高危機意識妻 VS 政府信頼夫
- adesignerjp
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我が家では現在のいのちの優先順位は妊娠中の私→夫である。だが子供が生まれた後は、優先順位は子供→夫→私になることを頭に入れておいて欲しいと夫に伝えた。
2011-05-23 19:57:08子供が一番優先されるべき存在であることは当然である。そして私と一緒よりも夫との方が、より子供の生存確率が上がり、経済力もある為生育にも有利であるだろうことからの判断である。ただし、いつまでも彼が甘い判断を続けるようならそれも崩れてしまう。
2011-05-23 20:06:56東京発名古屋行きのチケットは、3/18に初めて使われた。会社帰りの夫が来てくれたのだ。流石に状況がどんどん悪化する中で、夫も不安になったらしい。だが日曜の夜には、すぐに東京に帰って行った。
2011-05-23 20:41:06そして原発の状況は、夫の勤める会社が一時的に東京での業務を停止するのに十分というわけではないと判断された。外資系企業が次々拠点を東京から移していくのを羨ましく思った。
2011-05-23 20:54:34料理に水道水は使わないし、食品は私と義母が時間をかけて選んだものだから、外で食べるよりもずっと安全なのになあ(´・ω・`)まあ家の中だけでも安心出来るものを口にしていたら積算量は下がるからマシなのだが。
2011-05-24 10:01:16暫定基準値が設定された。飲料水のヨウ素131は旧基準値の30倍の300bq/l、セシウム137は20倍の200bq/lまでが「安全」ということになった。野菜類もヨウ素131が2000bq/kg、セシウム137が500bq/kgまで引き上げられる。狂気を感じた。
2011-05-24 13:41:27とんだザル基準である。この国はとことん国民の生命を守るつもりがない、と唖然とした。管理体制がこのようでは日本の食に対する信用は完全に地に堕ちた、と思った。
2011-05-24 13:48:23水の入手が困難になった。義母は東京の子供達に送る為、三重県中を探しまわっていた。壊滅地域に水が回らないのではないかという後ろめたさが付き纏った。TVでは買占めを控えるよう呼びかけが行われていた。暫定基準値以内なら水道水は安全である、どうか「冷静」に。
2011-05-24 14:00:41100bq/l以上の飲料水が問題なのは1歳未満の乳児のみだとされた。それ以上の年齢の子供は300bq/l以下なら「問題なし」。妊婦は「念の為ペットボトルの水を飲むと安心」、授乳中の母親は「問題なし」。
2011-05-24 14:09:37野菜は洗ったり煮沸すればあらかた除染が出来るということであった。だが「土壌汚染が続いた場合、その方法で野菜内部にとりこまれた放射性物質の除染が可能なのか」という問いかけすら、TVでなされているところを見なかった。
2011-05-24 14:16:21政府の言う「安全・安心」は信用するに値しない。家族を守るには、自分で判断するしかない。関東にいる比較的若い世代の親類縁者に水を送った。義母は乳児を抱える私の友人にも水を分けてくれた。
2011-05-24 14:38:13義両親が私を置いてくれる期間は「原発が落ち着くまで」ということだった。だが順調にいっても冷却に数カ月、廃炉に至るには数年~数十年かかるという。どうしようもない、埒が明かない、諦めるしかない、義母が口走るようになった。出口のない緊張感を維持し続けるのに、私たちは疲れていった。
2011-05-24 15:15:54私も妻として夫の傍にいたい。毎日笑顔で見送りたい。疲れて帰る夫を支えたい。夫の健康を考えてご飯を作り、同じ食卓を囲んで、一日あったことを話し、同じタイミングで笑いたい。そして日一日と大きくなる我が子の成長を喜び合いたい。愛情溢れる両親の許にいるのがこの子の幸せなのではないか?
2011-05-24 16:20:19腹の中で育っているのはまだあらゆることに選択権も決定権も持たないか弱い存在であり、また私たち親とは別個の、独立した人格を持つ人間なのである。避けられるリスクは極力避けるべきではないか?この子の人生は今親である私たち夫婦に委ねられている。小さく膨らんだ腹がずっしりと重く感じられた。
2011-05-24 16:21:49このまま一人でさらに西へ流れる夢想をする。ずっとずっと海を越えて、大陸を横断し、言葉の通じない程遠い土地へ行きたかった。どこか温暖な、海のきれいな平和な国で、ひっそりと子供を産みたかった。涙がぼろぼろ出た。バカバカしい程の逃避思考。
2011-05-24 16:23:03たとえば夫と別居して祖母の家に身を置かせてもらい、働きつつ子供を産んで育てる。私はそうした現実的で力強い母親にはなれなかった。情けない話だが本当だ。 3/28、私は東京行きの新幹線に乗った。
2011-05-24 16:23:28「水も野菜も送ったるからな。ほんならKちゃん(夫)を頼んだで。」そう言ってくれる義父母に何度も何度も頭を下げ、名古屋を後にした。
2011-05-26 15:50:12両手に土産を下げて乗りこんだのぞみの車内は相変わらず綺麗で明るくて、なんだか自主避難から帰宅といった大仰なものではなく、旅行帰りのような気軽な気分にもなった。 義母の持たせてくれたてんむすを頬張り育児書を読みながら1時間40分。
2011-05-26 15:50:37マスクをして東京駅に降り立つ。花粉症の季節ということでマスク着用の人もそこそこいるものの、想像していたよりずっと平和な光景に拍子抜けした。スーツを着たサラリーマン、華やかな春の色合いを纏ったOL。小型回遊魚の群れのように、皆せかせかといくつかの潮流に乗っていた。
2011-05-26 15:53:19