佐藤正美Tweet_20190616_30

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佐藤正美 @satou_masami

「一時代前の作家が持っていた古典的趣味という様なものは、作家の教養を成熟させる或る何物かであった。以て教養を蓄積し、以て蓄積された教養の開花を期するという、言わば教養の根を、今日の若い作家達は失って了ったのである」(小林秀雄、「若き文学者の教養」)。

2019-06-16 15:26:12
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏の言っていることは、私自身が接してきた作品──文学の特色を語るには作品の数は多くないけれど──を読んできて、そうだと実感しています。しかし、これは作家だけが非難されるべきであろうか。

2019-06-16 15:26:31
佐藤正美 @satou_masami

読者のほうにも「教養を毛嫌いする」風潮はないか(あるいは、教養を小馬鹿にして、作家の教養を みくびってから作品を論っていないか)。源氏物語なんぞ寝っ転がって読み通すことができるのが教養だとしたら、読者のほうの教養など高がしれている(私も御多分にもれず)。

2019-06-16 15:26:47
佐藤正美 @satou_masami

私が ここで論じてみたいのは、「作家の教養を成熟させる或る何物か」(教養の根)という点です。おそらく──否、きっと──作家自身も これが どういうものであるのかを指示 [ 直示 ] することはできないでしょうね。でも、それは「在る」。

2019-06-16 15:27:04
佐藤正美 @satou_masami

そういうモノは在るけれど直示できないということが悩ましいし、教養が紛糾する原因でしょうね。

2019-06-16 15:27:18
佐藤正美 @satou_masami

実証ということが重んぜられ、(事実を)分析する技術を吟味しなくてはいけないことに対して、システム・エンジニアたる私は もとより賛同するけれど、人文科学を論じる人たちが、分析技術の善し悪し(あるいは、精粗)ばかりを吟味して様は奇っ怪です。

2019-06-16 15:27:35
佐藤正美 @satou_masami

作品を「科学的に」分析して個々の分析結果を統合しても、ひとつの有機体として全体を説明できないことくらい わかろうはずのものを。

2019-06-16 15:27:49
佐藤正美 @satou_masami

作品を味わうには、技術よりは、作品に直入するしかないでしょう。作品が立派であれば、それ相応の品格(教養)を感じるはずです──たとえ、その作品が猥雑な題材を扱っているとしても [ たとえば、「はこやのひめごと」「阿奈遠可志」]。

2019-06-16 15:28:04
佐藤正美 @satou_masami

思想とか教養とかが毛嫌いされることは私もわからない訳ではないけれど、それらは取って付けた装飾品ではなくて、長い修養のなかで 体得して、人柄として現れるのではないか。

2019-06-16 15:28:24
佐藤正美 @satou_masami

「教養の根」を 今日の若い作家達は どうして失って了ったのか、、、私は、その原因を論ずるほどの教養はないけれど、彼等の作品が──勿論、私が読んだ数少ない現代作家に限っていますが──面白いけれど、それだけで終わってしまう [ はっきり言えば、二度と つきあう気になれない ]。

2019-06-16 15:28:36
佐藤正美 @satou_masami

私のような文学愛好家が作家の苦労も知らないで勝手なことを言っているといわれれば、それまでですが、文学愛好家に こういうことを言わせる現代文学の貧困(教養がバックホーン [ firmness of character ] になっていないこと) は、とりもなおさず 作家に魅力がないということではないか。

2019-06-16 15:28:52
佐藤正美 @satou_masami

「近頃、日本語が乱れてきた」と云われるけれど、言語使用は、喩えれば、河と同じであって、底流は悠然と流れているが、波風が立っているのは──「日本語が乱れている」と思わせるのは──、外気と触れている河面でしょう。

2019-06-23 20:47:24
佐藤正美 @satou_masami

そして、そういう現象は、当たり前のことであって、時流に呼応して ことば は揺れる。「近頃、日本語が乱れている」というオジサンたちを見ていて、私には、そういうオジサンたちの顔がシーラカンス(生きた化石)のように見えてくる。

2019-06-23 20:47:44
佐藤正美 @satou_masami

「伝統を守る」というのは、底流につながる思想を現代のなかに見出すことであって、いっぽう河面は小さい石ころを投げても波風は立つ。「日本語が乱れてきた」と嘆くオジサンたちも、若い頃には、その社会で通用する ことば を ちゃんと使っていたはずです。

2019-06-23 20:48:01
佐藤正美 @satou_masami

「言語という社会の共有財産は、幾時(いつ)の時代でも社会の生活秩序と喰い違わない様に出来ているからだ。混乱した社会に生活する人々は混乱した言葉を使っているのが一番便利なのである」(小林秀雄、「言語の問題」)。

2019-06-23 20:48:17
佐藤正美 @satou_masami

「ドストエフスキイ は矛盾のなかにじっと坐って円熟して行った人であり、トルストイ は合理的と信ずる道を果てまで歩かねば気の済まなかった人だ」(小林秀雄、「ドストエフスキイの時代感覚」)。

2019-06-30 15:53:46
佐藤正美 @satou_masami

この二人の対比は、私の専門分野で云うなら、ウィトゲンシュタインとゲーデルの対比にも当てはまる気がします。ウィトゲンシュタインは「現代の ソクラテス」と云われ、ゲーデルは「現代の アリストテレス」とも云われています。

2019-06-30 15:54:42
佐藤正美 @satou_masami

おそらく、この二つの道のいずれも一事を成すために不可欠な道なのでしょうね。私自身は、どちらの道を歩んできたか、、、ウィトゲンシュタインに憧れながらも、私の職業柄(モデル論を専門にしているシステム・エンジニア)、ゲーデルの道を歩いてきました。

2019-06-30 15:55:23
佐藤正美 @satou_masami

ウィトゲンシュタインの道に入った理由は、私が青年の頃から文学・哲学に憧れていたからでしょうね。決して交わることのない二つの道のあいだで私は迷子になっている(苦笑)。

2019-06-30 15:55:38
佐藤正美 @satou_masami

モデル論を専門にしてはいても、二人を研究対象にしていないシステム・エンジニアは、(勿論、先人(哲学者)たちの案内(guidebook)を参考にしていますが)二つの高峰の樹海のなかで迷子になるのは致しかたないでしょう [ 言い訳か (苦笑)]。

2019-06-30 15:55:55
佐藤正美 @satou_masami

私は、ドストエフスキイに惹かれているがトルストイに惹かれたことはない [ 勿論、トルストイの小説や評論は若い頃から読んでいますが、彼の作品のなかで惹かれたのは「クロイツェル・ソナタ」くらいです ]。

2019-06-30 15:56:11
佐藤正美 @satou_masami

私の気質として、「合理的と信ずる道を果てまで歩かねば気の済まなかった」人物を好きになれない。私は、こじらせ 系の傾向を持つ文学青年だった。そういう私がシステム・エンジニアとしてゲーデルを読んでいるのだから、惑わないほうが奇怪しい。

2019-06-30 15:56:27
佐藤正美 @satou_masami

そうかといって、「矛盾のなかにじっと坐って円熟して行った」訳でもない、、、天才たちの猿真似して転(こ)けた、それが私の正直な様かな。

2019-06-30 15:56:45