学科の教授のブログをまとめ読む。映画ファンを名乗るのなら年間30本はこなさなければその資格はない、とのお言葉。少なくとも趣味だ研究だと言いふらす分には義務がひっついて回る。言説に対する責任だ。そして責任とは信頼である。
2010-04-10 22:27:31私は表現規制問題を語るだけの資格があるのだろうか。それだけの義務を果たしているのだろうか。私の発言がふわふわっとしてるのはその責任が見えず、そのおかげで信頼できないからかもしれない。
2010-04-10 22:44:10自戒 QT @shogekichi: 「自分の意見が文章なり動画なりで手元を離れた次点で、それについて考えるのは受け手なわけだから発言した自分に責任はない」だなんて、少なくとも自分の発現について考えて欲しいと思ってる人間の言うことじゃない。
2010-04-10 22:50:29マンガ・アニメなどで「キャラが立ってる」と評価されることがあるけど、これは「キャラクターが信頼できる」ということ。「AならばBする」という彼の行動の公式がわかりやすいほど信頼=評価される。
2010-04-12 21:34:13信頼の問題を考えるためにもokama先生の『スクール』1巻を読み返そうと思ったんだけど、表紙がアツい!w 主人公が倫理学の本踏んでるw http://twitpic.com/1f4ioj
2010-04-13 01:58:19「ミスマッチはキャラのうち」という唄がある。確かに自分のキャラに対してのミスマッチは許されるけど、それは「ネタ」としてのみ。「ベタ」に影響を与えるのは彼の「キャラ」の範囲内のものだけ。
2010-04-13 14:02:31オタクがそのキャラの外の活動-政治運動をしたところでネタにしかならない、「ミスマッチ」だから。消費者たるオタクが非オタクに影響を与えて説得していくためには「キャラ」どおりのことをせにゃならん。つまり「規制されたら死んじゃうほど好きなんだ」と愛を訴えたらいい。
2010-04-13 14:20:16キャラを維持しようとすれば義務(キャラとしての振る舞い)が付きまとう。キャラを見せつけられる相手にしてみたら彼の義務は責任である。「私を信頼させた責任」ということ。このように責任・義務は押し付けられたものでしかないけど、これをある程度クリアしなければ彼はキャラを得られない。
2010-04-13 22:17:56キャラとは同一性の保証。しかしながらそれは「時」に逆らうということでもある。時が経つたびに老い、変化していく人間にとってはキャラを獲得するという行為は元々不自然なものだった。だから「性質を演じる」という矛盾が生じる。
2010-04-13 22:26:34そうか、人が何かを信頼する(必ずそうだろうと思い込む)ときには必ずキャラに対してなのか。いやしかしそんなに意味を拡大してもいいのか。
2010-04-13 22:38:22影響力を行使するだけの義務を果たしていない、というところかな Togetter - まとめ「『ゆとり世代は男子も「一般職」』の記者への公開質問 by @y_arim」 http://ff.im/-iXFBO
2010-04-13 23:19:35