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【本論】同人誌水運説
ところでご存知ですか?大きな同人誌即売会の会場は水運の利便性がよい場所に立地するんですよ。有明運河に囲まれたビッグサイト、鴨川で繋がっているインテックスとみやこめっせ、港そのもののポートメッセやマリンメッセ。西展も砂津港の一部ですね。pioも京急の向こうに呑川があります。
2019-11-05 19:47:57かつて多くの壁サークルは自力で新刊を搬入してました。しかし当時は本を輸送するインフラ整備が不十分だったので水運しかなかった名残なんですよ。事実、コミケ帰りに水上バスに乗ると大量の同人誌を抱えたオタクを見つけることができるでしょう。
2019-11-05 19:49:31コミケへの搬入、か… 。かつては貨物船が会場真横に横付けされ、便利社さんの机椅子とか大手サークルの本とか、すごいものになると超大手サークルの40ftコンテナが大井で通関したその足で持ち込まれることがあるとか、まさに黄金期だった。ビッグサイト移転後にそれが出来なくなった。
2019-11-05 20:02:46ビッグサイト東地区の混対業務上、バックヤードを外側から「0番線、1番線」と区切り、名付けていたのがまさにその名残である。陸揚げした同人誌貨物のヤードが、そのまま待機列の置き場所に使われていたゆえのことであった。
2019-11-05 20:02:49晴海初期には東京都港湾局専用線を使った貨物列車での搬入もあったんですよね。 晴海橋梁をガタゴト進むのには多くの撮り鉄が集まったものです。 りんかい線が予定通り貨物船として開通していれば東雲駅付近にヤードを……。 twitter.com/ktgohan/status…
2019-11-05 20:16:31@GenreCodeLovers @ktgohan 遠方の方は汐留駅で荷物を受け取って屋形船で晴海の会場に送ってもらった方も居たそうですね。
2019-11-05 20:48:50「水運から見たコミケ」第二部『海と搬入』予定稿より一部抜粋: 参加サークル数32から始まったコミケットは、創設から6年後、会場を晴海・国際見本市会場に移す。通称「晴海1期」の時代である(81〜86年)。この晴海1期は、サークル数6倍以上、一般参加者も万単位で膨張する急成長期であった。
2019-11-05 21:34:32この頃既に、コミケットは会場内の混雑も大きな課題として認識されはじめる。のちにその専門部署たる「混雑対応担当」(現在の『館内担当』)を発足させ対応にあたることなるが、当時もうひとつ課題があった。「搬入」の問題である。
2019-11-05 21:34:32のちに『搬入部』として発足する彼らもまた、このコミケット黎明期・急成長期に、まさしく『海図のない航海』を長い間強いられることになる。
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