旧約聖書を聖典として受け入れているクリスチャンはなぜ,旧約聖書の食物規定を守らず全てのものを食べてよいのか
- Truth_morishita
- 46002
- 166
- 280
- 98
twitter.com/Truth_morishit… 少し前に,クリスチャンに食べてはいけない食材は無いということを書きました.その時,最後の方で出てきていた疑問,旧約聖書の律法では食べてはいけないものの規定があるのに,旧約聖書を聖典としているクリスチャンはその規定を守らなくてよいのかについて書きます.
2019-08-24 22:39:52よく聞かれることとして,クリスチャンは食べてはいけない食材があるかというのがあります.クリスチャンには食べてはいけない食材はありません.イスラム教は豚肉,ヒンドゥー教は牛肉を食べませんが,クリスチャンにはそういう食材についての戒律は一切ありません.
2019-08-16 21:57:49まず,旧約聖書の律法に定められている食物規定がどのようなものかというと,きよい生き物と汚れた生き物を区別する規定です.律法の中にはきよい状態と汚れた状態を定める様々な規定があり,食物についての規定はそうしたきよい状態と汚れた状態についての規定の中のひとつなのです.
2019-08-24 22:39:52そして,きよい生き物は食べてもよいが,汚れた生き物は食べてはならないとされています.動物であれば,蹄が完全に分かれていて,かつ反芻するものはきよいが,そうでないものは汚れている,といった内容です.これらの規定にはすべて象徴的な意味があります.
2019-08-24 22:39:53特に,神の民とそうでない民の区別,というものを教える点でこのきよいと汚れの規定は重要でした.神によって選ばれた民はきよいものであるが,その他の異邦人は汚れている,という考えです.神はイスラエル民族を特別に選ばれ,扱っておられるのであって,他の異邦人とは違うのだ,というわけです.
2019-08-24 22:39:53しかし,確かに神はイスラエル民族を特別に選んだものの,その他の異邦人を完全に見捨てたわけではなく,実は全世界の民族が救いにあずかることができるようにあらかじめ計画していたというのが新約聖書において明らかにされています.
2019-08-24 22:39:53イエス・キリストが人としてこの世に誕生した時,それは一人のユダヤ人(イスラエル人)としてでした.旧約聖書の預言によれば,やがてイスラエルの救い主(メシア)がイスラエル人の王として到来するはずでしたが,イエス・キリストこそその人でした.
2019-08-24 22:39:54しかし,メシアを受け入れることのできる状態になかったユダヤ人たちはイエス・キリストを拒絶し,メシアとは認めずにローマ帝国の権力のもとに引き渡し,十字架にかけて殺しました.
2019-08-24 22:39:54神に選ばれた民であるはずのユダヤ人が自分たちの救い主,王であるはずの方を拒んだというのが十字架という出来事の一つの重要な側面であるわけです.これはユダヤ人たちの神に対する不信仰から発したことですが,同時にあらかじめ神によって計画されていたことでした.
2019-08-24 22:39:54このような,人間側の不信仰・過失でありながら同時に神が予め計画していたことの実現である,というような我々人間の視座では捉えがたいことを聖書は指し示します.そうして,十字架によって神の子が全人類の罪を身代わりに背負うという「神のわざ」が実現しました.
2019-08-24 22:39:54一見して神の民による神に対する反逆・裏切り行為が,逆説的に「神のわざ」としての十字架による全人類の罪の贖いによる救いというものを完成してしまったということになります.人間的に見れば異邦人はユダヤ人が救い主を拒んだおかげでいわば棚からぼた餅のようにして救いを手に入れたわけです.
2019-08-24 22:39:55しかし,神の視点から見れば,これは全世界の全民族を救いに導くという神のあらかじめの計画の実現にほかなりません.そして,このような全世界の人々の救い,つまりユダヤ人(イスラエル人)以外の異邦人の救いが明らかにされる流れが発生する中で,それと密接に関係する食物規定も撤廃されたのです.
2019-08-24 22:39:55新約聖書の中で,食物規定の撤廃はマルコの福音書に記されたイエス・キリストの言葉の中にその予言的嚆矢が見いだされます.予言的嚆矢というのは,イエス・キリストがそれを語ったときは誰も食物規定の撤廃だとまともに受け取らなかったが,後からその意味が理解されたという意味の私個人の造語です.
2019-08-24 22:39:55「外から人に入って来るどんなものも,人を汚すことはできません.それは人の心には入らず,腹に入り排泄されます.」こうしてイエスは,すべての食物をきよいとされた.」マルコの福音書7章18-19節
2019-08-24 22:39:56そして,食物規定の撤廃が完全に明らかにされるのは,イエス様が十字架の死から復活し,昇天した後,福音伝道が広がっていく中で,ペテロが天からの幻を示されて異邦人であるローマ帝国の百人隊長コルネリウスに福音を語り,信者として迎え入れたときでした.
2019-08-24 22:39:56この時ペテロが見た幻とは天から大きな敷布のような入れ物が降りて来るが,その中には律法で規定された様々な汚れた生き物がいるのに,それを屠って食べよと命じられる,というものでした.
2019-08-24 22:39:56ペテロは幻の中でその命令を律法の規定故に拒絶しますが,「神がきよめた物を,あなたがきよくないと言ってはならない」という声がさらに聞こえます.これが三回繰り返されて幻が終わり,そこにペテロを迎えに神からの啓示を受けてペテロを呼ぶように示された異邦人コルネリウスからの遣いが来ます.
2019-08-24 22:39:57そして御霊の示しを受けたペテロはその招きを受け入れ,異邦人でも神に受け入れられることをはっきりと悟ります.こうして,食物規定の撤廃と連動して異邦人が神に受け入れられることが公に教会の中で認められるようになっていき,福音伝道は全世界へ拡大していく事になりました.
2019-08-24 22:39:57このようなわけで,旧約聖書を聖典として受け入れているクリスチャンは現在,旧約の食物規定は文字通りの規定としては撤廃されたものとして受け入れており,神の前にきよい状態と汚れた状態についての象徴的な意味を読み取る教訓的な意味合いでのみその規定を学びます.
2019-08-24 22:39:57我々クリスチャンが律法の食物規定に拘束されず,あらゆる物を食べても良いというのは,このようにイエス・キリストの十字架の救いが全世界的なものであることを示すものであり,全ての人がこの恵みにあずかることができることを示すのです.
2019-08-24 22:39:58クリスチャンにとって食べることも食べないことも,ただキリストの御名の栄光のため,神の栄光のためであり,完全に自由にされた思いの中で,あるときは敢えて特定のものを口にしないこともありえます.しかし,それは戒律を守るのではなく,自由に神の栄光を表すための自発的行動なのです.
2019-08-24 22:39:58