佐藤正美Tweet_20180716_31

0
佐藤正美 @satou_masami

「公平無私な真理探究のために、認識機能の十全を期するために、敢えて、世の格外者ども呪われたものどもを一紮(ひとから)げにして見殺しにする進歩なる仮面を被った人間の残虐」(小林秀雄)の集積物が「文明」とか「社会の規約(社会性)」でしょうね。

2018-07-17 11:13:14
佐藤正美 @satou_masami

そして、「社会」は、その規約に従って、構成員たる適格性という篩を掛ける。「普遍的関聯のもとに認識の能力を組上げる」――「社会」の中で同意された規約に従って認識する、すなわち社会が進歩するうえで大衆が手にしたいと欲する便益を齎(もたら)す――「科学的な」ちからが優遇される。

2018-07-17 11:17:38
佐藤正美 @satou_masami

いっぽう、「芸術家の衷心(真心)」とは、社会の中で起こる「特殊な(個々の、特称の)風景」に対する誠実主義に立っている。だから、芸術家の意識の中に「社会と個人」の論点(相剋)が生れる。

2018-07-17 11:22:56
佐藤正美 @satou_masami

「仮面的な(しかし、他人が取って代わることのできない)個人性」を、いったい、だれが済(すく)うのか。社会の徒花が英術あるいは宗教なのかもしれない。だから、芸術家は明らかに社会に対する抗力として立っている。

2018-07-17 11:25:15
佐藤正美 @satou_masami

「社会」に対して憤怒を抱かないような、そして じぶんの運命に対して懐疑・悲劇を感じないような芸術家は存しないのではないかしら。じぶんの社会的生活をしゃぶって つぶつぶと語るのが芸術家ではないでしょう。

2018-07-17 11:27:59
佐藤正美 @satou_masami

私には、芸術は常に「反社会的(反現代的)」な性質を内包した [ 個人性を復活する ] 「作り事」として映ずる。勿論、その「作り事」は現実との直接な取引によって構成されて「現実の姿に、またしても連れ戻される」――「作り事」とは「苦い反語にすぎぬ」。

2018-07-17 11:32:00
佐藤正美 @satou_masami

「文学作品が哲学的理念を担い、哲学大系が文学的リアリティを帯びるのをしばしば私たちは見た。しかしこういう光景が深い意味を生じたのは、実例に依れば一流文学者、一流哲学者の場合に限ったのであった」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:44:14
佐藤正美 @satou_masami

「レトリックを離れて哲学はない、言葉を離れて理論はないからだ。整然たる秩序のなかに、どんなに厳正に表現された哲学大系も表現者の人間臭を離れられぬ。歴史の傀儡(かいらい)、社会の産物たる個人の影をひきずるものだ」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:45:11
佐藤正美 @satou_masami

「哲学が文学に通ずるのは、この影においてのみである。論理的言語が、精妙であればあるほど、この影は精妙であるはずだ」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。 私はこの文を読んで一人の哲学者を明らかに思い起こしました──ウィトゲンシュタイン。

2018-07-26 04:45:55
佐藤正美 @satou_masami

「『あらゆる哲学はいわば哲学者の回想録であり意図しない告白だ』とニイチェが悲し気に言った時、確かに彼は、哲学がその純理的構造にもかかわらず、作者の個人的影を余儀なく曳摺(ひきず)っているものだという事情を理解していた」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:46:48
佐藤正美 @satou_masami

「素朴な驚嘆と残酷さのないところに真のリアリズムはあり得ないと思う」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:47:27
佐藤正美 @satou_masami

「何故に作家のリアリズムは社会の進歩なるものを冷笑してはいけないのか。作家のリアリズムとは社会の進歩に対する作家の復讐ではないのか。復讐の自覚ではないのか。人間文化の持つ強烈な一種のアイロニイではないのか」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:48:04
佐藤正美 @satou_masami

「ゴオゴリが『死せる魂』の第二巻の草稿を焼きすてた時、人は彼を発狂したと宣告した──それ以外に理想を救うすべがなかったのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:48:42
佐藤正美 @satou_masami

「これは理想主義者等は決して承認しようとはしないであろう。彼らにはゴオゴリの「作品」が必要なので、ゴオゴリその人、同様に彼の「大いなる挫折」、彼の大いなる不幸、彼の大いなる醜悪は、彼らに何んの関係もないのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:49:29
佐藤正美 @satou_masami

「シェストフのリアリズム精神が、文学的リアリズムに対して無礼なるものならば、文学的リアリズムは退屈なものである。退屈なプールのうちを作家手法の問題が悠々と游ぐのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

2018-07-26 04:50:07
佐藤正美 @satou_masami

「氏が大変魅力ある人物であったという世の定評を僕も信じているが、(略)逝くなって作品の他なんにも残っていない今こそ、直木氏の真価が問われはじめる時であり、作家は仕事の他、結局救われる道はないものだ、という動かしがたい事実に想いをいたすべき時だ」(小林秀雄、、「林房雄の『青年』」)

2018-07-30 14:40:05
佐藤正美 @satou_masami

或る人物に対して多くの人たちが魅力を感じたとして、めいめいの人たちがそれぞれの雰囲気を感じて魅了されるのであって、かれらが抱く実感は様々でしょう [ 同じ感覚ではないでしょう ]。

2018-07-30 14:42:46
佐藤正美 @satou_masami

「眼の前にない物の外見を喚起する力などというものは、人のいうほど、また人の信じるほど、強いものではないこと、換言すれば、想像力はそれ自身の性質についてもわれわれを欺くものだということを、認めておくことである」(アラン、「芸術論集」)。

2018-07-30 14:43:24
佐藤正美 @satou_masami

いっぽうで、生存している作家の作品を批評するのは──もし、批評家が作家と知己であれば──、その作家の人間性が介入してくるので、難しいとも言えるのでしょうね。

2018-07-30 14:44:07
佐藤正美 @satou_masami

才識とか魅力というのは儚(はかな)い。その儚さを感じた時に、自分が為して成した事を綴って遺したくなるようですね──「自分史」を綴りたい、と。おそらく、私が こういうエッセーを綴っている事も そうなのかもしれない。

2018-07-30 14:45:03
佐藤正美 @satou_masami

頭の中で考えていれば すぐれていると感じられた着想も、文として綴ってみれば論にならない・愚にもつかぬ「脳髄の痿痺(いひ)」現象だったにすぎない事が多い。自分の想像しているほどには自分の脳味噌は賢くない事が文を綴れば つくづく思い知らされる。

2018-07-30 14:45:59
佐藤正美 @satou_masami

「『作家は作品を書いている時が一番正しい』とは君の口癖だ。しかしそういう言葉には、作家の無意識の自己欺瞞が一番這入り込みやすい種類の言葉だ」(小林秀雄、「林房雄の 『青年』」 )

2018-07-30 14:59:36
佐藤正美 @satou_masami

「僕はああいう器用な論文乃至は 論理をつまらぬと思う。(略)そういう問題を、誰にでもわかるように筋をたてて語る、そういう仕事を僕は低劣だと思う」(小林秀雄、「林房雄の 『青年』」 )。

2018-07-30 15:00:32
佐藤正美 @satou_masami

およそ「精神」に係わる論述では、「アシルと亀の子」の中で綴られている文を借用すれば、「仰々しく(颯爽としているという人もあるかもしれない)、同じように粗雑な論理で(簡潔だという人もあるかも知れない)」綴られた論を私は嫌悪します(侮蔑します)。

2018-07-30 15:01:22
佐藤正美 @satou_masami

デカルト の次の言葉も思い出しました──「人が二十年もかけて考えたところを、二言三言聞いただけで、一日でわかったと思い込むような人がいる」。私はそういう悧巧な人たちを わんさと観てきて──しかも、かれらは頭が良いと自認している そぶり さえ見せてくれるので──うんざりしています。

2018-07-30 15:02:23