【ゴーン氏バッシングは巨大ブーメラン】現在「服役中」のペルー・フジモリ元大統領は、在任中に日本に亡命、日本はペルー政府の引き渡し要求を拒絶

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八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 2018/2/20 > フジモリ氏は2005年、事実上の亡命生活を送っていた日本から帰国する途中に立ち寄った隣国チリで拘束され、07年に7つの事件に絡みペルーに身柄を引き渡された フジモリ氏の公判開始へ ペルー、恩赦適用せず  :日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXMZO… pic.twitter.com/KvXe1CoVI0

2020-01-20 06:33:42
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「ほら、日本ってめちゃくちゃでしょ」 ゴーン氏の逆襲をナメてはいけない (3/5) - ITmedia ビジネスオンライン
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2001/07/news056_3.html

 我々も今のレバノンとそう変わらぬ形で、ゴーン氏と同様に国際手配された人物の引き渡しを拒んだ過去があるからだ。

 もうお分かりだろう、そう、アルベルト・フジモリ氏だ。日系2世のフジモリ氏はペルー共和国の大統領だったが、さまざま不正や虐殺事件の指揮などの疑惑が指摘されると、首脳会談にかこつけて国外脱出して日本へ身を寄せた。

 そこでペルー政府としては、フジモリ氏の身柄の引き渡しを求めたが、日本政府はけんもほろろに突き返した。なぜかというと、福田康夫官房長官(当時)が会見で述べた言葉が分かりやすい。

 「一般論としていえば逃亡犯罪人引渡法によると引き渡し条約に別段に定めがない限り、日本国民は引き渡してはならないことになっている。(フジモリ氏は日本)国籍を有する」(朝日新聞 2001年3月2日)
 フジモリ氏は選挙では日本国籍はないとペルー国民に説明していたが実は真っ赤なうそで、「二重国籍」の持ち主だったのである。特別なルールがない限り、主権国家は自国民を守らなくてはいけない。政治的迫害から逃れてきた者だろうが、犯罪者だろうが、よその国に求められるままホイホイと差し出してしまったら、その国の独立性を否定することになるからだ。

 とはいえ、こんな理不尽な話でペルー国民は納得しない。ほどなくして、逮捕状を請求したインターポールに国際逮捕手配書を発行してもらった。そこに並ぶ容疑は、24人もの民間人の虐殺を指揮したという殺人の疑いのほか、暴行、文書偽造、誘拐など。ゴーン氏のなんちゃらルートを使った不正送金が霞んで見えるほどの罪状だが、日本政府はこれも軽くスルーした。

 理由は、インターポールの手配書は、日本の裁判所が発する逮捕状にあたらないから。要するに、日本でのんびり暮らすフジモリ氏にはなんの効力もないというのである。かくして、ペルーから逃亡した犯罪者・フジモリ氏は自身の意志で日本から出国するまで、逮捕も勾留の心配もなく、親交のある友人宅で充実した日々を過ごすことができたというわけだ。

 ここまでいえばもうお分かりだろう。

 「ゴーンのような極悪人をかくまうなんてレバノンも同罪だ」とか「国際社会に訴えて、レバノンにゴーンを引き渡すよう圧力をかけるべきだ」というような主張は、かつて我々がペルーの国民感情を逆なでした行為を蒸し返すだけで、天にツバを吐くというか、やればやるほど日本のイメージを悪くさせるだけの悪手なのだ。

リンク ITmedia ビジネスオンライン 「ほら、日本ってめちゃくちゃでしょ」 ゴーン氏の逆襲をナメてはいけない カルロス・ゴーン氏が、会見を開く予定だ。「大丈夫でしょ。悪いのは彼なんだし」「すぐに逮捕して、日本に戻せ」といった声が聞こえてきそうが、大きな声をあげればあげるほど、日本にダメージを及ぼすリスクがあるのだ。どういうことかというと……。 46
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 平成十三年三月六日提出 > 同氏がペルー国民の強い要求にもかかわらず自身に対する種々の疑惑から逃れる形で日本に滞在し続けることは同国と我が国との外交関係に重大な影響を及ぼす懸念がある ペルー共和国前大統領アルベルト・フジモリ氏に関する質問主意書 shugiin.go.jp/internet/itdb_…

2020-01-20 06:07:10
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領。首都リマの病院で。フジモリ氏の家族提供(2019年1月23日取得)。(c)AFP PHOTO / FUJIMORI FAMILY ペルーのフジモリ元大統領、再収監は「緩やかだが確実な死刑」 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News afpbb.com/articles/-/320…

2020-01-20 06:05:06

 ペルー最高裁が昨年10月、フジモリ氏の人道に対する罪への恩赦を取り消し、再収監を命じる決定を下していた。

 先週の検査で再収監可能と判断されたフジモリ氏は、警察特殊部隊本部に特別に用意された独房へ間もなく移送され、残りの刑期13年を務めることになる。再収監を前にフジモリ氏は、首都リマの病院からAFPに宛てた手書きの声明で「最期が近いと感じている」と心情を明かした。

 フジモリ氏は10年以上にわたる過去の独房生活でも、健康面については継続的に看護を受けて服役してきたが、今後もし心臓に問題が生じれば、入院中に比べて「はるかに深刻で不安定な状況になる」と指摘。「したがって、独房へ戻ることは緩やかだが確実な死刑だ」と訴えた。

 日系2世のフジモリ氏はフランスと米国で学んだ農学者・数学者で、1990~2000年にペルー大統領を務めた。しかし、任期中の1991~92年に暗殺部隊が実行した大量虐殺2件を命令したとして有罪判決を受け、禁錮25年の刑期のうち12年を終えた2017年12月、大統領令による恩赦を受けていた。

リンク www.afpbb.com ペルーのフジモリ元大統領、再収監は「緩やかだが確実な死刑」 【1月24日 AFP】在任中に政治的動機に基づき殺人を命じたとして禁錮25年の有罪判決を受け、健康問題を理由に人道的恩赦を与えられていたペルーのアルベルト・フジモリ(Alberto Fujimori)元大統領が23日、再収監を目前に「独房へ戻ることは緩やかだが確実な死刑」だと訴えた。 5 users 3

アルベルト・フジモリ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルベルト・フジモリ

2000年11月、在任中の様々なスキャンダルから窮地に陥ったフジモリはブルネイで開かれたAPEC首脳会議に出席した後、日本へ向かった。東京からファックスを使い、閣僚の一人を通じて、メディアに現れることも理由を説明することないまま突然大統領職辞任を表明(「恥ずべき辞任(la dimisión vergonzante)」[8])し[9]、東京に留まり続けた。結果、大統領職は空白となり、ペルーは政治危機に陥った。議会は「永久的な道徳的無能(incapacidad moral permanente)」を宣言、フジモリを罷免した。 だが、二重国籍のため、2005年まで司法告発は回避されることとなった[10]。

2005年11月6日、フジモリはチリへ行き、当局によって翌日逮捕された。同年11月11日にペルー政府の要請を受けて、犯罪捜査手続きが開始された。 2007年9月21日、チリの最高裁判所はペルーへ彼を引渡すことを承認した。

2009年4月7日、フジモリは1991年のバリオス・アルトス虐殺事件[11]、1992年の軍によるビジネスマンとジャーナリストの誘拐などを含めた、計画殺人、誘拐、傷害罪で25年の禁錮刑を宣告された[12][13]。フジモリはこの判決を不服として控訴したが、2010年1月に刑は裁可された。それ以前、フジモリは既にペルー情報局顧問ブラディミロ・モンテシノスの妻であるトリニダード・ベケラの家に不法侵入したとして有罪判決を受け、6年間の自由剥奪(privación de libertad)を宣告されていた[14]。2009年7月20日、フジモリは不正な横領、公的資金の供与、イデオロギー的虚偽の犯罪により国家に損害を与えた咎で、さらに禁錮7年半の有罪判決を言い渡された[15]。

リンク Wikipedia アルベルト・フジモリ アルベルト・ケンヤ・フジモリ・イノモト(Alberto Kenya Fujimori Inomoto、現日本名:片岡 謙也(かたおか けんや)旧姓・藤森 1938年7月28日 - )は、ペルーの学者、政治家、第91代大統領(在職:1990年7月28日 - 2000年11月17日)。娘は2011、2016年のペルーの大統領候補で政治家のケイコ・フジモリ。 学位は農業工学修士(ラ・モリーナ国立農科大学)、数学修士(ウィスコンシン大学ミルウォーキー校)。 共和国ペルーにおいてフジモリは論争の多い政治家である。 33 users 141