva_yuri

さて。長い戦乱で統一した隋は、言い方をかえると当時の超大国でした。 で、今度はその勢力におされるように、北方異民族が分裂し、隋に従います。 これまでの逆ですね。三国志でも有名な突厥が東西にわかれ、東が臣従します。

2011-04-30 01:52:26
芝村裕吏 @siva_yuri

が、東突厥は臣従したのに、その東隣の高句麗は臣従してきません。で、隋は臣従させようと兵を送る事になります。 一応、中国側の歴史書ではもっともらしく、隋に隠れて突厥に密使を送ったので、これを懲罰するとかいう話になってますが、まあ、控えめにいって、言い訳にもなってません。

2011-04-30 01:55:15
芝村裕吏 @siva_yuri

まあ、隋にいたるまでは、北方からの侵入は長らく中国の軍事的な戦略課題であり、頭の痛い政治問題でした。400年近くにわたる、それは重い問題です。 なんでまあ、再統一を機会にその地域を平定しようというのは、分からないでもありません。

2011-04-30 01:57:37
芝村裕吏 @siva_yuri

言うなれば、恨みですな。ちなみに、高句麗含む三韓の隣は日本(倭)です。 隋は国書問題で怒りつつも、倭とは友好関係を結びます。

2011-04-30 02:04:03
芝村裕吏 @siva_yuri

ちなみにこの国書問題は、ご存じの通り聖徳太子が書かせた親書のことで、日出づるところの天子、書を日没するところの天子に致す。つつがなきや からはじまる有名な文です。 これ、自分を格上と思ってる隋からみたら失礼千万に映ったわけです。

2011-04-30 02:06:38
芝村裕吏 @siva_yuri

それでも隋が倭と仲良くしたかには2国を相手せず、という現実的な打算もあったのでしょうが、この国書を実際書いたのは高句麗の人間ではないかと中国では判断もあったりします。

2011-04-30 02:09:22
芝村裕吏 @siva_yuri

まあ、日本から見たら日が出るのは海の向こうなわけで、日出ずる国という自称はせんだろう。 という判断ですね。 どこの国から見て日いずるかは、考えるまでもない。と言うわけです。 実際の所はどうかはさておき、当時の倭、自称で”大”和は、そういう環境にありました。

2011-04-30 02:13:06