プロイセンの赤鷲勲章とプール・ル・メリット勲章について

欧州の勲章事情は複雑怪奇。
18
もちはらみなみ @rokuharaminami

まさしく「赤鷲事情は複雑怪奇なり」ですねー。でも、これでうぃき先生の誤りは確定したようです。どなたか、なおしてくれたりする、心優しい方はいないかしら??

2011-05-28 12:15:27
切り取り線 @kiri_tori

✄------------ PM 11:00 -----------✄

2011-06-08 23:00:00
リッター @GFMLindenberg

以前ツイッター上で投下されたネタ「pour.le.merite(以下PLM)」の王冠付きについて。これはPLMを50年間保持すればもらえるとか言うステキサムシングなんだけど意外と貰った人多くて200人以上いた。第一陣は1844-45で40人ほど。これはナポ公相手の負け戦だなきっと

2011-06-08 23:08:02
リッター @GFMLindenberg

続き:第2段は1857-58で60人。ここで言う57-58は50年経ったのがその時って意。これは恐らくプロイセンがけちょんけちょんにやられた時の戦争だと思う。その次が1862-67の100人で一番多い。これはナポ公やっつけろ→ワーテルローの流れで貰った人たちと思われる。

2011-06-08 23:16:52
リッター @GFMLindenberg

続き:BIGモルトケは1889年にPLM王冠付き(しかも彼は唯一?のダイヤモンド入り)を受章。-50すると丁度1839までオスマントルコに軍事顧問としておもむいてたっぽいのでその功績で貰ったのかしらと思ってみる。ちなみに彼はこの二年後に死去。

2011-06-08 23:20:55
リッター @GFMLindenberg

続き:最後のPLM王冠付きを貰ったのはザクセン王アルベルトで1899年。-50すると1848で彼は第一次丁普戦争に従軍したのでそれでと思われる。因みにその後の普墺戦争ではザクセンは反プロイセンという経歴を持つのだがPLMホルダーは維持した計算にするのね、これが一番面白い。

2011-06-08 23:26:07
リッター @GFMLindenberg

ラスト:そんなアルベルト王も貰った3年後死去。PLM王冠付き貰う→直ぐ死ぬ。ので佩用している写真も絵も見た事がない。ある意味において脳内勲章って事ですかねえ。長々と失礼しました、そのうち大鉄十字章(1870)ネタでも遊ぼうと思ってます。

2011-06-08 23:28:05