佐藤正美Tweet_20110501_15

0
佐藤正美 @satou_masami

同じ事業に対して SE によって異(ちが)う ER 図が描かれる──「私には しかじかの物が見えるが、あなたには それが見えないのか」、、、目っけものでもした気でいる。自意識の自惚れ・滑稽さを叩きつぶすには、事業のなかで実際に伝達された「情報」を観れば十分である。

2011-05-01 01:52:57
佐藤正美 @satou_masami

哲学は、高価な酒のような性質がある。きっと酔う。酔い覚めに数学をやっておいたほうがいい。エンジニアが数学を学習するのであれば、離散数学で用が足りる。ただし、モデルの肩越しに数学を観るのではなくて、数学の正論を ちゃんと学習しておくべきである。

2011-05-01 18:05:01
佐藤正美 @satou_masami

「コンサルタントは意見する身分で楽だね」と或るユーザが云った。きっと皮肉で言っている。随分と うらぎられてきた感想だろう。しかし、コンサルタントは catalyst にすぎない。

2011-05-01 18:05:44
佐藤正美 @satou_masami

オブジェクト指向の或る流派では、object-ID として固定指示子を使うそうだ。クリプキ氏の説を読み間違えたのではないか。固定指示子は、可能世界の中で不変的性質を要件とする。Modal Logic を前提とする。個体の「性質」が変わるので、固定指示子を使う訳じゃない。

2011-05-01 18:06:32
佐藤正美 @satou_masami

モデルは科学的でなければならない──事実と意見を混同してはいけない、事実を正確に記述しなければならない。ああ助かるョ。モデルもサバサバする。しかし、「概念」でいっぱいの頭が眼を騙す。その先入観が理屈を言わしている。推論はやさしいが、「偽」たる前提からは すべてが「真」となる。

2011-05-02 18:50:48
佐藤正美 @satou_masami

ウェブでは、私が「null 撤廃家」と云われ「null は現実に起こる」と反論されているらしい。モデル上、null を認めるなら4値ロジックを使えと私は言っているだけである。私は、モデルの「完全性」(真・偽の判断)を簡単にするために2値ロジックを使っているにすぎない。

2011-05-02 19:14:39
佐藤正美 @satou_masami

null に関する論点(4値、3値、2値)は、1980年代にケリがついている。いまさら なにを とウンザリする。私を「null 撤廃家」と非難した SE は「情報量」を考えたことがないのかしら──「情報 p の情報量は情報 q の情報量 以上である」という命題を考えてみなさい。

2011-05-02 19:28:08
佐藤正美 @satou_masami

「問題が正しく立てられれば、それはすでに なかば解かれたのである」(ヒルベルト、数学者)。或る SE が「トータル・ソリューション」を真顔になってセールスしていた。「概念」は、拡がれば拡がるほど、多義になれば多義なるほど、事態を包括する──占いの言葉がそうである。

2011-05-03 23:41:18
佐藤正美 @satou_masami

「実務に理論なんていらないョ、私は若い頃 徹夜を続けてシステムを ちゃんと導入してきた、私は理論なんて知らない」「そのようですね」と私が応えたら彼は怒った。彼はエンジニアリングを「スポ根」物語とでも思っているのかしら。費やした労力の出来栄えになっていることを証明してほしい。

2011-05-03 23:42:24
佐藤正美 @satou_masami

初期投資が安かったと思っても あとで きっと後悔する。コンピュータ・システムが賭事になってしまった感がある。RFP などと気炎を吐いても、電算機の入札でユーザが見積もりの「検算」ができないというのでは恥であろう。「RFP の書きかた」の書物を真顔で読んでも真似事で終わっている。

2011-05-03 23:43:07
佐藤正美 @satou_masami

SE の書きっぱなしな DFD・ERD なら 私は 25年の間 わんさと観てきた。「検算」できない図である。25年もである! その間に環境は変わった。環境 A(前提 A)で使われていた やりかた a を環境 B(前提 B)に変わっても継続するのは一貫性ということじゃないはずだ。

2011-05-04 09:21:47
佐藤正美 @satou_masami

私は「独断的だ」と非難されて「傲慢さが芸になっていない」とも云われた(笑)。(そういう相手が いかほどの才識かを問わないとして、)私の辯明は「私は唯々独断に陥らないようにロジックを学んできた」と。「独断的」という言いかたは、「(あなたを)嫌い」と同値なのであろう。

2011-05-04 09:22:59
佐藤正美 @satou_masami

私は、未来(to-be)を理屈で擦(なす)るのを好まない。そして、現行制度(as-is)を叩き壊す山気も更々持ちあわせていない。私は多数派の尺度に迎合するつもりもなければ、睥睨(へいげい)するつもりもない。私は「客観」が欲しいのだ。少なくともモデルと称するのであれば。

2011-05-04 09:24:46
佐藤正美 @satou_masami

検算できないクラス図をクリプキ氏は「クワス図」と皮肉った。私が目にした或る「クワス図」は、階構造 DB のデータ構造と似ていたが、タイプ・セオリー(thory of types)を使ってはいない。それでも その「クワス図」をクラス図だと言い立てる。ここにもモデルの困難がある。

2011-05-04 10:00:16
佐藤正美 @satou_masami

事業にとってモデルとは姿見(鏡台)みたいな物である。姿見のような物とみなす視点に立つ時、モデルを落ち着いて観ることができる。そこで主観と客観が対比される。モデルを事業を超えた「メタ」概念とみなす仮定の上には、怪しげな意味論が徒花(あだばな)として百花斉放(せいほう)するだけだ。

2011-05-05 08:12:49
佐藤正美 @satou_masami

モデルの事業への寄与、私はそんな寝言を信用していない。エンドユーザは事業から学ぶ、実際そうしている。事業の中に生きている人たちがモデルなんかを信用しない。モデルを相手にしないのは当然の権利だ。彼らは そもそも われわれと異なる認知をしている。異なる生活様式に生きているのだから。

2011-05-05 08:13:25
佐藤正美 @satou_masami

われわれがモデルを謳う、そうれはそれでいい。しかし、われわれの謳うモデルはエンドユーザを惹きつけるだけの魅力を持っているのかしら。「モデルは事業に役立つ」、ああ わかったよ、でも「曳(ひ)かれ者の小唄」じゃ だめなのである。いったん描いて見捨てられる図じゃだめなのである。

2011-05-05 08:14:05
佐藤正美 @satou_masami

モデルが現実のしくみを記述するのであれば、現実を形式化して計量するのが順序である。モデルの役割は、もうそこで終わる。さてコンサルタントともなれば、そこから仕事が始まる。分析する仕事が始まる──モデルを分析して問題を定立する仕事が始まる。分析では、現実の正確な図式が前提となる。

2011-05-06 08:09:22
佐藤正美 @satou_masami

構造上の問題には、次の2つがある──(1)効率性(構造そのもの-の)、(2)効果性(構造の環境適応性)。(1)は、コンサルタントを雇わなくても、事業の渦中にいるエンドユーザがもう気づいている。しかし、(2)は operational な視点では判断できない戦略の論点になる。

2011-05-06 08:09:53
佐藤正美 @satou_masami

アナリシスとソリューションとの間には無機質が有機質に変形されるプロセスがある。それらの間には なにがしかの対応があるが、機械的延長にはならない。効果性のない効率性、「悪い計画を真面目に実行する」システム──洒落などではない、苦労して作っても「前提」を間違えば確実にそうなる。

2011-05-06 08:11:16
佐藤正美 @satou_masami

「モデルは『空疎な・清潔な』表現だ」、危ない言いかただ。普通の SE なら そうは言わない、「モデルは事業を分析する技術だ」と。これだと傲慢な響きがない。しかし、2つは同じ意味だ。ただ前者には、モデルの抽象性・公正性・公共性を信任した覚悟がある。私は、この覚悟を いつも喪うまい。

2011-05-07 10:16:53
佐藤正美 @satou_masami

エンジニアは、エンドユーザの代行人じゃないし、テクノロジーの行商人でもない。エンジニアの仕事は、犬の川沿い歩き宜しくの仕事じゃない。「現実」に肉薄するためにロジックを頼りにするのがエンジニアである。「自分の眼で自分の顔が見えますか」くらいの事をエンドユーザに言ってみなさい。

2011-05-08 20:48:01
佐藤正美 @satou_masami

モデルはエンドユーザを果たして説得することができるのか。もし、説得できたとしたら、エンドユーザは初めから説得されていたのではないか──エンドユーザが「事実」を認めるためのロジック(理由)をモデルが与えたと。モデルは「理の推(お)す所を言うのみなり」。

2011-05-09 17:41:45
佐藤正美 @satou_masami

モデルは、ただ謙虚に「事実」を記述している。その役割を固く守っている。音楽の「スコア(総譜)」みたいな役割だ。モデルは事業に対してフレーゲの云う「意味(sense)」(タルスキーの真理条件)を指示するが、モデルが表す「意味(meaning)」は、言葉の使用のなかで示される。

2011-05-09 17:43:07
佐藤正美 @satou_masami

音楽の演奏家に腕のいい悪いはあろう、しかし、「スコア(総譜)」を無視して演奏する演奏家なんて一人もいない。ところが、モデルの事業に対する真理条件(sense)とモデルが示している意味(meaning)の混同は、錯乱と同じ意味を持つ。我が儘で理屈を擦(なす)っているのと同じである。

2011-05-09 17:43:53