いだてん 第6回「お江戸日本橋」

色んなモノが交差する
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こば@語り用 @385_mnkd

志ん生は私が生まれた頃には既に故人であったので、ドラマの1959年頃の志ん生がどういう感じに見られていたのか知ることはできてもわかることはできないんですね。だが「ビートたけし」ならわかる。今たけしを見る気持ちが当時の志ん生を見る気持ちです、て言われるとわかる。 #いだてん

2019-02-11 17:12:08
こば@語り用 @385_mnkd

志ん生没後に生まれた人が、知識でなく体感でその存在を「わかる」為の志ん生がたけしだと思うと、滑舌が悪いの似てないのっていう話じゃないと思うのです。そこに70過ぎで一世風靡した過去と老いて尚根強い人気と地位のある、つまりたけしが座っていることで感覚を今に繋げているんだと。 #いだてん

2019-02-11 17:20:34
アンチョビ @anchovy_aid

今回もお待たせしました。推しがポンコツ化。日本橋の上ですれ違う四三と孝蔵、花火の美しさ。面白いよ〜。 #いだてん #nhk #いだてん 第六回「お江戸日本橋」君よ、黎明の鐘となれ。尚、経費は自腹(酷)。彼方此方。 matome.naver.jp/odai/215502212…

2019-02-15 23:57:29
リンク 東京坂道ゆるラン いだてん・金栗四三「マラソン足袋の第一歩、黎明の鐘」 黒坂辛作は明治十四年(1881年)の兵庫生まれ。足袋作りの修行をして二十一歳の時、東京で一旗揚げようと上京。明治三十五年(1902年)小石川区大塚仲町十番地に足袋店を開業。屋号は生まれ故郷からとって「播磨屋」とします。
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