- Kim_Kaphwan11
- 7409
- 17
- 1
- 0
はじめに。
自分が「偽善者」なせいか、「正義」に興味があります。
少し前の記事ですが、このような記事を見つけました。
↓高校生のための「正義入門」~あなたの正義はどのタイプ?
http://agora-web.jp/archives/2019346.html
「正義の多様性」について、テレビドラマのヒーローに当て嵌めて解説した記事です。
大変ユニークで面白い記事でしたので、自分なりの感想をまとめてみました。
世の中の様々な不正義、理不尽について「なんで怒らないの?」と思う時、また「なんでそんなに怒ってるの?」と思う時に思いだしてみると面白いと思います。
皆さんはどう思われますか?
注)タイトルは「某かぜ薬CM」のもじりです。
自分が「偽善者」なので「正義」に興味があります。 以前「正義の多様性」についての記事を少し紹介しました。 この記事がユニークで面白かったため、改めて紹介したいと思います。 題して「あなたの正義はどこから?」正義の多様性について。 注)「某CM」のもじりです。 youtube.com/watch?v=yEz6GT…
2019-04-14 22:51:49記事はこちらですね。 ↓高校生のための「正義入門」~あなたの正義はどのタイプ? agora-web.jp/archives/20193… 「正義の多様性」について、ドラマのヒーローに当て嵌めて解説した、ユニークで面白い記事でした。 但し、ざっくりとした解説なので、今回紹介するにあたり自分なりの補足を追加しました。
2019-04-14 23:02:26人が感じる「正義感」は様々であり、ある人が「正義」や「悪」と感じる事柄も、他の人から見れば「正義」や「悪」ではないことはよくあります。 作者はこれを「正義の多様性」と表現しています。 記事では、日本人がよく感じる正義感をテレビドラマのヒーローに当て嵌めて解説しています。
2019-04-14 23:02:261)【暴れん坊将軍タイプの正義感】 「正義は悪を糺すためにあり、正義の基準は自分以外の絶対者(例えば神仏)が決める」と考える正義感です。 このタイプの基準になるのは、例えば「宗教の教義」だったり、最近では「世界標準の人権」や「世界の環境問題」になると思います。
2019-04-14 23:02:26自分の外部に正義の基準があり、そこから外れた人、物、事象を「悪」と見做します。 物は人が作るし、事象も人が起こすため、最終的に「悪」=「人」に集約され、「罪を憎んで人も憎む」になります。 正義の基準は絶対であるため、個々の事情などは斟酌しません。
2019-04-14 23:02:27そして「悪を糺す」ため、悪(=人)を糾弾しはじめます。 糾弾する方法は「相手の出方次第」になります。 例えば、相手が「ヘイトスピーチ」を行っていれば、自分が相手に対して「ヘイトスピーチ」を行ってもOKです。 また「悪」=「人」なので、「人格攻撃」を行っても問題ありません。
2019-04-14 23:02:27「悪を糺す」のが目的のため、相手が考えを変え基準の内に収まれば糾弾は終わります。 そういう意味では、後を引かないスッキリとした正義感と言えるでしょう。 また「何が正義か」「何が悪か」は自分以外の存在(絶対者またはその代理人)が決めてくれるので、正義に対する葛藤もなくシンプルです。
2019-04-14 23:02:27但し「正義は悪を糺すためにある」ので、逆説的に「悪」の存在が必須になります。 そのため記事にある通り、突然「子供」だったり「クジラ」だったり「ジュゴン」だったり、発言権が弱い(無い)存在の代弁者になって、「悪(=人)」を糾弾しはじめます。
2019-04-14 23:02:27その場合、糾弾している「悪(=人)」が直接の原因でないケースもしばしばあるので、かなり迷惑なことになります。 基本的にシンプルでスッキリとした正義感ですが、記事にある通り「落ち着いて考える」ことも必要になってくると思います。
2019-04-14 23:02:27そして基準を決める「絶対者またはその代理人」が、本当に正しいかどうかも「落ち着いて考える」必要がありそうです。 pic.twitter.com/hAIkDq2hc2
2019-04-14 23:02:282)【鬼平犯科帳タイプの正義感】 「正義は愛する者や弱者を守るためにあり、正義の基準は自分の愛情、道徳心で決める」と考える正義感です。 このタイプの基準になるのは、例えば「愛国心」や「愛社精神」だったり、最近では「社会的弱者やマイノリティへの共感」になると思います。
2019-04-14 23:02:28自身の愛情、道徳心が基準であり、そこから外れた人、物、事象を「悪」と見做します。 さらに「世界には悪人はいない」という信念があるので、「悪人は人でない」となります。 正義の基準は自分自身であるため、個々の事情を斟酌するかは、その時の気分しだいです。
2019-04-14 23:02:28そして「悪を滅ぼす」ため、悪を糾弾しはじめます。 「相手は人でない」ため、糾弾する方法は「なんでもあり」になります。 「ヘイトスピーチ」も「人格攻撃」も全く問題ありません。 「直接攻撃(物理攻撃)」は違法になりますが、倫理的には何の問題もないと考えています。
2019-04-14 23:02:29「悪を滅ぼす」のが目的のため、相手が消滅するまで糾弾は終わりません。 しかし「直接攻撃」が違法な現代では「消滅させる」ことが事実上不可能なため、延々と泥仕合を続けることになります。 (最近では「断交」や「表現規制」を主張して「相手を見えなくする」ことに力を入れています)
2019-04-14 23:02:29このタイプの正義感は、一番迷惑な「最恐の正義感」と言えるでしょう。 記事では【鬼平犯科帳タイプ】ですが、私は【北斗の拳】タイプと呼んだ方がしっくりきます。 「北斗の拳」の主人公「ケンシロウ」も、最初のうちは「ゆるせない」と思った悪党を容赦なく断罪しました。 matome.naver.jp/odai/214141514…
2019-04-14 23:02:29しかし強敵(とも)と戦う内に、「自分とは違った愛情がある」ことに気付いて行きます。 そしてしだいに思慮深くなり、最後の方にはむやみやたらと断罪しなくなりました。 このタイプの正義感には、違う考えを持っていても実力を認められる強敵(とも)との対話が必要になると思います。 pic.twitter.com/8v8WraAykK
2019-04-14 23:02:293)【水戸黄門タイプの正義感】 4)【太陽にほえろ!タイプの正義感】 この2つのタイプの正義感は非常に似ています。 「正義は秩序を保つためにあり、正義の基準はルール(≒法律)」と考える正義感です。 このタイプの基準になるのは、例えば「法律」や「校則」や「常識」などです。
2019-04-14 23:02:30ルールを外れ、秩序を乱す人、物、事象を「悪」と見做します。 善悪と人格を分けて考えるため、「罪を憎んで人を憎まず」になります。 ルールの解釈はケースバイケースのため、個々の事情も斟酌します。
2019-04-14 23:02:30そして「秩序を守る」ため、悪(=人)を糾弾しはじめますが、その方法は基本的に「ルールに則って」になります。 例えば、相手が「ヘイトスピーチ」を行っていても、「ヘイトスピーチ」はダメというルールがあれば、相手への「ヘイトスピーチ」はNGです。 当然「人格攻撃」もNGです。
2019-04-15 23:16:45「秩序を守る」のが目的のため、相手がルールに従って罰を受ければ、糾弾は終わります。 但し、ルールの解釈がケースバイケースで難しく、常に正義に対する「葛藤」がつきまといます。 そういう意味では、いまいちスッキリしない正義感と言えるでしょう。
2019-04-14 23:02:31