在りし日の円形校舎。二棟他、施設が写されています。下方の施設は、体育館となります。 pic.twitter.com/NETyq624wu
2019-05-15 07:13:00旧美唄市立沼東小学校① 道内における円形校舎は11棟が建築され、8棟が「坂本鹿名夫」により設計された。該校舎は残念ながら坂本の作品ではない。昭和34年竣工、RC造3階建。画像の青焼きによると右方が当該となる。左方は解体、その下方は校長室と職員室。さらに下方は体育館となる。 ※ 画像4は拝借🙇🏻 pic.twitter.com/oC8998aWPT
2019-06-12 16:23:57旧美唄市立沼東小学校② 円形校舎の構成は、らせん階段・連続する窓・扇形教室となる。坂本は扇形教室の利点として、左右の壁面を掲示板や黒板、書棚にして、背面からの採光、扇形による音響効果の高さを利点とし、扇形教室の集合体として円形校舎を考案した。 pic.twitter.com/A3I2tOQA6n
2019-06-12 19:40:46戦後、竣工した円形校舎が全国に103棟。そのうち、11棟が北海道だったことがわかった。戦後ベビーブームによる小学校の「過剰収容」が端を発することにより円形校舎が出現することになるのね。約1割が北海道ということは、単なるベビーブームのみならず、炭礦が深く関わってくる訳…
2019-05-27 06:10:30うーん…正直北海道の円形校舎は炭鉱とはそこまで関係ないと思う。というのも、分布が石狩・空知・留萌炭田地域より、単純に人口密集地帯の道央と、道南に寄った地域と重なるからで、炭鉱街に導入されたのも美唄と羽幌の2例くらいだからだ。
2019-06-12 09:08:11じゃあなぜ北海道に多いの?という点だが、これがよくわからない。当時の議会資料や円形建築を主導した坂本鹿名夫の手記を読んでも、これといった理由がないのだ。明治~大正時代の辰野式建築のような根底がよく見えない。「生活改善と用地確保のため」「当時の『流行』であった」とでも言うしかない。
2019-06-12 09:15:48北海道の円形校舎で特筆すべきは炭鉱街の事例より、同じ町内で5棟もの円形校舎があった道南の木古内町だ。木古内小学校は何度かの工事をへて3棟の円形校舎の連立構造を持つ全国でも稀な建物だった。町内では他に札苅地区、泉沢地区に1棟の円形校舎が建設されている。
2019-06-12 09:20:14木古内町内に当時あった小学校は5つだが、そのうち 3つが円形校舎に更新されるというのは非常に珍しい。他に円形建築推しだった自治体は八尾市や神戸市があるが、人口密集地の都会でもない北海道の交通網分岐点と漁村に過ぎなかった木古内で当時なぜここまで円形校舎が推進されたのだろうか。
2019-06-12 09:27:11当時の議会資料や学校史でも読んでみますかね→議会資料ないです…→学校史なんも書いてないです→じゃあ当時の役場の建築技師とかいないの?→全員死んでます 全然わかんねえよアアアアアアア!(今でこそ木古内は資料館もあるけど、ほんの10年前まで人文関係の行政体系がガバガバだったのじゃよ…)
2019-06-12 09:31:36というわけで、円形校舎が気になって何度か調べてはいるんだけど、実に謎が多い建物でその経緯はいまだ多くの不明点が多いのです。たった60年前の流行建築なのにね… 人間って…つれェなァ…。
2019-06-12 09:35:01とりあえず施主と使用者の声は発掘できなかったので、施工主と、後年の建築系論文でも発掘しなおそうと思ってる。 やりたいことが多くて困るなあ…。
2019-06-12 09:42:18このあたりはピープスハコダテ65号で結構掘り下げてたなぁ・・・。 twitter.com/North_ern2/sta…
2019-06-12 11:31:03羽幌にあるのは円形校舎ではなく円形体育館だし、炭鉱会社が建てて寄贈したので、一般的な円形校舎の系譜とは別なんだよな 当時の建築デザインという面では無縁ではないけど、切り口としては施工主と設計者と利用者の3軸あるのでややこしい
2019-06-12 09:22:05高度成長期の量産型(?)建築のデザインって、まるで一過性のブームのような流行り廃りがあって興味深い 学校や団地が大型化する中で、まだ利用形態の定まらないうちに建築家が想定して設計して、後に実際の使い勝手との食い違いで衰退していったデザインということなんだろうけど
2019-06-12 09:29:28戦後の人口爆発時期って、スターハウスとか円形校舎みたいな共産圏っぽい雰囲気の建築が多く登場するの。あの風潮や流行がとても気になるんです。明治期のゴシック様式っぽい木造・煉瓦造の洋風建築なんかと同じ動きだと思うんだけど、時代がそこまで熟成されてないのかあまり顧みられないのが悲しい。
2019-06-12 09:54:12@North_ern2 2代目社長時代の松尾鉱山も、なかば都市社会主義(片山潜など)でしたね。 社長自ら社会党から参議院立候補する予定があったぐらいには。
2019-06-12 14:22:53@MayaWozumi ああだからほかの鉱山に比べて労働組合寄りの出版資料が多く残ってるのか…。
2019-06-12 14:25:47