茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第2295回「現代において、政治は月並みな散文性の競争となるのか」

0
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート2295回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。

2019-08-05 07:54:14
茂木健一郎 @kenichiromogi

政治家の方が、自分の意見を強く主張し、時には押し付けるというような場面が増えてきたように思う。確かに選挙で選ばれた方ではあるが、選挙の際に有権者が付託したことはそのようなことすべてではないはずで、発言や政策決定は慎重や謙虚であるべきだと思うのだけれども。

2019-08-05 07:56:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

アートというものは、世の中の弱いもの、小さなもの、かそけきものを拾って、それにかたちを与えるという側面がある。アートとして定着しなければ消えてしまって、人々から忘れられてしまうものを表現する。その意味で、声がもともと大きい政治家は、アートからは最も遠い存在である。

2019-08-05 07:57:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

もっとも、一見声が大きくて、意志も強固に見える政治家も、その内面には矛盾や不安や迷いをはらんでいる場合もある(というか、そういうことが多い)。だから、そこに光をあてて表現するアートは、存在するのかもしれない。

2019-08-05 07:58:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

表面的に威勢よく、力強い言葉を発しているかに見える政治家からもっとも遠いものは、また、「想像力」であると思う。複雑な事象の一端だけをとらえて、そこをごりごり押していくというスタイルは、想像力が欠如しているからこそ可能になる。

2019-08-05 08:00:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

想像力が欠如し、弱きもの、小さきもの、かそけきものに耳を澄ますことがないからこそ、威勢のよい力強い言葉を発し、意志決定を進めていくことができるという意味において政治はもともときわめて散文的なものであるが、現代においてはその散文性が滑稽なほどに強まっているようにも見える。

2019-08-05 08:01:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

ウィンストン・チャーチルのように、政治的判断の的確さと、文学的、向自然的素養をかねそなえた人が政治家をやるケースも稀にはあるけれども、現代の政治は、基本的に月次な散文性の競争になっていて、そのことがさまざまな弊害をもたらしているように観察される。

2019-08-05 08:03:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート2295回「現代において、政治は月並みな散文性の競争となるのか」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

2019-08-05 08:04:17