4.着工

艦娘:名詞。世界で最も蒼い海をゆくもの。
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同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

艦娘学校の教官室、その長である〈室長〉の席の後ろには、とある言葉が毛筆書きで掲げられていた。

2019-08-28 20:14:31
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

艦娘:名詞。世界で最も蒼い海をゆくもの。

2019-08-28 20:15:08
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

彼がどういう想いでこの言葉を掲げていたかは知らない。彼の経歴を思えば、そこには嫉妬が含まれていたのかもしれない。もしくは羨望か。だが私は、彼が書いたこの言葉こそが、艦娘という存在をうまく総括していると思っている。 実を言うと、お気に入りの言葉だ。

2019-08-28 20:15:47
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

始めて見たときは、確か着任の挨拶の時だったろうか。大きく出たなと思ったものだった。だが艦娘として完成したとき、この言葉の意味をこれ以上ないくらいに理解した。

2019-08-28 20:16:22
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

その特別さを理解するには、黒鉄の城に引きこもっていたり、出てきても湾内をちょろちょろしているだけは難しい。ましてや地面の上にいるようでは不可能だ。それは艦娘となって、外洋に出たものだけが理解できる特権だ。

2019-08-28 20:16:53
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

ショルダーハーネスでどでかい機械を背負って自由自在に動かしている気分を味わいながら、他に何ものもない海と対峙できる存在は、艦娘をおいて他にない。

2019-08-28 20:17:31
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

見渡せばどこまでも続く水平線が描く弧を眺めることができ、海面に浮かぶあらゆるものは小さなゴミのように見える。大気は常に在り方を変え、海面はキラキラと光を返す。

2019-08-28 20:17:51
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

海に出るたびに、同じ快感を味わった。私にとって艦娘は、得体の知れないものでも単なる仕事でもない。情熱であり、天命。艦娘でない私は不完全だ。

2019-08-28 20:18:18
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

多くの人にとって職務は自己の存在証明であるが、私は艦娘こそが世界一であると今でも確信をもって言える。

2019-08-28 20:18:38
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

もちろん陸岸を離れて航行することは危険をともなう。深海棲艦の存在を抜きにしても、オカルトに支えられた艦娘というシステムは、それゆえに不安定で繊細だ。

2019-08-28 20:19:01
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

当時はシステム自体が未完成というのもあった。ひとつボタンをかけ違えれば、死につながる事故を起こす。比喩でなく、制服のボタンをかけ違えるだけで、艤装の呪術的効果が損なわれることもあったのだ。

2019-08-28 20:19:27
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

。何かが起こったとき、頼れるのは自分自身のスキルだけだった。他の軍艦のようにたくさんの仲間がいるわけではない。僚艦は間に合わないかもしれないし、一方的に巻き込んで犠牲者を増やすだけかもしれない。

2019-08-28 20:19:56
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

自転車のように、チェーンが外れたから道端に停めるといったようなこともできなかった。艤装が止まるときは浮力が止まるとき。それすなわち死ぬときだ。

2019-08-28 20:20:12
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

同期の艦娘の何人かは、訓練中や試験中の事故で死んだ。私も、何度も死にかけるような目にあった。そしてそんな危険と隣り合わせで、その都度制してきたという自負ゆえに、私たちは傲慢ともとられかねない自信に溢れていた。

2019-08-28 20:20:32
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

だがそんな自信も、艦娘にならなければつくこともない。課程開始から二週間ほどたったその頃、私たちはようやく艦娘になる第一歩を踏み出そうとしているところで、艦娘をいまだ得たいの知れないオカルトとしか思っていなかった。

2019-08-28 20:21:47
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「ぼ、ぼく見たんだ」 始まりは鎮守府に怪しげな神官が現れたことだった。目撃した3期生新規組の駆逐艦娘〈時雨〉が言うことには、夜中のうちに庁舎にあれこれと運び込んでいたらしい。

2019-08-28 20:22:27
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「夜中のことだよ。トイレに行こうとして気が付いたんだ。庁舎の前にトラックが停まってて…灯りは全部消してた。よく見たら白い布を顔に被せた神官達が、トラックと大講堂をいったり来たりして、ものを運び込んでいたんだ」

2019-08-28 20:23:52
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「暗くて何を運んでるのかはわからなかったけど……。じゃあどうして大講堂に行ったとわかったって?あいつら光ってたんだよ!ぼうっと!」

2019-08-28 20:23:58
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

もはや怪談だった。 だが話の信憑性は疑われなかった。皆、朝のうちに大講堂が立ち入り禁止になっているのを見ていたからだ。私も通りかかったとき、見馴れた大講堂の入り口の前に見覚えのない立て札が置かれているのを見た。消灯前はそんなものなかったので、夜中のに何かがあったのは明らかだった。

2019-08-28 20:25:11
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

木で組み上げられた立て札に、おそらくペンキで「立入禁止」と書かれていた。ありふれたものだが、鎮守府の用具庫にあるものとは微妙に形が違う。わざわざここを封鎖するためだけに、どこかから持ってきたのだろう。怪しさだけは満点だった。

2019-08-28 20:25:32
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

私たちは理由を知りたがったが、教官たちは大講堂の話題に触れもしなかったので、かわりに憶測が飛び交いまくった。3期生だけでなく2期生まで巻き込んで、あれかもしれないこれかもしれないと妄想をふくらませた。

2019-08-28 20:26:00
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

あまりに適当にふくらませたので細かいところは覚えていないが、〈時雨〉の証言があったから怪しげな儀式を行うことは確定路線で、儀式の目的やどのように怪しげなのかが話題の中心だった。

2019-08-28 20:26:17
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

なかでもいちばん盛り上がったのは生け贄の儀式説で、大講堂はいまや大規模な召還儀式の準備が整えられており、そこで神官達が深海棲艦を打ち倒す神だか悪魔だかを召還すると言うものだ。私たち艦娘候補生は実はそのために集められた生け贄で、順番に祭壇に捧げられるのだ。

2019-08-28 20:26:39
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

なるほど古今東西生け贄と言えば、若い処女と相場が決まってる。実際に艦娘候補生のほとんどは処女だったので、説得力はそれなりにあった。

2019-08-28 20:27:09
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