Twitter読書会第一回「好き好き大好き超愛してる。」

12月1日00:00~23:00までの読書会の様子をまとめました.
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@shiki02

【私的冒頭部分メモ】愛は祈りである。祈りは未来だけでなく過去、つまり既に起こってしまったこと(柿緒の死)についても、小説という形で祈る #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:26:46
ふじさん @fuji_3

うーん……。確かに冒頭部の扱いが難しいな。穿った見方をすれば、治の独白に見せかけた作者の独白、って感じだけど。そんな読み方で良いのかどうかがわからない。ただ冒頭部の発話者が意図的にぼかされてるのは確かな気がする #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:28:25
@mekahdd

ちょっと本筋とは逸れてしまうけど、舞城の暴力的表現の意図するところを皆さんはどのように考えているかを知りたい。自分は暴力のある文章が特別好きという趣向を持っているわけではないけれど舞城の暴力表現に快感を見出してる節がある。それは何故なんだろう? #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:28:41
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

もしかしたら、東浩紀が「ゲーム的リアリズムの誕生」で提唱した「環境分析」的な読解が有効なのかも?ちょっと一石投じる意味でも当該書籍のP157から引用しますね。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:30:35
イズミ @izuminote

@yuriikaramo むむむ…!!難しい質問ですねwもうちょっと限定してもらえるとうれしいです!佐々木妙子の章のどの辺を読んだらいいですか? #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:31:47
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

(引用1)自然主義的な読解は、作家がある主題を表現するためにある物語を制作し、そしてその効果は作品内で完結していると考える。しかし、環境分析的な読解は、作家がその物語に意図的にこめた主題とは別の水準で、 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:34:01
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

(引用2)物語がある環境に置かれ、あるかたちで流通するというその作品外的事実そのものが、別の主題を作品に呼びこんでくると考える。そして、そのような複合的な視点の導入によって、 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:37:01
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

(引用3)自然主義的には単なるファンタジーで、荒唐無稽な幻想にすぎないキャラクター小説のなかに、まったく別のメッセージを読み取ることが可能になる、というのが筆者の考えだ。(引用終わり) #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:39:04
@shiki02

よくわからないけどようするに読解にメタ的な視点を導入しろということでしょうか >環境分析的な読解 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:43:47
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

つまるところ、セカチューやケータイ小説のような物語の大量再生産・大量消費される今の「環境」という文脈でのみこの小説は「文学的な」読み方ができる。物語がもっと健康な時代に読んでも面白くないのかも…… #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:45:33
ふじさん @fuji_3

そういえば山口雅也『生ける屍の死』に「エロス(愛)とデス(死)は兄弟!」って記述があったことを思い出した。やっぱり死なしに愛は語れないのか。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:51:44
ゆりいか @yuriikaramo

なぜ先ほど、冒頭部分が「柿緒」の主人公とは違い、集合化された「僕」だと述べたのには、もし「柿緒」の主人公のセリフであるなら、こうしたまとめ的な文章はむしろ結論として最後に出すか、タイトルに「柿緒」を最初に持ってくるべきだからです。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:56:21
@muzigohan

破天荒に暴れる場面と、暴力に怯える場面両方書いてるのが好き。スカっともできるし共感もできる。RT @mekahdd: ちょっと本筋とは逸れてしまうけど、舞城の暴力的表現の意図するところを皆さんはどのように考えているかを知りたい。自分は暴力のある文章が #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:57:55
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

……なんか「環境分析的な読解」を俺が勘違いしてる気がしてきた。別の方向でツィートしよう。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:59:16
ゆりいか @yuriikaramo

冒頭はポジティブな発想、つまり「祈り」について何の疑いもなく(ネガティブな発言なく)信じているのに、個々のエピソードは結局全て祈りは通じず、全て負けてしまっているのです。これは@semimixer さんの発言も参考にした上で考えました。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 21:59:45
@muzigohan

それぞれ舞城、春樹、ラノべか、ってこれよんで脊髄反射で思いました。RT @fuji_3: 「智依子」「佐々木妙子」「ニオモ」に共通するモチーフは「死」と「(死による)変化」だけど、今ちょっとパラパラ見直しててこの三つの章はやっぱそれぞれにアプローチの #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:00:52
@muzigohan

それぞれ舞城、春樹、ラノべか、ってこれよんで脊髄反射で思いました。RT @fuji_3: 「智依子」「佐々木妙子」「ニオモ」に共通するモチーフは「死」と「(死による)変化」だけど、今ちょっとパラパラ見直しててこの三つの章はやっぱそれぞれにアプローチの #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:00:52
ゆりいか @yuriikaramo

@eijp これは今の所根拠が難しくてね・・・結構遠回りしたw #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:01:33
ゆりいか @yuriikaramo

だから、これは各エピソードの主人公のこうあったかもしれない出来事や、こうあってほしかったこと、こうなってほしいということ、過去、現在、未来への集積された「祈り」のスローガンととれるのではないかと言うことです。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:03:19
@muzigohan

大抵の解釈は「そうか、そんな読み方もできるのか」って言われそうw RT @fuji_3: と言うか舞城がどこまで意図して書いているのかがわからなくて、全てを計算してると言われればそうかなって気がするし、何も考えてないって言われたら言われたで、ああそう #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:04:39
@shiki02

@yuriikaramo でも柿緒1(文庫版36ページ)で祈りには絶対的に揺るがない価値があると肯定的にも取れる文章もあります #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:05:21
つくし🐔🍗テイワットにいる @tsukushi_k

@yuriikaramo うーん、ここでは「祈り」は通じる通じないとは関係ない、ごく個人的な行動とされているので、勝ち負けで語ることはできないような。通じなかったら負け、なら「願い」という言葉がしっくりくるように思うのです。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:06:15
ゆりいか @yuriikaramo

だから単行本p8に過去に対しても祈るのだということが書いている。実はエピソードが全て終わった上で、それでも祈るという。ある種の作品への「祈り」が最初に示されてるのではないか。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:06:32
あかしあ @akashianomi

これ見てもうちょっと読んでみようと思った。RT ただ、『好き好き大好き超愛してる。』はこれまでに他の舞城王太郎作品を読んでいるかどうかでかなり読み方が変わってくる作品のような気がする。他の人の呟き見てても何となくそんな感じ。 #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:07:13
ゆりいか @yuriikaramo

@shiki02 個人的な行動であることはあくまで「柿緒」の主人公の考えであって、相対化された時に表れる「僕」のポジティブな「祈り」だけが浮かび上がって来たと考えるのは不可能でしょうか? #tw_dokusyokai

2009-12-01 22:09:19
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